第146話 シャルロッテの彗星の一撃
アンジェリーナは、シャルロッテの背後に回って、そこから両手を回し、だらんとさがった彼女の両腕をつかむ。
「さあ、泣くのはやめて、両手を前に出して」
シャルロッテは、軽くうなずき、言われるままに両手を前に出した。
すでに、手のひらはカルルの方向へ向いている。
「もっと、力を入れて目一杯伸ばしてね。左足は前へ。腰はちょっと低めに。そうそう。魔法の衝撃が凄いから、やや前傾姿勢になって、倒れないようにしてね」
「こうですか」
「そのくらいね。じゃ、今から始めるわよ」
「はい。でも、竜巻はどうするの?」
「こんな子供だましみたいな魔法は、あなたの強力な魔法で簡単に壊れるわよ。まず、彗星のイメージを持って」
「何それ?」
「あらあら。通じないのね。星に尻尾が生えたような形をしているものよ」
「ああ、あれね。絵本で見たことがあるわ」
「それを相手にぶつけるの。体の中の魔力を手のひらに集めて、特大のものをイメージしてから『巨大な彗星』って、力強く叫んでね」
「はい」
シャルロッテは、夜空に浮かぶものよりも遙かに大きな彗星をイメージした。
これを魔法で具現化して相手にぶつけるのだ。
その前に、今まで見てきたトールの技、敵の技を思い返す。
彼女は、自分もあんな強力な魔法が使えるようになるのかと思うと、ワクワクしてきた。
そして、イメージが固まった。
魔力の準備もできた。
彼女は全神経を手に集中し、力強く魔法名を叫ぶ。
「巨大な彗星!!」
すると、彼女の手の先に、直径2メートルもの七色に輝く幾何学模様と古代文字の魔方陣が現れた。
そして、そこから、魔方陣と同じ直径の光の球が出現した。
初めはゆっくりと出てきた光の球だが、すぐに加速を始め、竜巻に突進する。
あまりに大きすぎて全体が見えなかったが、球が竜巻を突き抜けた頃には全身を現した。
それは、大量の金粉をまき散らすかのように輝く、長い尾を持った巨大な彗星だった。
カルルは、はじめ、腕組みをしながら左手で顎の辺りをなで回し、三つの竜巻を眺めてニヤニヤしていた。
そして、魔法の成果が出る頃まで暇なので、よそ見をしていた。
ところが彼は、左側にある竜巻の方角から強烈な魔力を感じ、ギョッとしてそちらに目を移した。
と突然、竜巻を掻き分けて、大きな光の球が飛び出してきた。
何かの攻撃を受けた、と思ったときには、すでに遅かった。
瞬時に目の前に広がった光の壁が、カルルを押しつぶそうとする。
「うわっ! 何だ……これは! ……畜生! う……動けない!」
カルルは、光の球を抱え込むような体勢になった。
そして、なぜか、体が張り付いた形となり、逃げることができない。
それでも彼は、力尽くで球を押し返そうとする。
しかし、いくら足で踏ん張ってもグイグイと押されてしまう。
1メートル、2メートルと、等速運動のように後退する。
前傾姿勢を取って渾身の力を振り絞っても、それは変わらない。
光の球は、ついに根負けしたカルルを容赦なく飲み込むと、速力を早めた。
そして、まっしぐらに校庭のフェンスへと突進する。
校庭の上を、帚星が水平に駆け抜ける不思議な光景に、目撃者全員が釘付けになった。
だが、進行方向にいる生徒達は、たまらない。
彼らは巻き込まれないよう、転がりながら避難した。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!
彗星は、フェンスに激突して、大爆発を引き起こした。
震動する大地。
鼓膜が破れるのではないかと思うほどの爆発音が、周囲にこだまする。
巨大な光が消えてまだ残響が残る中、全員が、破れたフェンスに引っかかるぼろ切れのようなカルルの姿を目撃した。
トール達三人の竜巻は、術者の敗北で消え去った。
咳き込むトールとヒルデガルト。
地面に倒れ込んだシャルロッテ。
アンジェリーナは、いつの間にか、煙のように消えていた。
トールは竜巻から解放され、周囲を見渡す。
そして、何が起きたのか理解しようとした。
シャルロッテが倒れている。ヒルデガルトは無事のようだ。
カルルは、遠くの方で倒れている。
ということは、勝ったのだ。
誰が戦ったのだろう?
それより、倒れているシャルロッテを助ける方が先だ。
トールは、シャルロッテをお姫様抱っこのようにかかえると、イヴォンヌ達の方へ走っていった。
すると、途中でシャルロッテが目を開けたことに気づいたので、彼は立ち止まった。
「大丈夫? 何があったの? カルルが倒れているみたいだけど」
シャルロッテは、心配するトールを見上げながら、眉間にしわを寄せる。
「誰?」
なんという冷たい声。
いつもの話し方ではない。
トールは、戸惑いながら答えた。
「誰って、カルルが――」
「じゃなくて、あんた」
「え? あんたって?」
「そう。あんた、誰? ねえ、降ろしてくれない? 知らない男の人に抱かれるなんて、気持ち悪いし」
その言葉を聞いたトールは、シャルロッテが記憶喪失になったと思って、愕然とした。
いつまでも彼が降ろそうとしないので、彼女は「いい加減、降ろしてよね」と言って、足から滑るように地面へ降り立った。
そして、「あっ! イヴォンヌ! イゾルデ!」と手を振りながら、彼女達の方へヨロヨロと歩いて行った。
この彼女の不可解な行動。
記憶喪失ではない。
なぜなら、彼女はイヴォンヌ達を知っているからだ。
シャルロッテの後ろ姿を見送るトールは、放心状態になった。
周囲のざわめきも聞こえない。
風の音も聞こえない。
ただただ、「あんた、誰?」と彼女のいぶかしがる声だけが、耳の中でリフレインのように鳴り響いていた。




