第267話 解放された人質
午後4時45分。
昼から天気は下り坂になり、どんよりとした空の下で、時折湿った風が吹く。
人に覆い被さるような高木が密集して壁のようになり、その無数の葉が波打ち、大きくざわめく。
葉の間から、鋭い眼光がいくつも見えるのは、気のせいか。
トールは、そんな森の入り口に一人で立っていた。
あれから、精霊達の儀式は、1時間ほどで終了。
晴れ晴れとした顔で帰還したトール達は、ヴィルヘルミナとアーデルハイトと入念に打ち合わせをして、車でグリューネヴァルトへと向かった。
同行したのは、彼ら八名以外に、第7魔法分隊の四十八名。そして、黒猫マックス。
一行の乗った複数台の車は、森の手前500メートルのところの林の中で停止。
そこから森までは、草原で、車はおろか、身を隠せるものがない。
他に第3~第6の各魔法分隊合計二百名は、1キロメートル離れたヴァルトブルク村で午後5時までに集結することになっていた。
そのような後ろ盾を得ているので、一人で森の入り口へ向かうトールは、憂いなど皆無であった。
立ち尽くす彼は、風がサラサラヘアを乱すのを気にしつつ、ジッと一点を見つめる。
そこは、森の奥へ向かう道。
人影はないが、視線をいくつも感じる。
おそらく、自分の後ろから援軍が来るのではないかと、草原やその先の林を監視しつつ、自分を見ているのだろう。
彼は、指の関節を何度も鳴らした。
何人いようともこの拳で叩きのめす、と。
午後5時。
約束の時間と同時に、道の向こうで人影が現れた。
数えると、七人いる。
先頭の黒ずくめの二人が、トールの記憶を呼び起こす。
四天王の一人、ジクムント。
そして、彼の右腕で心を読む能力を持つフリードマン。
トールにとって、想定通りの相手の登場だ。
こちらの心を読んで、不意打ちなどの作戦を読み取るのだろう。
だが、そんな作戦はない。トール一人で戦うのだから。
彼は、精霊との契約の指輪を右手の親指にはめていることを確認する。
そして、強化魔法と防御魔法を全身に施す。彼の体は、光を纏った。
ジクムントとフリードマンが薄ら笑いをしながら、森の入り口で立ち止まった。
「実に久しぶりだな。いつぞや、草原で会ったとき以来かな?」
ジクムントの言葉に、トールは「魔法学校にいたような気もするけれど」と意味深な言葉を返す。
「フハハハ! フクロウのように目の良い奴よ! あの暗闇で見えるとはな」
「それより、何の罪もない人質を返して欲しい。狙いは僕だろう?」
「あれから成長して、物わかりの良い奴になったと見える。でも、要求は3つあったはず。それは知っておろう?」
「もちろん。でも、残りの2つはかなえられないことは百も承知だったのでは?」
「チッ! 棚ぼたはないか。そうよ。無理難題を突きつけたまで。こちらもメンツがあるからのう。なら、3つ目の要求の意味はわかっておろうな?」
「当然さ。僕は人質を受け取る」
「ただ単に、人質を返すとでも?」
「そう。要求は『人質の受け取りにトール・ヴォルフ・ローテンシュタインを一人で派遣しろ』だったよね? 受け取ると言う以上、僕は受け取って、安全な場所へ彼らを避難させる」
「そんな都合のいい話があるか! ……と思ったら、あれまあ、2つ目の要求がかなったな」
「!?」
とその時、トールの左側をイゾルデが駆け抜けていった。
トールは心の中で「アッ!」と叫び、右手を差し出して制止しようとしたが、急に動けなくなった。なぜか、声も出ない。
イゾルデは、ジクムントの背後に回って、トールの方を覗き見ている。
ジクムントは、ほくそ笑んで「よかろう」と言う。
すると、フリードマンが、後ろにいた人質達に「さあ、あの男のところへ行け」とトールを指さした。
五人の人質が、フリードマンの前へ出てきて、小走りにトールへ近づいてきた。




