第26話 快心の一発逆転
外野が見ていて歯がゆくなるほど、防御に廻ったクラウス達は、足下や前を見ながら、逃げるだけ逃げて一切の反撃をしない。
なぜか?
恐怖のあまり、パニックになったのか?
いやいや、彼らは敵の魔力の枯渇と、自分達の魔力の温存を図っていたのである。
それまで、二人が攻撃してこないので怖じ気づいたと勘違いし、調子に乗っていた魔法使い達は、やがて自分の魔力が減ってきたことを感じて、少し攻撃をセーブし始めた。
爆発の威力も氷の矢の本数も減って、発動までの時間間隔が開いた。
魔力が底をつき始めたことは、誰が見ても明らか。
チャンス到来!
クラウスは、待ってましたとばかり、一段と腰を落とし、右手のひらを目一杯前に出して素早く詠唱する。
すると、右手の先の宙に、再びあの黄金色に光輝く幾何学模様と古代文字の魔方陣が出現した。
今回の魔方陣は、前より一回りも二回りも大きい。
その特大の魔方陣を前にして、彼は渾身の力を込めて魔法名を叫ぶ。
「烈風!!!!!!」
ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
腹に響く重低音を伴って、剣士達を倒したときよりも数倍大きな烈風が魔方陣から現れて、魔力が低下した敵に襲いかかる。
肩で息をしていた爆弾魔は、烈風に直撃され、黒頭巾と黒マスクは吹き飛び、黒マントが風をいっぱいに受けた帆のようになった。
男は、今回の魔法に、前より強烈な怒りを感じてたじろいだ。
そこで、猛烈な風に飛ばされないよう前傾姿勢を取るが、上体の下から回り込む風の力で2秒も保てず、上体が起こされた。
そうなると暴風の力を体の前面でくまなく受け止めることになり、まず全身が宙に浮き、それから強風に掠われた洗濯物のマントのように空中を高く飛んだ。
宙を浮いたくらいでは容赦をしない烈風は、男を剣士達より遙か遠くの場所へ運び、こっぴどく地面に叩きつけた。
哀れな肉体は、地面に激突したショックで2、3度大きく跳ね上がり、仕舞いには黒マントに身をくるんだ丸太よろしくゴロゴロと転がって行く。
もう一人いた魔法使いは、烈風の直撃を免れたが、余波を受けて立っているのもやっとの状態であった。
肩で大きく息をしており、体力も相当衰えたとみえる。
クラウスは、その男にも容赦をしない。
「隔壁!!」
彼の魔法名が発せられると、今度は4メートル四方の正方形で厚みが0.5メートルの小柄な灰色の壁が現れた。
魔力がなくなっている敵には、これで十分だというのが、闘士クラウスの判断だった。
「圧迫!!」
今度は、突然の壁の出現にぽかんと立っている男に向かって、その壁が勢いよく接近する。
男は我に返り、壁に向かって攻撃魔法を何度も発動するが、魔力が衰えているせいか、小型になっても破壊できないことを悟った。
恐怖のあまり逃げ惑う男に、壁は背後からすぐさま追いつき、地面をこする黒いマントの裾を踏みつけて男の動きを封じると、ゆっくり進行方向に向かって倒れていく。
男は壁を見上げて、ヒーッと悲鳴を上げながらしゃがみ込み、頭を抱え、壁に押し潰されるのを覚悟した。
しかし、クラウスは、壁が男の背中を少し押した程度で、倒れるのを止めた。
今は恐怖を与えるだけで十分なのだ。
クラウスは現場まで小走りで近づき、壁に左手をかけて潰される寸前の男をのぞき込む。
今度は、彼が敵を脅す番だ。
「さあ、ぼろ切れみたいに吹き飛んだ仲間を連れてポーレ王国へ帰り給え。そうして、国王、……じゃないね、君達の本当のボスに『奪還作戦は失敗した』と報告するんだな。さもないと、この血に飢えた壁が、君を押し潰して血を吸うのを僕は黙って見ているからね」
だが、男は何かに怯える表情を見せつつ、虚勢を張って最後の抵抗を試みる。
「ほざけ! 俺一人でも奪還してみせる」
クラウスは肩をすくめる。
「この状態でどうやって? 威勢がいいのは認めるが、君ができるのは命乞いしかないよ」
「……くそっ!」
「じゃあ、手を離すけれど、いいんだね!?」
「待て待て待て! い、……命だけは助けてくれ」
「なら、君達のボスの名前を教えてくれるかな?」
「……」
「うちの皇帝陛下から君達の国王へ、今回の拉致未遂事件を非難してもらい、事を大きくしてもいいんだがね。戦争になったらどっちが勝つか、わかっていて挑発したんだよね?」
「わ、わかった。ポーレ国王は、本件については関与していないから御上に進言しないでくれ。貴様らに動かれて外交問題になっては、俺達にガサ入れが入る」
「ほう、やっぱりそうか。じゃあ、本当の黒幕がいるんだね」
「ああ」
「その黒幕の名前は?」
「そ、それは、ウッ……! ウウッ……! ウゲッ……! グエッ……!」
突然、男は白目をむき、苦しそうな声を連発する。
何が起きた!?
クラウスは、眉をしかめ、男の身に起きている異変に注視した。
「おい! どうした!?」
壁で押されたくらいでは吐くはずがない。
「気分が悪いのか!?」
男は短くうなずき、黒いマスクを引きちぎるように外して、腹を押さえて口を大きく開けてあえいでいる。
男の腹が膨らんできて、大きく波打つ。
クラウスは、その男の様子から、口中に隠し持っていた自決用の毒が原因ではなく、体内にある別の何かを直感した。
奴の体の中に何かがいる!
まずい!
すると突然、男はボウッと黒紫色の煙に包まれた。
クラウスがギョッとすると、さらに驚くべきことが起こった。
その煙が晴れると、男は消え、そこには全身が黒紫色で赤い目を持つ一匹のカラスが現れたのだ。
体長は男の半分弱くらいで、割と大型だ。
カラスは壁と地面との間に尻尾が挟まれた状態になっていて、その原因となったクラウスをギロリと睨む。
その目の凄みは、彼を後ずさりさせるには十分だった。
少し濡れているように見える黒紫色のカラスは、翼をバタバタさせると、壁に挟まれた数本の尾羽が抜けて、弾みで少し前に跳んだ。
それから、地面と壁との隙間をピョンピョンと抜けて、翼をブワッと大きく広げ、たちまち空高く舞い上がって行く。
クラウスは、もしやと思って、先ほど烈風で吹き飛ばした魔法使いに視線を向けると、そちらでも男の姿がなく、一羽の黒紫色のカラスがちょうど飛び立っていくのが見えた。
クラウスは舌打ちをして、二羽のカラスの逃走経路を目で追った。
薄雲の裏から透けて見える太陽の位置と現在時刻とを勘案すると、案の定、ポーレ王国の方角へ飛んでいく。
彼は壁を消滅させると、メビウスの待っている所へ、とぼとぼと引き返してきた。
「取り逃がしました。残念です」
「なあに、相手を懲らしめたのだから十分。君は精一杯頑張った」
メビウスは、クラウスの右肩に手をかけて、もう黒い二つの点になったカラスを見ながら助手を慰め、功績を称えた。
しかし、その言葉では、クラウスの気持ちは晴れなかった。
「おそらく、黒幕は、ポーレ王国に根城を持つ黒魔法使いのボスだと思います。確か、四大勢力があったはず。もう少しで、そのどいつか名前を聞き出せて、尻尾をつかめたのに。……悔しいです」
「悔いることはない。あの状況で、本当の名前を言うわけがなかろう」
「まあ、……それもそうですね」
それからメビウスは、馬車の結界を解除し、納得したクラウスの背中を優しく押しながら馬車へ戻った。
実は、メビウスが最後に馬車から外へ出たとき、馬車の扉を開けっ放しにしたため、扉が大きく開いていた。
二人は馬車に近づくと、その開かれた扉の向こうから、ギリギリと突き刺さる熱い視線を感じて歩みを止めた。
「「!!!!」」
彼らは視線の主を見た。
これ以上大きく開けられないほど開いた四つの目で。




