第108話 幻影城
トールは、自分が開けた大穴を通り過ぎたところで立ち止まった。
アーデルハイト達は、彼の背中から顔を覗かせる。
イゾルデとの距離は10メートル程度。
「ねえ、イゾルデ。なんで僕達と一緒に行動しないで、そこに立ったままなんだい?」
「……」
イゾルデは彼の問いを聞き流し、無言でニヤニヤしたままだ。
「イゾルデに誰かが乗り移っている」
トールの背中に隠れていたヒルデガルトが、着用している軍用ゴーグルを右手でちょっと持ち上げながら、小声で恐ろしいことを口にした。
全員に緊張が走った。
すると、イゾルデがやっと口を開いた。
「なぜ立っているかって? それは、私が無視されて、気分が悪いからよ。いつもいつもそうじゃない? みんな仲良く、そうやって男の周りにまとわりついて。イチャイチャして。男は男で、鼻の下を長く伸ばして」
声がまるで違う。もちろん、話し方がイゾルデのそれではない。
アーデルハイトが、その声を聞いてビクッとする。
「あなた、三女のマルガレーテ・ケーラーね!? 年中組一年の幻影使い」
「さすがはアーデルハイト・ゲルンシュタイン。括弧、平民出身の剣闘士。まあ、声が違うので見破るのも簡単でしょうから、正解しない方がおかしいわね。……いかにも、私は12ファミリー序列四番手ケーラー侯爵家の、三女マルガレーテ・ケーラー」
アーデルハイトは、ムッとした表情で彼女を睨む。
「名前に『括弧、平民出身の剣闘士』は余計よ」
「あら。ろくに魔法も使えず、剣だけは達者で、そんなに泥だらけで畑仕事に精を出して今帰ってきましたという格好の女が何を言うかと思えば」
「泥だらけになったのは、ケートと戦ったからよ!」
「ああ、ケートの泥人形と一緒に遊んでいましたわね。では、今度は私の世界で遊んでいただきましょう。さあ、どうぞ、こちらへいらっしゃい」
「そんなことより、イゾルデに乗り移るのはやめなさい! 今すぐ彼女を解放して!」
「何馬鹿なことを言っているの? 人質をそう易々と解放するものですか。こうしていれば、あなた達は私を攻撃しようとすると、この子を攻撃することになる。どう? 頭いいでしょう?」
「それは卑怯よ!」
「あなた達お馬鹿さんは思いつかなくて、さぞ悔しいでしょうね。……さあ、私の世界にご招待しましょう。ようこそ、幻影城へ!」
彼女がそう言い終わると、不思議な出来事が始まった。
マルガレーテと周囲の木々も曇天も地面も大穴ごと、全てが煙のように消えて、全方向が灰色一色に包まれた。
それから、夜の帳が降りてくる。
天空に広がる、やや人工的な星空。
それはまるで、プラネタリウムを見ているようだ。
地面は夜の色に合うように、墨一色になる。
辺りから秋に鳴く虫の音が聞こえる。
時折、フクロウの声が混じる。
平和な夜。
とその時、近くに小さめの城が、ポウッと浮かんだ。
月明かりもないのに、闇の中でうっすらと姿を現した城は、おとぎの国のそれに似ていた。
「今見えているものは、全部が幻よ! 聞こえている音も偽物! 気をつけて!」
アーデルハイトは、トール達に警告しながら、周囲を見渡す。
「「「はい! 先輩!」」」
トール達も同じく警戒しながら、ハキハキと答えた。
その時、トールは、近くにいた黒猫マックスを抱きかかえ、耳元で何やら言葉をかけた。
すると、黒猫マックスは地面に飛び降り、いずこともなく走り去った。
「さあ、いらっしゃい。何、立ち止まっているの? こちらからお迎えに上がりましょうか?」
姿が見えないマルガレーテの声。
何やら語尾に含み笑いを残しながら、闇夜にこだまする。
それが合図だったのか、城の扉がギイイイイイッと開き、まばゆい光がキラキラ輝く粒をまき散らしながら飛び出した。
アーデルハイト達は、暗闇で強い照明を当てられた状態になり、額に手をかざし、思わず目を閉じる。
とその時、城ごと彼らの方へ近づいてきた。
迎えに上がるとは、そういうことか!
扉はまるで、獲物を飲み込む口。
それが、嬉々としてバタバタと揺れ、立ちすくむ彼らに迫った。




