第245話 密偵の急報
エルフ族のヴァルトシュタインは、質素な丸太小屋の書斎の椅子に座り、時々扉を見やりながら、知らせを待っていた。
机の上のランプが照らしているものは、黒フードから覗く彼のいかつい顔、巨体を包む黒いローブの下の胴着、グローブのような手でつかまれた地図。
その地図は、スカルバンティーア大公国の地図である。
左手の親指が、グリューネヴァルトの一部を押さえつけている。
彼は、耳をそばだてる。
小屋の周囲に張り巡らしていた結界を超えて、人が入ってきたことに気づいたのだ。
その時、書斎のドアがノックされた。
力の要れ具合と間隔が特徴的な叩き方。
「入れ」
ニヤリとしたヴァルトシュタインの低い声が、ノックの主を部屋へ招き入れた。
入ってきたのは、先ほど空き地で、最初に消えた黒づくめの人物。
そいつは、片膝を突いて胸に右手を当て、顔を下へ向ける。
「申し上げます。作戦は――」
若い男の落ち着き払った声が、書斎に響いた。
報告を待ちきれないヴァルトシュタインは、彼の言葉を遮る。
「もちろん、首尾よく行ったのだな?」
「はい。リストにある六人は、逃走途中でした。全員葬りました」
「ご苦労。次のリストはゲルダから受け取れ」
「かしこまりました」
若い暗殺者は、軽く一礼すると、素速く書斎から立ち去った。
扉が閉まると、間髪入れず、先ほどと少し違うノックの音がした。
「どうした? 入れ」
ヴァルトシュタインは眉をひそめ、首を伸ばして、扉の方を向いた。
入ってきたのは、空き地で2回目に消えた黒づくめの人物。
そいつも、片膝を突いて同じ姿勢を取る。
「火急の報です」
こちらも若い男の声だが、ひどく動揺しているようで、息も荒い。
「何があった?」
「白ファミーユは全滅。さらに、トール・ヴォルフ・ローテンシュタインが魔王を仕留めました。そして――」
「な、何だと!」
ヴァルトシュタインが急に立ち上がり、弾みで椅子が後ろに倒れた。
若い男は物音に一瞬ギクリとしたが、淡々と言葉を続ける。
「そして、今日にもローテンシュタイン帝国へ帰還するもようです。さらに、魔界が動き出しました」
「動いたのは誰だ?」
「ヴァルトトイフェルとその一派です。あちらの魔王亡き後、彼の地を吸収するつもりだそうです」
「天空の奴らか。魔界でも、棚ぼたで領地を広げる奴がおるというわけか。……ご苦労。下がれ」
「はっ」
若い男は、顔を上げずに直ぐさま立ち去った。
ヴァルトシュタインは、倒れた椅子を元に戻し、杭を打つ木槌のようにドカッと腰を下ろす。
そして、机の引き出しから急いで水晶玉を取り出し、地図の上に転がした。
揺れる水晶玉をいったん両手で押さえ、改めて手をかざすと、玉の中に糸のように細い目をした男の顔が見えてきた。
横にピンと伸びた細い髭と尖った顎髭。
エルフ族の四天王の一人、ジクムントである。
実は、ヴァルトシュタインも四天王の一人だ。
水晶玉の中のジクムントは、眉をつり上げる。
「ヴァルトシュタインか。どうした?」
「ジクムント。計画を練り直さないと、まずくなった」
「お前の考えなど尋ねていない。どうした?と聞いておる」
「白ファミーユが全滅した」
「本当か!?」
「これでフランク帝国は弱体化したから、けしかけてもローテンシュタイン帝国へは攻め入らないだろう。さらに悪い知らせだ。野獣が、例の小僧に倒された」
「何だと!?」
「小僧は、まだまだフランク帝国で釘付けになっていると思っていたが、なんと、今日戻ってくるらしい。……悪い知らせは、それだけではない」
「いまいましい! この上、他に何だ?」
「魔界が動き出した。野獣がいなくなった今、天空の奴らが勢力圏拡大に乗り出したようだ。となると、こちらへの支援がなくなる」
「それは、まずい!」
「奴らの支援がない、小僧が帰ってきた、となると、今日予定していた東西同時の陽動作戦は棚上げだよな?」
「やむを得まい。その魔界の様子を詳しく探れるか? もし、支援を放るようなら、甘言で籠絡せよ。作戦の成否を握るのは、奴らの支援の有無だからな」
「任せておけ。それと、別件だが、試したいことがある」
「試したいこと?」
「例の賞金稼ぎがどこまで働けるか、陽動作戦で手先に使えるか、試したい」
「なら、小僧の首に賞金を掛けろ。もちろん生死は問わない、と伝えておけ」
「なるほど。では、さっそく」
ヴァルトシュタインが水晶玉を一なですると、ジクムントの顔が消えた。
彼は、まだそこにジクムントが映っているかのように見つめていたが、フフンと鼻で笑って席を立った。
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