第160話 惚れ薬の罠
トールは、イヴォンヌに別れを告げて、こっそりと部屋を出た。
ぼんやりとした明るさの照明が映し出す廊下には、人の気配がない。
背中でソッと扉が閉まる音がする。
彼はその音を聞いて軽く深呼吸をし、廊下を忍び足で歩こうと左を向いた。
とその時、階段付近に人影がヌッと現れたのに気づいた。
イゾルデだ。
これには、さすがの英雄もギョッとした。
彼は、忍び足で彼女に近づくと、彼女は無言で手招きをして階段を降りていく。
そして、時々振り返りながら、手招きを繰り返し、どんどんと階段を降りていった。
彼は不思議に思い、足を速めた。
そして、彼女はぼんやりとした照明が付いている1階のエントランスに達すると、出入り口方向へ足早に去って行く。
どうやら、城の外へ出るらしい。
彼は彼女を呼び止めようとしたが、あまりに早く走って行くので、無言で追いかけた。
そして、彼が城の外に出ると、突然、彼は身動きできなくなり、声も出なくなった。
瞬きもできず目も動かせない彼の前に、右側からハンサムな男が登場して、真正面に立った。
月が煌々と照っているので、城の中より明るく、顔がよく見えた。
「やあ。僕はトマス・クーゲルシュタイン。見ての通りエルフ族。年少組二年生だよ。僕の簡単な魔法に掛かるとは、英雄もたわいないね。じゃあ、イゾルデ。彼をよろしく」
トマスはそう言うと左側に移動し、今度はイゾルデが真正面に立った。
イゾルデは、スカートのポケットから紫色の小瓶を取り出す。
「これを飲ませて、私も飲めばいいのよね?」
「そうだよ。僕は、この子達に飲ませるから、さっさとやりなよ」
「本当に、一発で効く惚れ薬なんだよね?」
「ジクはそう言っていたよ。即効だって」
「でもさ。ジクムントって信用していいの?」
「何を今更。ジクの命令通りにするんだよ、イゾルデ。ああ、今夜はなんて素敵な夜なんだ。灰色の髪の女の子と金髪の女の子の二人も僕を好きになるかと思うと、嬉しいね」
「何、調子に乗って、二人も捕まえたのさ」
「いいじゃん。ジクは絶対に金髪を連れてこいってうるさいし。君は灰色の髪がいいって言ったし。僕だってハーレムを味わいたいよ」
「ホントのホントに、信用していいんだよね?」
「うるさいなぁ。……じゃあ、僕の方から先に飲んであげるよ。どうなるか見ててごらん」
トールは、動けないので、会話から状況を判断した。
どうやら、ヒルデガルトともう一人の女の子も捕まっているらしい。
おそらく、自分と同じく、身動きができないのだろう。
意図はわからないが、惚れ薬というのを飲ませるらしい。
ということは、二人が飲めば、互いを好きになるようだ。
何をしたいのだ?
すると、トマスが飲み始めたのか、イゾルデが彼の方向をジッと見つめて、半ば疑うように成り行きを見守っている。
「ほら。全然、大丈夫だよ」
「そうなの? 疑ってゴメン」
「ま、ジクムントはあんな怖い顔しているけど、嘘はつかないよ。さあ、この子達に飲ませよう。ぐずぐずしないで、急ごうじゃないか、イゾ……ルデ。……ゲホ! ……ゲホゲホ! うぐっ!! うううっ!!」
「ど、どうしたの!?」
トールの視界からイゾルデが消えた。
おそらく、苦しむ彼を介抱しているのだろう。
だが、すぐにイゾルデの悲鳴が上がった。
その瞬間、トールは動けるようになった。
トールが左を見ると、トマスが道路の上に倒れていた。
トマスは、白目をむいて泡を吹き、すでに事切れている様子だった。
イゾルデがまだ紫色の小瓶を手にしているので、トールはそれを取り上げ、城の壁に叩きつけた。
小瓶は粉々に割れて、紫色の液体が壁に飛び散った。
ヒルデガルトは早くも軍用ゴーグルを取り出し、城の壁まで走って行って、飛び散った液体を眺める。
「これ、猛毒の薬。即効性のある奴。おそらく、飲んだ全員を殺す目的」
イゾルデは、ワーッと叫んでしゃがみ込んだ。
そして、「ゴメンなさい! ゴメンなさい!」と顔を覆って泣きじゃくった。
トールは、彼女の肩に手を置いて慰める。
「おそらく、ジクムントは僕たちを殺した後、犯人の君達も口封じのために殺すつもりだったんだよ。これが、惚れ薬だって騙してね」
「本当にゴメンなさい! 私、……私、あなたに好かれたくて! 惚れ薬を使ってでも!」
「君の心が利用されたんだね」
「惚れ薬を飲ませた後、私達全員で、エルフの森に逃げることになっていたの。私、もう、あのエルフの元には行かない! 怖い! だから、一緒にいていい?」
「ああ、いいよ。仲間だろう?」
「ありがとう!」
「さ、元気を出して」
そこへ、金髪の女の子が会話に割り込んできた。
「今さっき、上から下まで黒ずくめの二人があっちへ逃げていったわ。トマスの仲間のエルフじゃない?」
「なるほどね。ちゃんと犯行が成功するか、現場を確認していたんだな」
トールは、金髪の女の子の指さす方を見た。
ちょうど、黒いモヤモヤした二つの塊が、闇夜に紛れて消えていくところだった。
金髪の女の子がトールの方を向いた。
「ねえ、あんた」
「ん? 何?」
「ありがとうね」
「ああ。どういたしまして」
「名前、なんだっけ? トー? トーロ?」
「トール。君は、なんだっけ? シャ? シャル?」
「シャルロッテ。よろしくね、トール」
「こちらこそ、シャルロッテ。シャルでいいかな」
「いいわよ」
二人は、顔を見合わせて、ニコッと笑った。




