第145話 かけがえのないものを失うとき
「来たれ! 気高き天空の精霊よ!」
シャルロッテは、天を仰いで叫ぶ。
だが、何も起こらない。
口を押さえているから聞こえないのか?
彼女は左手を外し、口を開けた。
口内に容赦なく土砂が入り込む。
それに構ってはいられない。
彼女は声の限り叫ぶ。
「来たれ!!! 気高き天空の精霊よ!!!」
すると、彼女の足下に、直径1メートルほどの金色に輝く光の輪が現れた。
それが上に向かってゆっくりと、筒状に伸びていく。
さらに、その筒は横方向にも広がり、竜巻を外へ押し広げる。
たちまち、彼女と竜巻の間に直径5メートルの空間ができた。
光の筒はそのまま上昇し、彼女の姿を隠しても伸び続け、5メートルくらいの高さになって止まった。
そして、その筒はさらに輝きを増した。
やがて光は消え、彼女のすぐ目の前に金髪灼眼の女性が現れた。
白いドレスを纏っている。
あの天空の精霊、アンジェリーナである。
彼女達の周りでは土砂が渦巻いている。
しかし、二人が立つ空間は、塵一つないほど空気が澄んでいるし、不思議と、衣服が風で揺らめくこともない。
アンジェリーナは、にこやかに笑い、右手でシャルロッテの頬をなでる。
「あら、こんな怖い顔をして、どうしたの?」
シャルロッテは、挨拶抜きに、アンジェリーナのその右手を両手で握りしめる。
「お願い、アンジェリーナ! みんなを助けたいの! 力を貸して!」
アンジェリーナは、ちょっと首をかしげた。
「私を呼び出すということは、緊急事態なのね?」
「そう! 竜巻で息ができないの! みんな今苦しんでいるわ!」
「この竜巻を消せばいいのね?」
「それだけじゃなくて、この竜巻の魔法をかけている男を倒したいの! 彼は12ファミリーの序列一位で、もの凄く強くて、トールの魔力も温存したいし――」
「そんなに興奮しないで。つまり、竜巻を操る男を倒したいのね」
「そうなの!」
「……ええ、いいわよ」
「ありがとう!」
「勝利の対価をいただくけど、それは知っているわよね?」
「は、はい! 契約の時に聞きましたから。それで、何をあげればいいの?」
「あなたの大切な思い出」
「……」
シャルロッテは絶句した。
(大切な思い出。
それは当然、あの思い出に決まっている。
しらばっくれて、『何の思い出?』と聞いてみようかしら?
でも、言葉に出されるのが怖い。
どうしよう……)
彼女の逡巡は、アンジェリーナの無慈悲な言葉に遮られる。
「それが何かは、わかるわよね?」
「!!」
「トールとの思い出をいただくわ。いいわね?」
「!!!!」
彼女の心臓がズキンと音を立てる。
次に襲う、心が引き裂かれるような痛み。
声に出してほしくなかったその言葉が、彼女の頭の中でこだまのように鳴り響いた。
堪えきれない感情が、喉にまで上ってくる。
唇が震える。
すると、目尻に泪が浮かんできた。
それが下の眼瞼をつつっと伝い、目頭にたどり着く。
ほどなく、泪は満ちあふれ、頬を伝う大粒のしずくとなる。
彼女は首を横に大きく振り、力なく視線を落として、深くうなだれた。
今度は、雨粒のような泪が地面を濡らす。
声にならない嗚咽で、彼女の全身が小刻みに揺れた。
「いやなら、帰るわよ」
「……待って!」
シャルロッテは、赤く腫らした眼をアンジェリーナに向けた。
そして、クシャクシャになった顔を腕で強くこすり、決意を固めた表情で答える。
「それでいいわ」
アンジェリーナは、両手でシャルロッテを抱き寄せた。
それに応え、彼女の胸に顔を埋めて嗚咽するシャルロッテ。
アンジェリーナは、泣きじゃくる少女の背中を優しくさすりながら、耳元でささやく。
「では、あなたへ、とっておきの魔法を授けるわ」




