第253話 想定通りの罠
朝7時。
珍しく曇り空で、生暖かい風が吹く。
トールは黒猫マックスと一緒に、クラウスが運転するT型フォードに似た車の中で揺れていた。
この車はスプリングが効いていないので、道路の凸凹がもろに伝わるのが少し難点。
眠気を誘わないこの揺れが不快なので、気分転換にと、トールは運転手相手に雑談を始める。
「クラウスさん。スカルバンティーア大公国の人って、身体的特徴がありますか?」
「ああ、彼らは耳が上に尖っているけど、尻尾がないね。同じ耳で尻尾があれば、ローテンシュタイン帝国の人だ。ちなみに、エルフ族は、耳が横に長い」
クラウスは、視線を常に前へ向けながら答えた。
「そういえば、フランク帝国の人は、耳が丸くて尻尾がなかったです。国によって、いろいろ違うのですね」
「彼らは君達に、どことなく似ていただろう?」
「言われてみれば」
「同じ特徴を持つ人種の部族が、自然とまとまって国を作った、って感じだね。大昔は、村や町に領主様がいて、それぞれが自治を持つ国みたいだったから、もの凄い数の国があったんだよ」
その後は二人の間で、ローテンシュタイン帝国の歴史や、とりとめのない雑談が続いた。
そうこうしているうちに、トールは田園風景の中に建物群が見えてきたことに気づく。
目的地のヒュッテンだ。
クラウスは、手紙で指定された役所の前に車を横付けした。
ちょうど近くにいた町の住人は、車が珍しいのか、ゾロゾロと集まってきた。
車を降りたトールは、黒猫マックスを抱きかかえながら見物人を掻き分けて、いかめしい構えの木造建築を見上げた。
そして、彼は周囲を見渡して、尻尾のない人物を探した。
案の定、いる。
車の見物人と通行人の中に、合わせて六人ほど。
しかも、全員がトールの腰の辺りへ視線を投げかけている。
おそらく、自分達と同じく尻尾がないことを確認しているからなのだろうが、トールの目には全員が変装した賞金稼ぎに映る。
彼は、逃げ込むように役所の扉を押した。
建物の中は少々薄暗く、ひんやりしていて、独特の木の匂いがした。
正面の受付に猫族の若い女が座っていた。
彼女は、飛び込んできたトールよりも、黒猫マックスの方へ珍しそうに視線を向けている。
右目と左目の色が違う黒猫マックスが、よほど気になるのだろう。
トールは、視線をいつまでも自分の胸辺りに向ける受付嬢へ、「魔法省の役人から呼ばれたのですが」と伝えた。
すると、彼女は顔を動かさず、視線だけ上に上げて「ちょっと待ってニャ」と言う。
そして、「待ってニャ」を連呼しながら、奥の部屋へと引っ込んだ。
それからが長い。
イライラするほど待たされたトールは、奥の部屋の扉が開かないかと、首を伸ばす。
やっと現れた彼女は、右手を左右に振り「そんニャ役人、来てニャいニャ」と答えた。
最初から覚悟の上だったトールだが、彼女の言葉を聞いて、背筋に悪寒が走った。
やっぱり、罠である。
彼は軽く一礼してその場を急いで立ち去り、扉を引いて外に出た。
ところが、足を踏み出した途端、彼はギョッとして立ちすくむ。
目の前にあるはずのものがない。
歩道の半分を埋めていた人だかりも、車までもが忽然と消えていたのである。




