第149話 マッスルの激突
それは一瞬の出来事で、誰もが視認できない速さだった。
巨体のグスタフが宙を跳び、斜め45度の角度から下に突進して、丸太のような腕で岩のような拳を突き出す。
それを中腰のトールが、両手で受け止める。
そういうプロセスを踏んだはずだが、目撃者の証言は「睨み合っていた二人が、次の瞬間、拳を受け止めた体勢になっていた」で一致した。
トールがグスタフの拳を受け止めた衝撃音が、校庭の隅々まで駆け巡る。
目にもとまらぬ速さの強烈な突きだが、驚いたことに、トールは1センチも後退していない。
次は、グスタフが左足で着地して、柱のような右足で蹴り上げる。
それをトールが両手で足の甲と足の裏を挟み、ひねることで左が下になるように横向きに倒す。
これも、あまりの速さ故「拳を受け止めた体勢から、次の瞬間、足をつかまれて倒れていた」で証言が一致した。
グスタフが倒れた振動音が、校庭を転がる。
これでもトールは、足の位置を少しも変えていない。
今度は、グスタフの左足の蹴りが、トールの胸を狙う。
トールは、それを左手のひらで受け止める。
グスタフは、右足を素速く動かすことでトールの右手を払いのけ、転がってから立ち上がった。
巨体とは思えない俊敏さ。
全てが魔力のなせる技なのだ。
グスタフは、軽やかにステップを踏み、ボクシングの構えをする。
「これだけ突きや蹴りを繰り出しても、1センチも動いていないとは、やるな」
「そこは『1ミリも動いていない』と訂正してほしいね」
大地に深く根を広げた樹木のように動かないトールは、ニヤリと笑った。
次の瞬間、グスタフが、1秒間に10連続のジャブを、角度を変えながら繰り出す。
トールはそれらを全て手のひらで受け止める。
どの方向から飛んできても、だ。
グスタフは、それを5秒間繰り返したが、あまりの速さで千手観音のように見えるトールの手が、全てのジャブを受けきった。
「なんて奴だ。柱を叩いているみたいだな」
「ふっ。なんなら、そろそろ動いてやろうか?」
トールは、さらに腰を落として、グスタフの頭めがけて一気に跳躍した。
急接近するトールに対し、両肘を顔の前に立てて防ぐグスタフ。
だが、トールは迂回することなく、右手で正面突破の突きを繰り出した。
「むぅ!!」
ズシンとくる衝撃。
唸るグスタフ。
足場のない空中での突きにもかかわらず、強烈なトールの一撃は、彼の体重よりも重い。
まともにそれを食らったグスタスは、後ろにたじろいだ。
そんな防戦に納得できないグスタフは、トールが着地するのを確認すると、また最初のように斜め45度の突きを繰り出した。
ところが、これを食らう、もしくは受け止めるはずのトールが視界から消えてしまう。
勢いが止まらないグスタフが体勢を崩すと、背中から重量感のある蹴りが入った。
少し跳躍して横から回り込んだトールが、巧みに体を回転して繰り出した、豪快な回し蹴りだ。
「がはっ!!」
グスタフは、顔からつんのめり、しこたま砂を噛む。
「なんだ。魔法で体を大きくしただけの、風船玉みたいな巨人だな」
尻の辺りから聞こえるトールの言葉で、グスタフは血管が切れるほど頭に血が上った。
「てめえ! 叩きのめしてやる!」
不格好に起き上がったグスタフは、トールを探すが、視界に映らない。
「ちょこまか動くな!」
グスタフは、周囲を見渡し、拳を振り上げて苛立つ。
ところが、「キョロキョロすんなよ」というトールの声が降ってくる。
声のする方を見上げたグスタフが、急接近するトールを確認したときはすでに遅かった。
額に強烈な蹴りが入ったグスタフは、仰向けに倒れた。
少し意識が飛んだグスタフは、「来いよ」というトールの声でハッとした。
彼は、首を右に左に、肩を上下に動かして立ち上がった。
トールは、度が過ぎるとは思ったが、きつい挑発を繰り返す。
「12ファミリー流に言うなら、『なんだ、まだ首がつながっているじゃねえか』だな。どうした? もう終わりか? かかってこいよ」
「絶対に許せねぇ!」
グスタフが憤怒の表情で、瞬時にトールへ突進し、今度はストレートを繰り出した。
だが、腕の先にはトールの姿はなく、すでに懐に飛び込まれていた。
トールは、宣告する。
「特待生は六人いるから、人数分な」
一発目。
グスタフは、みぞおち付近に重いパンチを食らい、体がくの字に曲がって、宙を浮く。
二発目。
グスタフの顎が跳ね上がり、拳を振り上げたトールは勢い余って3メートルほど跳躍する。
三発目、四発目。
跳躍しながら繰り出すトールの回し蹴りで、グスタフの頭が大きく左右に揺れる。
五発目。
顔面への蹴りが見事に入り、グスタフはよろめく。
「まだ倒れちゃ困るんだよ! これは記憶をなくしたシャルの敵討ち!!」
六発目。
トールの渾身のストレートがグスタフの体の中心を捕らえる。
すると、グスタフの体はコの字に折れ曲がったまま、人間ロケットのように飛んでいった。
その巨体は30メートルほどの放物線を描き、地面の上で鞠のように跳ねた。
そして、彼は仰向けになったまま動かなくなった。
「おっと、もう一人いた。アーデルハイト先輩の分もな」
トールは、瞬時にグスタフのそばに走り寄り、左手で胸ぐらをつかんで、軽々と上半身を持ち上げた。
七発目。
彼が大きく振りかぶった右の拳が、ピッチャーが剛速球を投げるようなスピードでグスタフの顔面に直撃した。
ぐしゃっという音がしたかと思うと、グスタフの上半身は勢いよく倒れ、彼の後頭部が耳まで地面にめり込んだ。
そして、敗者はピクリともしなくなった。
突然、嵐のような拍手が巻き起こった。
またもや、英雄への賞賛だ。
歓声が上がる。
口笛も鳴る。
全員の賞賛を浴びる中、トールは最後の相手である私闘の張本人フェリクスの姿を探した。




