第132話 脱出した人質
「おいおい、お前達。戦いの最中だというのに、公衆の面前で、熱々ラブラブだな。見ている方が恥ずかしくなるぜ」
ドーベルマンのギュンターのからかう声がする。
ちなみに、ローテンシュタイン語でも、ラブラブは同じ発音だ。
「悔しいほど見せつけてくれるな」
これは、エレオノーレだ。
それらの声が耳に飛び込み、トールはハッと目が覚めた。
目の前には、眼をまん丸にしたシャルロッテの顔。
彼女も声に気づいたのだ。
二人はカーッと顔を赤らめながら、唇を離した。
彼らはキスの最中に、ギュンターの魔法によって、抱擁した体勢のまま穴の底へ連れ戻されたのだ。
「お嬢。もう少し時間があれば、あのくらい動くアバターができて、完全に惑わすことができたのに」
「それは残念だな。アバター相手に抱き合ってくれたら、大爆笑だったのに」
二人のからかいは収まらない。
トールは、首から上に血液が充満し、顔の全ての毛穴から湯気が出る気分だった。
と同時に、初体験を嗤われて、憤りでサラサラヘアが逆立ちそうになる。
でも、イヴォンヌがそばにいなかったことには、ホッとした。
自分の仮説が立証されたからだ。
つまり、ギュンターの魔法は、遠く離れた者をまとめて一緒に移動できないのである。
一方、シャルロッテの方は、早くも冷静さを取り戻した。
この窮地を脱しようと、彼女は「レイピア!」と叫んで立ち上がった。
そして、彼女の魔方陣から出現させたレイピアを左手で握り、エレオノーレ達に向かって突きつける。
「何よ! キスくらい、朝の挨拶代わりよ! あんた達は、おはようのキスはしないの?」
「ハハハ! おはようのキスだとよ。今は昼過ぎなのに。笑わせるぜ!」
ギュンターは、エレオノーレと顔を見合わせて爆笑する。
「んもー! 男のくせに、細かすぎて伝わらないわよ! キスをするの!? しないの!?」
「そんなことより、ここでそんなたわいのない話をしていたら、最後の一人が落下するぜ。いいのかい? もう30秒が過ぎた頃だが――」
そう言ってトール達を見下ろすギュンターの視線が、穴の底から校庭の方へと移動した。
その途端、ギュンターはギョッとして跳び上がった。
「お、お前達! どうして、そこに!?」
トールとシャルロッテは、ギュンターの目線を追って振り返り、上を見上げた。
「ヒル! マリー!」
シャルロッテが、喜びの声を上げて、手を振る。
「マックス!」
トールも、にこやかに笑って手を振った。
なんと、穴の縁で、ヒルデガルトがトール達に両手を振っているではないか。
その隣でマリー=ルイーゼが、黒猫マックスを抱えて下を覗き込んでいる。
ギュンターは狼狽えて、大声で悔しがった。
「そうか! ……畜生! 閉じ込めた部屋に張ったハンスの結界が消えて、抜け出したな!?」
マリー=ルイーゼが、トールに向かってウインクしながら声をかけた。
「空中にいるのは、ヒルのアバター。つまり、偽者だよ。本物はここ。他の二人は、あいつらに見つからないところで隠れていて、無事だから。安心して戦ってね。……そうだ。マックスが話があるって」
黒猫マックスは、マリー=ルイーゼの腕から飛び降りると、穴の縁から滑るように、トールの所へ駆け下りてきた。
トールは、その姿を見て、一抹の不安を覚えた。




