第174話 見せ金に騙された
ジャクリーヌは、口元まで短くなったタバコを灰皿へ忌々しそうに捨てると、ポケットから新しいタバコを取り出した。
そして、マッチを擦り、トールに鋭い目を向けながら、くわえたタバコに火をつける。
それから彼女の視線は、マッチを振る右手に移った。
なんて声をかけようか迷っているようにも見える彼女は、煙の出るマッチの燃えかすを灰皿に投げ入れ、ようやく重い口を開く。
「トールだっけ?」
「は、はい」
彼女の低い声に、トールはドギマギした。
「がっかりさせるようなことを言うようで悪いけど――」
「……」
「白ファミーユに、たぶん騙されたな。その見せ金で」
「へ?」
「その金貨はここから見ても本物だが、きっちり数えて1千枚はあるとしても、残りの12万5千ルゥ・ドゥオールは石ころになりかねないってことさ。下手すると、その1万ルゥ・ドゥオールも返すことになる」
「えええっ!?」
「お前さんも、お人好しだな。サインした書類を隅から隅まで読んだのか? フランソアの奴が、途中で条項を付け加えたとさっき聞いたが、それも読んだのか?」
「いいえ」
「見もしないでサインしたと?」
「はい」
「フッ、本当におめでたい奴だな。自分に不利なことを書いてあるかもしれない契約書を、全文読まないでサインするなんて。白ファミーユってのはな、こっそりと自分に有利なことを書いているのが当たり前な連中なんだ。それで昔から、何度も契約書を突き返したことがある」
「そ、そうなんですか!?」
「今回の契約書は、例えば、こう書いてあったかもな。『魔王討伐が三日以内に完了しない場合は全額没収する。ただし、魔王討伐は四日目を過ぎても完遂すべし』とか」
「……」
「おい! アンリ! マルセル! オデット!」
「「「はい!」」」
「それに、ジャック! ルイーズ! ブリジット!」
「「「はい!」」」
ピカール魔法組合の六人は、ジャクリーヌに怒鳴られ、叱責を覚悟して下を向いた。
「大人が六人もいて、この子がサインした書類を誰も目を通さなかったのか!?」
全員が、無言を貫いた。
それが彼らの答えとなった。
「おい! アンリ!」
「へ、へい!」
「マスター代行だからって、こんなでかい案件に勝手にサインしやがって!」
「す、すんません!」
「この子だけのサインなら、未成年を理由に反故にできたのに。肩書き付きのお前がサインしたら反故にできないじゃないか!」
「す、す、すんません!」
叱責するジャクリーヌは、肺の中を空にするほど長めに煙を吐いた。
「お前ら! この金貨には手をつけるな! 返せ、って言ってくるはずだ! それと、トール!」
「はい!」
トールも、下を向いた。
ぶたれるわけではないが、目までつむった。
「明日、晩餐会や舞踏会は中止って言ってきたら、金貨じゃなく、石ころつかまされたと思って諦めるんだな。夢を壊すようで悪いが、たぶん、中止って言って来るはず。連中は、最初から晩餐会なんかやるつもりなんか、ないだろうよ」
「そんな……」
「そして、見事に仕事だけが残った、ってなるな」
「……」
「白ファミーユを経由しているとは言え、皇帝陛下の依頼だから、断れないぞ!」
「……」
トールは、ジャクリーヌの言葉には多分に想像が入っていると思ったが、書類に目を通さず、言われるままにサインしたので、全く反論ができなかった。
それに、少し前に「白ファミーユは胡散臭い」と思ったばかりである。
こんなときに、彼女からこうも断定的に言われてしまうと、奴らに騙されたと思うのは致し方ない。
彼は前世で、詐欺まがいの話は耳にしたことがあるが、まさか自分自身がその被害者になるとは思っていなかった。
そんなわけで、大金持ちになるという彼の夢は完全に吹き飛んだ。
大金を銀行に預けて利子を増やし、一方でゼロからコツコツとお金を実直に貯めていく異世界冒険計画も、霧散した。
すると、彼女が、カウンターの上に積んであった紙の束を、トール達の目の前に放り投げた。
バラバラと床に散らばる紙には、数々の依頼が書かれている。
「アンヌばあさんが持ってきた、A級ランク以下の依頼だ! トールがやるって言ったから持ってきたんだとよ! 魔法組合の仲間が約束したんだから、全員で手分けしてやれ! アンリ達も手伝え!」
「「「はい!!!」」」
「あ、そうそう。六人の新しい仲間の登録は、こっちでやっておく。カードも後で渡す。そして、トール! お前さん達の宿として、この上の宿屋を使え! ミネット・ダルクには、しばらく宿代をツケにしてくれ、と言え! 部屋の割り当ては、マリー=フランソワーズ=ヴィクトワール・ロシュフォールに聞くように!」
ジャクリーヌの矢継ぎ早の依頼に目を回しながら、トール達は馬車から荷物を降ろして、階上の宿屋へ駆け上がっていった。
さあ、これから依頼をこなさないといけない。
異国の地にて長旅の疲れを取るなんて、のんびりしてはいられないのだ。




