第338話 フックスシュタインの魔法の解除
ヴィヴィエンヌは、恥ずかしがるトールの背中を吹き出しながら見つめていたが、やがて周囲の把握に乗り出した。
彼女は、上半身を起こして辺りを見渡す。
天井にある魔石が、ぼんやりと壁の大きな穴を映し出している。
あそこから、この部屋の中へ転がったのだろう。
床には、壊れた椅子のようなガラクタが落ちている。木箱も3つほど積まれている。
「ここは、地下の物置みたい。あそこに扉があるけど、作りが地下牢っぽくない」
彼女は独り言のように小声でそう言うと、スッと立ち上がり、扉の方へ足音を立てずに歩いて行った。
トールは扉の方へ振り返ると、そこにはヴィヴィエンヌの全裸の後姿があった。慌てて向き直る彼は、動悸が止まらない。
それから、30秒ほど何も音がしなかった。
気になった彼は、もう一度扉の方へ振り返ると、今度はこちらに向かって歩いてくる彼女と目が合った。
彼女は、前を隠していない。また慌てて向き直る彼は、目が泳いでドギマギする。
見ていない、見ていない!
これは事故だ! そう。事故なんだ!
こういうのをなんて言うんだっけ?
……そうだ、ラッキースケベ! だっけ??
なんか、自分で言うのは超ハズい。。。
頭の中がパニック寸前の彼は、後ろから両肩に手を置かれて、腰が宙に浮くほど驚いた。
さらに彼女が、彼の右耳に口を近づけてくる。吐息が耳元をくすぐる。
ここに、背中へ柔らかい物まで押しつけてくるから、たまったものではない。
「扉は鍵の構造が簡単で、すぐに開いたわ。この外に通路があって、少し離れたところで見張りが二人寝ているみたい。この先、戦うことを考えると、魔力が心許ないから少し分けてくれる?」
「あ、……ああ」
上の空の返事に、彼女は苦笑した。
「そうそう。ついでにやらなければいけないことが。フックスシュタインが死んだから、彼の魔法を解いてあげる」
「彼の魔法?」
「複雑に絡み合った魔法を掛けられているみたいなの。可能な限り解いてあげるから、こっちを向いて」
トールは、顔だけをヴィヴィエンヌの方へ向けた。
「駄目。体も」
そう言われても羞恥心が先立ち、体がこわばる。
「仕方ないわね」
彼女は彼の前に回り込んで、床に両膝をつけ、両手を彼の頬にソッと当てる。
「さあ、目を閉じて。しばらく我慢してね」
優しい言葉をかける彼女の桜色の唇が、彼の顔に近づいてきた。彼は、ソッと目を閉じた。
柔らかい感触が、唇に軽く押し当てられた。
心臓が、ビクンとする。
その唇が少し開いて、少し強めに押された。
今度は、心臓が破裂しそうになる。
次に、唇を割って、口腔の中に甘い香りの息が入ってくる。
それが肺に達すると、今度は、体の中から何かが抜け出ていく。
不思議と心が軽くなっていく。
おそらく、外に出て行くのは、心を押さえつけていた何かのようだ。
これがフックスシュタインの魔法なのか?
一緒に鼓動が喉まで上がってきて、彼女に聞こえてやしないかとビクビクしてくる。
心が軽くなるだけではなく、力が少し抜けていく。
魔力を彼女に供給しているらしい。
長い長いキス……。
なんて甘い……。
いつまでも、いつまでも、このままでいたい…………。
彼女の唇が、名残惜しそうに離れていった。
「もう終わったわよ。ありがとう。魔力も充填できたし」
もう少し余韻に浸っていたかった彼だが、その言葉にゆっくりと目を開けた。
「複雑に絡み合った魔法って、何?」
「本当に悪質な魔法よ、彼の魔法。まず、とある命令を最後まで遂行させる魔法。心の奥底に眠る無意識をさらけ出して行動に移す魔法。そして……」
「そして?」
「自害の命令を受けて自害する魔法」
「そんなにたくさん?」
「そう。自害する魔法は解除したわ。無意識をさらけ出す魔法は、半分くらい。それで、普段の自分らしくない言葉や行動が時々出てくるけど我慢してね。そして、命令遂行は、ごめんなさい、私には無理。こんな複雑な魔法は初めて」
「結構、魔法に詳しいんだ。……そういえば、前に、幼馴染みに変身して『彼女達の気持ちがわかるようにしてあげる』って言ってくれたけど、あの時も魔法で?」
「ああ、あの時はそれもあったけど、自害する魔法にかかっていることにピンときて、それを解除してあげたの。後でフックスシュタインにバレて、元に戻されたけど」
「そうなんだ。……それはそうと、さすがにこのままじゃ寒くて凍えそうだ。魔法で服を出せないかな?」
「ちょっと待って。魔力を浪費したくないから、服を奪ってくるわ」
彼女はそう言うと、扉まで忍び足で歩いて行って、ソッと扉を押して出て行った。




