第306話 魔界の道理
トールが村長の家へ足を踏み入れると、正面にヒヒの顔をした小柄な獣人が置物のように座っていた。
天井には、青みがかった白色に光る石がぶら下がっている。魔力がある鉱石なのだろうか。
床は、全面灰色で凸凹。つまり、地べたそのまま。
家具みたいな調度品はない。窓もない。大地の上に木の箱を伏せたような状態である。
奥の壁には左右に扉があり、少し開いていた。
そこから、ギラギラ光る目がいくつも覗く。その高さから、子供達か。
村長に促されたトールは、小柄なヒヒの正面に座り、あぐらをかいた。
その村長が、右の扉の向こうへ消えると、光る目が一斉に消えて、左右の扉が閉まった。
それが合図であったかのように、座っていたヒヒ顔の獣人が口を開く。
「天空の魔王の兵士よ。どうか、この村を破壊しないで欲しい」
しわがれたその声に、相当な年齢を感じたトールは、何らかの地位のある長老と判断した。それで、声を低くして、威厳を保ちながら答える。
「先ほど、皆が我々に誓ったことを反故にすれば、その約束はできないが」
「反故にする二枚舌は持ち合わせておらぬ。安心せよ」
「それより、なぜここに村がある?」
「村は、我々が持つ、豊かな人間界への憧れが作らせたもの。近くに人間界のメスという村がある。それを真似た。そなたらがここに来るまで、似たような村を見たと思うが、皆、近くにある人間界の村を真似たもの」
「フランク帝国のメスの町か。ローテンシュタイン帝国の言葉ではメッツだな。木はどうした? 周りの木をすべて伐採したのか?」
「人間界から持ってきた」
「それは盗んだと言い直せ。食事はどうしている? それも盗むのか?」
「どうしている? 知らぬのか? ……さては、そなたは我らと違うな? 本物の人間か?」
「そうだ。人間が魔王に雇われたのだ」
「それは面白い。相当な魔力の持ち主とみた。そうでなければ、そなたは我らの腹の足しにしかならぬ。そう。我々は人間界で、生き物なら何でも食らう。マナも食らう。人間はしょっちゅう何かを食らっているようだが、我々は、一度食らえば何日も大丈夫。その点、人間は非効率な生き物よ。だから資源が絶えるのではないか?」
「資源の枯渇の原因が食材とは思えんが、1回の食事で何日も持つとは便利だな。人間には真似ができん。……ところで、この魔界では、全員こんな家を持っているのか?」
「辺境には、家を持たぬ連中がおる。大抵が、未開の連中よ。そいつらが人間界へ行って、生き物も人間も何でも食らう。時には、我らまでも食らう。村を持つ連中は、我らだけは食らわぬ。人間界への憧れが、模倣が、同胞を食らわないという習慣を持ち込んだのかのう」
「なるほど。なぜ家があるのかわかった。その未開の魔物から身を守るためだな。貴様らは同胞は食らわない、と聞き心地のいいことを言うが、人間界へ行って生き物なら何でも食らう。つまり、平気で人間を食らうのだろう?」
「そなたも、同胞以外の生き物を食らうではないか? 何も違いはない。我々の中には、嗜好に合うと言って好んで人間を食らう奴がおって、そいつらのせいで我々は人間から虐待される。時には、この地まで攻め込まれる。そなたらが食らう生き物が、そなたらに弓矢や魔法を使って攻め込んでくることを想像せよ」
「ほう。食物連鎖のヒエラルキーに魔物が入っている、と考えればよいのだな? しかも、人間の上に」
「そなたは我々を魔物と呼ぶが、我々の目には人間は魔物も同然。何ら違いはない」
「人間界に憧れるなら、人間を食らうな。さらに、人間の持ち物を奪うな。そんなことをしたら、貴様らは、いつか必ず、滅ぼされるぞ」
「それは、今更できぬ相談」
「味を占めた、ということだな」
「太古の昔から続いていることを、方向転換できぬ、ということ」
「なら、生活に革命を起こせ。ここに来るまで見てきたが、この世界には畑がない。つまり、食べ物がない。だから、人間界をあさりに行くのだろう? ならば、土地を耕せ。自給自足しろ。技術は、人間界から学べ」
「この世界は、人間界のように豊かにはならぬ」
「それは決めつけだ。努力しようとしていないから、こんな荒れた世界になったのだろう? 人間界への扉が閉ざされたら、絶滅するぞ」
「閉ざされたら、こじ開けるまで。ここにいる以上、人間界へ食を求めに行かざるを得ないのだ」
「やはり、相容れない。人間界と魔界は、永遠に敵対関係になることがわかった。本当に、食うか食われるかだな。これでは、いつかは、どちらかが破滅する」
「力のある者が、力のない者を滅ぼす。そういうことかのう」
「この議論はもういい。それより、ここ一帯が天空の魔王の領地になった暁には、他の魔王がどう動くか、わかるか?」
「力のある者が、力のない者を滅ぼす。自然と、そう動く」
「……」
「人間界もそうであろう? そなたの言う魔界とて同じこと。相手に力がないと思われた途端、攻め込まれる。それだけのこと」
ヒヒ顔の獣人は、力なく首を横に振り、視線を落とした。




