第269話 思い出の人形の末路
トールは、目にもとまらぬ速さで、エンマから手のひらサイズの拳銃を奪い取った。
彼女は、奪われた拳銃を取り返すため、まず、覆い被さる少女を両腕で払いのける。
だが、エンマが起き上がるまでの短時間に、トールは、握力だけで拳銃をグニャリと折り曲げ、遠くへ投げ捨てた。
これは、精霊ゾフィーから今朝与えられた、さらなる力のなせる技。
怪力の持ち主が、眼光炯々として人を射る。
これには、冷酷なスナイパーも圧倒され、たじたじとなった。
その恐怖は、他の三人にも伝搬した。
四人とも慌てふためき、躓きながらエルフ達の方へと逃げていく。
トールは、倒れている少女を抱き起こし「ありがとう! 助かった!」と心の底から感謝する。そして、彼女を縛っている縄を直ぐさま解いてやった。
ところが、彼女は、そんな彼に目もくれない。
エルフ達の方を向いて右腕を伸ばし、口をパクパクさせて何か言おうとしているのだ。
その意味がわからない彼は、彼女が腕を伸ばす方向を見た。
すると、偽の人質だった一人の女が、右手で大きな熊の人形の背中をつかんで、手首を右に左に90度回転させている。
そうやって揺すられた人形は、手足をバラバラに動かして、まるで「助けて」とでも言っているかようだ。
少女の人形が奪われたのだろう。
ひどいことをする女は誰だろうと、トールは目をこらす。
面長の感じから、錬金術師のイレーンだ。
ジクムントはニヤニヤしながら、トールの方へ語りかける。
「この熊の人形は、その子の死んだ母親の声でしゃべる魔法の人形らしい。珍しい人形だから、わしらも手に入れたいが、その子は返して欲しいみたいだから、残念だが返してやる」
それを聞いたイレーンまでニヤニヤし、熊の人形を放り投げた。
草むらに頭から落下した哀れな熊に、少女は走り寄る。
そして、熊を拾い上げ、熊の顔に頬ずりをしながら胸にヒシッと抱きしめる。
彼女は、トールの所へ足早に戻ってきた。
熊の人形は「いい子にしていたかい」と、優しい女性の声で繰り返ししゃべっている。
彼女は、何度も同じその声を聞いていたと思われるが、うんうんと頷く。
「よかったな。大切な人形を返してくれて――」
そう言いかけたトールは、『イレーンが物を渡す』という行動から、あることを連想した。
ヒュッテンの町で老婆にオレンジを渡された光景が蘇ったのだ。
あの老婆は、今思えば、イレーンの顔形。
そのオレンジは、後になって爆発した。
ということは――。
トールは、可愛い熊の人形の恐ろしい正体を見抜いた気がした。
彼は、全身からサーッと血の気が引き、大声を上げた。
「それを今すぐ、捨てろおおおおおっ!!」
だが、熊の目も持ち主の目も、絶叫する彼をキョトンと見上げるだけ。
「早く!!!」
彼は熊の人形をわしづかみにして、激しく抵抗する少女の腕からもぎ取る。
そして、大きく振りかぶって、イレーンの方へ投げ返した。
案の定、連中は、空中の熊を見上げながら、逃げ惑う。
ちょうどイレーンが立っていた場所に落下した熊は、大音響を上げて爆発し、土砂を10メートルも吹き上げた。




