第250話 天空の魔王
同じ頃、ヴァルトシュタインは、彼の右腕である女剣士のゲルダを連れて、天空の魔王の謁見へ向かった。
二人とも、夏だというのに黒いフードに黒いローブという出で立ちだ。
彼らはいつものように、森の西の外れにある秘密の扉から魔王の宮殿に入る。
時空が曲がっているので、実際にそこに宮殿があるわけではないことは、彼らも知っている。
しかし、実体がどこにあるのかまでは知らない。
長い廊下に並ぶ多数の衛兵の視線を浴びながら、二人は廊下に視線を落とし、やや前屈みに歩く。
いつ見ても、様々な魔物の顔をした衛兵が不気味だからだ。
謁見の部屋へ入る前に、狭くて暗い別室で、彼らの武器は衛兵によって没収された。
特に、十本の腕を持つゲルダは、黒いローブの下から多数の剣や斧や槍を差し出すことになる。
これを衛兵が五人がかりで回収するのはいつものことだが、ゲルダにとっては、煩わしいことこの上ない。
そして、仕組みも構造もよくわからないが、その別室から衛兵が立ち去ると、部屋全体が上昇していく。
その長いこと長いこと。
やっとグラグラッと来て、上昇が停止し、二人は謁見の間に近づいたことを知る。
入ってきた時と反対側の扉が開いて、外から顔を覗かせたオオカミの顔をした衛兵が「来い」と言う。
ヴァルトシュタインもゲルダも、いつものように心の中で『てめー、偉そうに!』と吐き捨てる。
オオカミの衛兵に案内されて、少々廊下を歩き、正面に聳える仰々しい謁見の間の扉を仰ぎ見た二人は、ため息をつく。
それは条件反射のような物だ。
『気が重いぜ』
『だね』
二人は顔を見合わせて、無言で言葉を交わす。
開かれた扉の奥に、無人の玉座が見え、左に九尾の狐、右に鷲の頭を持つ獅子が見えた。
ヴァルトシュタインとゲルダは、無人の玉座に一礼し、進み出る。
そして、部屋の真ん中で左膝を床につけ、右膝を立てる姿勢を取る。
右手は床に、左手は胸に。
二人は、無人の玉座を見上げ、挨拶をしようと口を開けた。
すると、玉座の方から低くて太い男の声がする。
「虚礼は良い。用件を先に聞こう」
ヴァルトシュタインは、姿が見えない天空の魔王に向かって、緊張の面持ちで用件を述べる。
「先般のご支援の件について、ご相談に参りました」
「支援? 他にやるべきことがあるから、後回しのつもりだが」
ヴァルトシュタインは、『やはりそうか』と心の中でつぶやく。
そして、用意していたカードを切ることを決意する。
「あの魔王を倒した少年が、こちらに向かっております」
「知っておる」
「目的はご存じでしょうか?」
「知らぬ。ちょうど、気になっておったところだ。そちは、何か知っておるのか?」
「はい。それは、次の討伐です」
「その言葉に、嘘偽りはないな!?」
見えない魔王の強い語調に、巨体のヴァルトシュタインはブルッとし、両方の手のひらがひどく汗ばんだ。
「ございません」
「なんと。魔界を畏れぬ不届き者めが。して、次の奴の狙いは?」
「こちらの宮殿に乗り込むもようでございます」
「つまり、このわしか? ……他の奴らに足を向ければ良いものを。さすれば、さらに領地を広げられるのだが」
「いっそのこと、ローテンシュタイン帝国ごと葬ってはいかがでしょう?」
「それもよいな。楯突く者は容赦はせん。ただし、わしらだけでは無理だ。当然、お前達も全面協力してもらうぞ」
「もちろんでございます。その次は、隣接するスカルバンティーア大公国も」
「先にそちらを叩いても良いが。所詮、人間が勝手に線引きをした境界線など、わしらには無縁のもの。魔界の領地と人間の領地は、同じ境界ではない。どこをどう叩こうが、2つともこのわしの領地内だ」
「では、ローテンシュタイン帝国を先にして、あの危険な少年ごと――」
「攻める順番を決めるのは、このわしだ。話はわかったから、結論を待て。明日回答するから、明日の同じ時間にここへ参れ」
「承知仕ります」
ヴァルトシュタインは、胸のつかえが下りるのに合わせて、深々と頭を下げた。
ゲルダも遅れまいと、慌てて頭を下げる。
このエルフ族の仕掛けた罠が、魔界に波紋を呼ぶとは、この時誰も気づかなかった。
彼らが夢見るグリューネヴァルトの分離独立は、とんでもない方向へ発展してしまうのである。
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