第276話 エルフ族の潰走
それから、30分以上経った。午後6時になった頃だ。
さすがに真夏でも、日が傾いて夕暮れが迫ってきた。
森の中は、一層暗くなる。
イライラしながら待っているトールは、複数の足音を聞いて警戒態勢に入った。
それは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「お頭。やっぱり、いませんぜ」
「ああ。おかしいな」
「ヴァルトシュタインが捕らえたんですかね?」
「それを確認したいのだが、奴が結界の中から出てこないので、確認のしようがない」
とその時、反対方向から大勢が慌ただしく走ってくる足音がした。
木の陰から覗いていると、エルフ族の兵士のようだ。密集して見えるので、相当数いる。
「おい、お前ら! 何があった!?」
獣人の問いかけに、兵士達は足を止め、先頭の男が息を切らしながら答える。
「大変だ! 帝国の軍隊が攻めてきて、ジクムントもフリードマンも、ガイガーもマティアスも捕らえられた」
「ジクムントとフリードマンなら、もう知っている。ガイガー達もやられたのか?」
「隠れ家の結界を突破され、神に遣わされた子の、とてつもない魔力でやられたらしい。支援部隊は、千人を超えている」
「んな訳がない。二百のはずだ」
「いやいや。凄い数だ。それに、一人で百本の大木を一瞬でなぎ倒した男が先頭にいるらしい」
「馬鹿を言え! そいつは捕まえた……はず……だが。お頭、まさか!?」
「ああ、逃げて合流した可能性もあるな。かなり時間が経っているし」
「それで今、俺たちは全員撤退しているんだ! そこをどいてくれ!」
「腰抜けどもめ! お前らの森だろ!? 自分で守れ! ここは、どかぬ!」
「命あっての物種だ!」「天空の魔王様のお力で何とかしてくだせえ!」「そうだそうだ!」「奴が来るぞ!」「「「う、うわーーーーーっ!!」」」
エルフ族の兵士は恐怖に駆られ、口々に叫びながら、地響きを立てるように逃げていった。
しんがりを見送った獣人は、深いため息をつく。
「お頭。これだから、ヴァルトシュタインが何度も頭を下げてきたんですかね?」
「奴め! 何が精鋭部隊だ! こんなふぬけの兵士のことを隠して、俺たちだけで戦わせようとしていたな! 話が違う!」
「ひどい奴らですね」
「ああ。やっぱり、我々は軍隊を一気に動かさなくて良かったな。ヴァルトトイフェル様がご心配された通りだった。逃げた奴らのことなど、放っておけ。撤収するぞ」
「いいんですかい?」
「ヴァルトシュタインが結界から出てこないというのもおかしいと思ったら、これだ。奴は臆病風を吹かせた。もし、奴が再び援軍を要請してきたら、その場で拘束する」
獣人と九尾の狐は、エルフ族の兵士とは反対方向へ去って行った。
トールは、足音が完全に消えたのを確認すると、小躍りしたくなった。
「支援部隊がデマを流したみたいだね。千人もいるはずがない」
「そのくらいの作戦は、魔法学校でも習っただろう? ……おっ? 味方が来るぞ。ここで待て」
黒猫マックスの予知の通り、数分後に、忍び足で近づいてくる集団が見えた。
先頭にいる恐ろしく背の高い人影は、ヴィルヘルミナのようだ。
トールは、両手を挙げて、木の陰からゆっくりと出た。
ヴィルヘルミナは、トールの姿を見て目を丸くし、すぐに満面の笑みを浮かべた。
四天王の隠れ家が近いので、声を出して喜び合っているわけにはいかない。
トールは、彼女と小声で交わした短い会話で、支援部隊はエルフ族兵士の掃討の任務に当たり、第7魔法分隊は分散して四天王の隠れ家を急襲していることがわかった。
デマは、やはり、支援部隊が流したもの。
ガイガー達を捕らえたのは、アーデルハイト、シャルロッテ、イヴォンヌ、イゾルデがいる二十五名の小隊。
ヴィルヘルミナは、マリー=ルイーゼとヒルデガルトを含む二十五名の小隊で、これからヴァルトシュタインの隠れ家を襲うところだ。
キルヒアイスの隠れ家は、さらに奥の森の中心、スカルバンティーア大公国との国境に近いので、2つの小隊が合流して突入することになっている。
トールは、九尾の狐達が話していたことをヴィルヘルミナに子細に伝えた。
「と言うことは、エルフは後ろ盾を失ったな。四天王以外は、脅かすだけでよくなったから、楽な戦いだ。あの烈風魔法で森の大木を吹き飛ばしてくれたおかげで、エルフ族が恐慌状態になっている今がチャンスだ」
「そうですね。では、ヴァルトシュタインを引っ捕らえに行きましょう」
興奮し、全身に血がたぎるトールは、心が勇み立ち、指の先までジーンとしてきた。




