第261話 ネズミの噂
トールはドキドキしながらアーデルハイトの手を握り、そのぬくもりを感じつつ起き上がった。
テーブルの上に見える橙色の人影は、面長な老婆の上半身に変わっていた。
おそらく、白髪と白い服が、ランプの光で橙色の人影に見えたのだろう。
着席するまでの彼の一挙手一投足を眉をひそめて見つめていた老婆は、深いため息をつく。
「グッゲンハイム隊長。子供だましの悪戯で腰を抜かしたその子は、実は英雄ではなく臆病者じゃないのか?」
問われたヴィルヘルミナは、「ネリー・アンドレーエ情報相。彼は、一応、フランク帝国で、あの野獣の魔王を討ち取った実績がありますけれど」とフォローするも、困惑の表情を彼へ向ける。
トールは、正面にいる女性がネリー・アンドレーエ情報相とわかり、ひどく緊張した。
大臣クラスの人物に会うのは、初めてなのだ。
ネリーは、トールから見て左側を向き、「じゃ、ネズミの噂を教えてくれ。ラム」と声を掛ける。ネズミの噂とは、密偵の報告のことだ。
ラムと呼ばれた少女は、ボソボソとしゃべり出したが、首から上しか見えないほど背が低いので、生首がしゃべっているように見えた。
「耳長族……って、ここなら符牒を使わなくていいよね? エルフは『第7魔法分隊が森を攻める』という情報に動揺しているわ。天空の魔王がなかなか動かないので、何度も接触して交渉を繰り返しているみたい。その間に、蜂起の反対派のリストを作って、抹殺を進めている」
そして、少女はトールの方へ指さして「この子が戻ってきたのを知って、第7魔法分隊とこの子が一緒に攻めてくると思っていて、蜂起に躊躇しているみたい。わかっているのは、ここまでよ」と締めくくった。
ネリーは、次に右側を向き「じゃ、ロム」と声を掛ける。
ロムと呼ばれた少女が報告を始めたが、ラムと同じく、生首がしゃべっているように見える。
「魔界の動きの方が活発になってきたわよ。この子が倒した野獣の魔王の領地を、水晶の魔王と蒼の魔王が半分ずつ分かち合って、天空の魔王を挟撃することを密約している。天空の魔王は、挟撃を避けるため、野獣の魔王の領地を併合したい。だから、エルフの要請には動くつもりがない」
ヴィルヘルミナは、次々と登場する魔王の話にポカーンと口を開けているトールを見て「位置関係がわからないと理解できないだろうから、ちょっと補足しよう」と申し出た。
「魔界にいる複数の魔王の領地は、人間界の国とは重なり合わないけど、だいたいの位置を言うとこうだ。
まず、天空の魔王の領地は、ローテンシュタイン帝国とスカルバンティーア大公国と周辺国の一部を包み込む形をしている。当然、エルフの森もすっぽり入っている。
野獣の魔王の領地は、ローテンシュタイン帝国の西側で、ほぼフランク帝国が入っている。
水晶の魔王の領地は、ローテンシュタイン帝国の北側から東側にかけて、スベリエ王国、ポーレ王国などいくつかの国が入っている。
蒼の魔王の領地は、ローテンシュタイン帝国の南側で、イタリオン連邦などいくつかの国が入っている。
つまり、天空の魔王の領地は、3つの魔王の領地に囲まれている形だ。
だから、水晶の魔王と蒼の魔王が、西にある野獣の魔王の領地を北と南から侵攻して半分ずつ分け合うと、天空の魔王の領地が、水晶の魔王と蒼の魔王の領地に完全に囲まれる形になる。
これを避けるため、天空の魔王は、西方向へ領地を広げたいのだ」
魔界の領地の位置関係を理解して頷くトールに向かって、ネリーがニヤリと笑う。
「長年、互いに拮抗する力のバランスで保たれていた魔界の勢力図が、ついに崩れた。この子が西の支え柱を抜いたからな。これで、魔界の群雄割拠が始まった。もう後戻りはできない」
ここでロムが、嬉しそうに左右を見渡す
「もう一つ、新しい情報よ。天空の魔王がなぜ見えないのか、秘密がわかったの」
全員の耳が、彼女の方へ向いた。
「実は、あの魔王、身を守るために自分の魂を3つに分けて隠しているの。それが1つにならないと、姿を現さない」
ここでヴィルヘルミナが挙手をする。
「ちょっと待て。と言うことは、今のままだと、魔王を倒すには3つの魂を1つずつ探し出して滅ぼす必要があるのか?」
「1つになって姿を現さない限りは、そうなるわね」
ロムの言葉に、ヴィルヘルミナは「それは参ったな」と頭を抱えた。




