第325話 催眠術の再施術
灰色の平原を、紫の炎を纏った馬の集団がひた走る。その数、百一騎。
それに追いつこうと必死に駆ける、炎を纏わない栗毛の一頭。これは、ヴィヴィエンヌが乗っている馬だ。
彼らの向かう先には、光り輝く水晶の山脈。
山に雪が積もって白く輝いているのではない。山全体が水晶そのものなのだ。
高さは100メートルほど。そんな巨大な水晶が、暗灰色の曇天の下で怪しく輝いている。
空の明るさを考慮に入れると、どう考えても、自らが光を発しているとしか思えない。
その輝きに強く引き寄せられたかのように、今、集団をぶっちぎりで抜け出した一頭。
トールとフックスシュタインが乗る馬だ。
フックスシュタインは、体が魔法で半分の大きさに縮んで、馬の首付近に器用に腰掛けている。
トールの方はというと、さきほどからずっと気分がムカムカしていた。
彼は最初、この原因は自分の馬が疾駆して激しく揺れるから、と考えていた。
だが、思い返してみると、フックスシュタインが原因のように思えてきた。
なぜなら、フックスシュタインが自分の方へ振り返って目を合わせた辺りから、気分が悪くなってきたのである。
未だに、時々振り返って目を合わせてくる。それが気になってしょうがない。
図々しく人の馬に乗っているので腹が立つ、というのもある。
「危ないから、前を見ていろ!」
「なんだ。見られると恥ずかしいのか?」
「振り落とされたいのか!?」
「そんなにジロジロ見られるのが気になるなら、後ろに行ってやる」
すると、フックスシュタインがフッと消えた。
トールの背後に回ったのではない。トールの乗る馬の上から消えたのだ。
その直後、ヴィヴィエンヌは、背後に何者かの気配を感じた。
軽装備の鎧越しに、ジンジンするほどの強い魔力を感じる。
彼女は、振り返らずとも、すぐにその主を察した。
この、トールから感じたのと同じ強力な魔力。フックスシュタインに間違いない。
「女。名前は?」
彼女は、後ろからの低い声にドキッとし、振り向かずに答える。
「ヴィヴィエンヌ」
「聞かぬ名だ」
「世間では、ありふれた名前よ」
「その偽名の前は、何という名だ?」
ヴィヴィエンヌの心臓が、バクンと音を立てた。
「失礼ね。昔からヴィヴィエンヌ」
「ほう。なら、そうしておこう」
「なにそれ? ほんと、失礼」
「死んだ野獣の魔王に仕えていた、ヴィヴィアーヌ・フーコーという名前の親衛隊隊長を知っているか? 魔女上がりの奴だが」
彼女は、息が詰まった。
「……ああ、名前だけなら」
「野獣の魔王の片腕と言われるほど強力な魔力の持ち主と聞く。お前から感じる強い魔力から、そいつかと思ったのだが」
彼女の鼓動は、激しくなる。
「そんな有名人に間違えられるなんて、光栄ね。顔は見たことあるの?」
「見たことはない。四年前から行方不明と聞くが、はて、どこへ消えたやら」
「さあ、私も知らないわ」
「まあ、よい。貴様は、トールに直接触れたことがあるか? 接吻とかで」
「何よ、いきなり」
「聞き方を変える。なぜ、あの男に付いてきた? 惚れたのか?」
「ああ、惚れたわ」
「なら、触れたな?」
「ああ、そうよ。手ぐらい、握るわよ」
「貴様ほどの魔力の持ち主なら、触れれば俺の術式がわかるはず」
「そこまで褒めてくれて嬉しいけれど、買いかぶりよ」
「なぜ、俺の術式の一部を解いた?」
「解いてなんかいないわよ」
「なら、何をした? 何をしたら、ああなる?」
「何もしていないから、知らないわ」
「接吻をしたな?」
「うっ……、他人に言うのは赤面するほど恥ずかしいけれど、したわよ」
「フン。……なるほどな。とりあえず、元に戻しておいた。今度、変な真似をしたら、命はないぞ。よく覚えておけ」
「……」
フックスシュタインは、ヴィヴィエンヌの乗る馬の上からフッと消えた。
気配が消えたのを感じた彼女は、後ろを振り返り、姿がないことを確認すると舌打ちをした。
「しまった! 感づかれた! もう一度、あの魔法を解かないと、トールの命が危ない!」




