第355話 調理場の闖入者
トールは、体で5回壁をぶち抜いた気がした。
防御魔法で体を守っていなければ、ぶち抜くどころか、魔力で体がぺちゃんこに押しつぶされていただろう。それほど、強大な魔力だった。
最後に壁ではない何かに背中をぶつけて落下し、尻餅をついたとき、上から陶磁器のようなものが降ってきて、床で派手に割れる音がした。
「今日は、なんて日だい! 二人目も飛び込んできて!」
次は、老婆の叱り飛ばす声が降ってきた。
トールは恐る恐る目を開けると、すぐそばにエプロンを着用した豚顔の獣人が立っている。
腰に手を当てて、相当おかんむりのようだ。
「お腹がすいたからって、この調理場に壁をぶち抜いて入ってくるんじゃないの!」
彼女は、左手を真横に伸ばして指を差した。
「食堂は隣! さあ、行った行った!」
「おばさん。今、二人って言ったよね?」
「ああ、言ったさ」
「もう一人は、どこにいる?」
彼女は、今度は左手を右に伸ばして指さす。
「そっちにいるよ。連れて行っておくれ」
トールは、気を失って倒れているヴィヴィエンヌを発見し、急いで介抱する。
2本のサーベルは、体が飛ばされたときに手から離れたらしく、彼女の手には握られていなかった。
揺すってみても、なかなか目を開けない。頬を叩いても駄目だ。
とその時、足音が近づいてきた。
「おい。ここに闖入者がいなかったか?」
その声は、少年の低い声。
「これはこれは、グスタフ様。今日は何用で?」
豚顔の獣人にグスタフと呼ばれた以上、魔王に間違いない。
「壁をぶち破って入ってきた二人がいるだろう?」
「ええ。そこにいます」
トールは、体が飛ばされても握っていたエクスカリバーを、急いで左手に納めた。
なぜなら、魔王グスタフに取り上げられることを恐れたのである。
ヴィヴィエンヌもサーベルを持っていない。だから、飛ばされた勢いで手元から離れたと説明しても、さしておかしくはないだろう、という腹づもりだった。
それから彼は、スクッと立ち上がり、お得意の雷撃魔法の構えを取った。かめはめ波ならぬ、大バッ波の構えである。
二人の距離は、10メートルほど。
これから何が起こるかを察知した豚顔の獣人は、頭を抱え、悲鳴を上げながら調理場を出て行った。
「何の真似だ?」
「魔王グスタフ。貴様を倒す」
「ほう。雑魚でも魔法が使えるのか。だが、調理場がめちゃめちゃになってしまう。その構えをやめろ」
「断る」
「いやとは言わせない。これならどうだ?」
グスタフが右手の指を鳴らすと、まだ意識を失ったままのヴィヴィエンヌが宙に浮いた。
フワフワ浮いているところへ、空中から麻縄が現れ、たちまち彼女を後ろ手に縛り上げる。
今度は、彼女の首の周りに何本もの短剣が現れ、一斉に刃先を首へ向けた。
「おっと、動くなよ。貴様が動いたら、もう一度指を鳴らす。すると、全ての短剣が女の喉に突き刺さるからな。さあ、その構えをやめろ」
トールは、相手が魔王とは言え、少年が大人の声を出して脅しをかけていることに対して、無性に腹が立った。
だが、指を鳴らす前に雷撃魔法を繰り出す自信がないので、苦々しい顔をしながら首を縦に振る。
「よしよし。こういうときに女がいると便利だな」
グスタフは、また薄気味悪い笑いを浮かべて、指を鳴らした。
トールはハッとしたが、短剣は煙のように消え、今度は自分が何かでぐるぐる巻きになったのを感じた。
巻き付いたのは、黒光りする太い鎖だった。
「貴様! 卑怯だぞ!」
「こうなるのは、初めから予想していただろう? 間抜けめ。この女は火刑台に送ってやる。魔女には火あぶりがお似合いだからな」
「やめろ!」
「女を助けたいか? なら、貴様を火刑台に送ってやる。それでよいな?」
「それでいい!」
「おっと、潔いお言葉、いただきましたー。でも、それじゃつまらない。古から伝わるやり方で行こう」
「それは、どんなやり方だ?」
「女の火刑台に火が付くと同時に、魔物と戦ってもらう。最後に、このグスタフと1対1の勝負だ。見事勝利すると、女を救出できる。もたもたしていると、たとえ勝利しても女は死ぬ。どうだ、スリルがあるだろう。王都の連中には、よい見世物になる」
「貴様あああああ!!」
「さあ、会場へ行くぞ」
とその時、トールは漆黒の闇の中に放り込まれた。
音がない。風も感じない。上下もわからない。
彼は、星のない宇宙空間を想像していると、急に目の前に灰色の空が現れた。
万有引力を感じる。
背中がワンバウンドする。
2回転ちょっと転がって、横向きになって止まる。
その時、土の色を見た気がした。
彼は、背中と腰の痛みを堪えつつ、頭を上げる。
目の前を、ヒューッと土埃が通り過ぎた。
周囲を見渡してみる。
見覚えのある光景。しかも、それは歴史の教科書で。
彼は、思わず、教科書で覚えた単語を口にした。
「ここって、円形闘技場のど真ん中だ」




