第352話 憧れの彼女
「ヴィヴィエンヌ! ヴィヴィエンヌ!」
トールは、体一つ分先に倒れている彼女へ、懸命に声をかけた。
こんなところに増援の親衛隊が駆けつけたら、と気が気でない。
すると、彼女は顔を下に向けたまま、右手をトールの方へ向けた。
大丈夫という意味だろうと思っていた彼は、突然、両手両足と首を締め付けていた見えない枷が外れ、ストンと落下した。
「うわわわわわっ!」
手足をジタバタさせた彼は、真下に現れた三角形と円の輝く魔方陣がクッションになり、弾むように着地した。
駆け寄る彼は、彼女を抱き起こす。
「ヴィヴィエンヌ!」
「……大丈夫よ。でも、ティルダの短剣は、かすり傷でも傷口を広げる魔力が込められていたみたいで、ちょっと想定外に痛いの」
腰に手を当てる彼女の右手は、緑色の柔らかい光を発している。
治癒魔法で、傷口を治療中だった。
トールは、天井に突き刺さったエクスカリバーの柄に飛びつき、体を揺らしながら引き抜いた。
そして、増援の足音が聞こえないか、耳を澄ます。
慎重に廊下の角を曲がり、敵が潜んでいないか確認する。
少し先を行って、曲がり角からソッと顔を出す。
そこには静寂が支配していて、空気すら動いていなかった。
彼は来た道を引き返すと、サーベルをだらんと下げたヴィヴィエンヌが、ヨロヨロと近づいてきた。
「急がないと」
「まだ立っちゃ駄目。足がふらついている」
「いいえ。魔王の魔力が、こっちに向かって移動しているの。……あら? 止まったわ」
「どこに?」
「割と近いわ。行きましょう」
「その体じゃ――」
「心配してくれてありがとう。もう、大丈夫。チクッとする痛みが残っているだけ」
「こんな時に悪いけど、聞いていい?」
「何を?」
「顔を変えているの?」
「ああ。そのことね。ティルダの素顔を見る? 今行くと、見えるわよ。そろそろ魔力が解けているはず」
「そっちは遠慮しておく。ヴィヴィエンヌの素顔に似ているなら見たいけど」
「ふふっ。私は、あんなしわくちゃ婆さんじゃないわよ」
「ヴィヴィエンヌの素顔が知りたい」
「そうなの? 実はね……」
「(ゴクリ)……」
「今より、もっと若いの♪」
「えっ!?」
「あなたの幼馴染みの誰かに、ちょっと似ているかも」
「えええっ!?」
「結婚してくれるなら、見せてもいいわよ」
「け、結婚なんて……。と、とりあえず、急ごう」
耳まで赤くなったトールは、頭の上から湯気が出る気分になった。
そして、ドキドキしながら、ヴィヴィエンヌの後ろを付いていく。
彼女は、近くに魔王がいるという。
しかし、それを感じない彼は、もどかしさに歯ぎしりする。
本当は、先頭になって「俺に付いてこい」みたいな一言でも口にしてみたい。
いつも彼の後ろに付いてくる幼馴染みの姿を、彼女にも求めているのだ。
だが、現実はこれだ。彼女の後ろに張り付いている。
エクスカリバーしか振り回せない自分が、だんだん情けなくなってきた。
こんな未来兵器みたいな剣があれば、敵の大軍を前にしても、勝てて当然。
実は、誰にでも使えるのではないか。
そうなれば、自分の存在価値がなくなる。
ヴィヴィエンヌみたいになりたい。
剣で彼女を越えたい。
今、達人の背中を見ていると、自分もああなりたいという思いが強くなる。
そうだ、今度、剣術を教えてもらおう。
そして、めきめき上達。
ついに、彼女を越える。
エクスカリバーで一度に敵を倒す。
囲まれたら、サーベルで敵をバッタバッタとなぎ倒す。
これで怖いものなし。
そして、彼女に告白される。
彼女の素顔を見て、ときめいて……、け、け、結婚。
そうだ。フランク帝国に大金を預けていた。
それを元手に家を建てて、子供ができて……。
「楽しそうね♪」
「わわっ!」
急に振り返ったヴィヴィエンヌの笑顔に、トールはどぎまぎした。
膨らんだ妄想を、全て読まれたかも知れない。
茹で蛸のように赤面した彼は、右手を胸に当て、高まる鼓動を感じていた。
こめかみまでドキドキしつつ、再び彼女の背中を見ながら歩いていった。




