第205話 魔界に堕ちた英雄
トールの尋常ならぬ驚きぶりは、無理もない。
玉座に座っていた男は、トール自身だったのだ。
いや、同一人物が同一空間に存在するはずがない。
トールと見紛うほど、顔も髪型もそっくりの男なのだろう。
そして、彼の足下に座っている女性は、シャルロッテ、マリー=ルイーゼ、ヒルデガルト、イヴォンヌ、イゾルデの五人。
全員、生き写しのように、そっくりである。
こんなことがあり得るのだろうか?
呼吸まで止まったかのように、誰も身動きをしない。
そんな凍り付いた空間で、玉座に座っている偽トールが口火を切る。
「やあ。君は男爵トール・ヴォルフ・ローテンシュタイン・ドゥ・ルテティアだったね。僕は誰だと思う?」
その声は、トールのそれとイントネーションまで全く同じだった。
ただ、トール自身は自分の声をちゃんと聞いたことがないので、同じとは気づいていない。
「さあ、知らないね。聞いたこともない声だ。玉座にふんぞり返っている、女たらしだろ?」
「おっと、自分のことをそう言うかね? 僕は未来の君さ。魔王様に忠誠を誓い、ここにいる五人の彼女達を娶った英雄でもある。今見えている状況は、君の彼女達に対する欲望をそのまま具現化したものだよ」
「彼女達に対する欲望? ほう。ハーレム気取りの男が、時空を超えて魔王にごますりにやってきたと。なかなか滑稽で、珍妙極まりない話だ。抱腹絶倒するよ」
「フン。短絡的な発想しかできない君の未来を教えよう。この討伐は、君の出過ぎた失策により、失敗に終わる」
「それは、僕の活躍により成功に終わる、の間違いじゃないのか?」
「思い上がるな。よく聞け。失敗後、誰も君に仕事の依頼をしなくなる。疎まれる。石を投げられる。失意の君は、彼女達と放浪の旅に出て、盗賊団となる。だが、それを哀れんだ魔王様は、君を招聘し、君を愚弄した民への復讐にお力添えを約束する。そして、過去に送られて、民に復讐を果たす」
「その結果が、今の君か?」
「いかにも」
「それって、僕の未来じゃなくて、他の誰かが過去に起こした出来事じゃないのかな?」
「ほほう。誰だと申す?」
ここで、ジャクリーヌが、斜め右後ろにいるトールの方を振り向き、無言で制する。
そして、男の方へ向き直り、一歩前に出た。
「あたしから、そいつの名前を言おう」
「おいおい、僕はトールと話をしているんだが。場をわきまえない雌豚め!」
「黙れ!!」
ジャクリーヌの一喝が、部屋中にこだました。
「そいつの名は、白ファミーユ代表、フランソア・ドゥ・メルセンヌ」
彼女は、凍るように冷たい口調で男の名前を言い渡した。
それを聞いた玉座の偽トールは、キヒヒヒヒッと不気味な笑いを漏らす。
「何を血迷う能なし女め。僕は未来のトールの話をしている。そいつの名は、トール――」
「未来だの過去だの、作り話はいい加減にしろ! さっきの話はフランソアが過去に起こした出来事。白ファミーユの黒歴史だ」
彼女は、一歩前に出た。
「四年前の討伐に失敗したのは、最終的にはこのあたしの責任だが、魔王との一騎打ちに追い込まれた原因は、その前のフランソアとその仲間の、勝手極まりない、無謀な行動にある」
彼女は、さらに一歩前に出た。
「失敗後、非難する世間の目を逃れるように隠れたのは、彼ら九人と二匹だ。さっきの話は、その白ファミーユの黒歴史をトールに置き換えただけ」
「勝手極まりない、無謀な行動だと? 仲間が何をしようと、それがどんな結果になろうと、すべての責任はリーダーにある。それを仲間の責任に転嫁するな」
「していない。最後はリーダーの責任と言ったはず」
「貴様が己の無能を認めるなら、まあいい。白ファミーユは、今や1万人の魔法使いの頂点となった。黒歴史など、とっくに消え失せている」
「否定はしないんだな? さっきの話は自分達のことをトールに置き換えたものであることを」
「畜生! 二度と口をきけなくしてやる! 魔獣召還!」
偽トールが吐き捨てるように言うと、右手を上げてパチンと指を鳴らした。
すると、玉座とジャクリーヌとの中間地点に、背丈が2メートルを超える牛頭人体のミノタウロスが三体現れた。
トールが「マリー! シャル! 行くよ!」と言って、ジャクリーヌの前に回り込んだ。
マリー=ルイーゼはトールの右側に、シャルロッテはトールの左側に駆け寄る。
そして、三人は互いの顔を見て、軽く頷いた。
マリー=ルイーゼは、右手を伸ばす。
シャルロッテは、左手を伸ばす。
トールは、右手を高く上げる。
「「「剣!!!」」」
三人が同時に魔法名を叫んだ。
すると、彼らの手の先に魔方陣が輝き、フランク帝国最高の武器職人アネモネ・ロワが鍛えた武器が、同時にゆっくりと出現した。
ミノタウロスは、トール達の威容に圧倒され、後ずさりした。




