第107話 敵は身内にいる
「漁師が漁に出ないで帰る、ということは、逃げたってことか」
トールは悔しがって唇を噛んだ。
横から覗いていたシャルロッテも悔しがる。
「さっさと逃げるなんて、卑怯よ! 弱虫よ! あのシュテファニーだって、トールと生身で正面からぶつかったじゃないの!」
「炭焼人か。……先輩。この人、誰のことかわかりますか?」
トールは紙片に落としていた視線をアーデルハイトへ向けると、そこには彼女の引きつった顔があった。
「この名前はポピュラーなので、魔法学校には十人近くいるけど、12ファミリーとなれば、序列四番手のケーラー侯爵家ね。年長組の三年から一年まで一人ずついるわ。長女か、次女か、三女かはわからない。どれも同じくらい強いの」
「誰が来ても大丈夫よね?」
イヴォンヌが甘い口調で、またトールの右手にまとわりついた。
負けじとシャルロッテが左手にまとわりつく。
「当然よ! 聞くまでもないわ! 今のトールは誰にも絶対に負けないわよ!」
二人はトールを挟んで睨み合った。
トールはだんだん前世の修羅場の延長戦を異世界でやられているような気分になり、話をそらすことにした。
「そういえば、泥人形が突然崩れたけど、あれって、もしかしてヒルの魔法の攻撃?」
急にトールが魔球のような変化球で話を振ってきたので、ヒルデガルトは大いに面食らう。
そして、軍用ゴーグルの中で目をぱちくりしながら、うんうんとうなずく。
「何をやったの?」
「図書館で読んだ古い魔法の本に書いてあった」
「いやいや、出所はいいから、どんな魔法?」
「放水砲の魔法」
「へええ。どうやるの?」
「こう構えて――」
「こう?」
「ちょい、違う。こう。……それ、微妙に違う。こう」
「細かいねぇ。こう?」
「そうそう」
「なーんだ。前世のアニメで見たドラゴンバルの――」
ローテンシュタイン語では、ドラゴンボールはドラゴンバルと発音するので、彼はそれに従った。
「いや、それとはちょっと違う」
ヒルデガルトもあの有名なアニメは知っていたようだ。
などと言いながら、ヒルデガルトから放水砲の魔法の構えを伝授してもらっていた彼は、今度は周囲の嫉妬が彼女の方へ向かっていることに、まるで気づいていなかった。
そうこうしているうちに、急に空が暗い雲で覆われた。
まるで、灰色の厚手のカーテンを閉めたかのようだ。
不思議そうに空を見上げるトール達。
当然である。天候が変わるには、あまりに急すぎるのだ。
とその時、アーデルハイトは眉をひそめて遠くを見る。
「そういえば、あの子。ずっとあそこに立っているけど、どうしたのかしら? あなた達と仲が悪いの?」
皆は一斉に、彼女の視線の方向を向く。
その先は、自分たちが最初に立っていた場所だ。
どういうわけか、そこにイゾルデが突っ立ったまま。
そういえば、ケートが倒れていた現場の検分にも参加しなかった。
彼女は、一体何をしているのだろう?
右手に指輪をはめて直感力が高まっているトールは、さっきからイヤな予感がしている。
そこで、黒猫マックスに日本語で未来を見てもらうことにした。
「マックス。ミライデ ナニガミエル?」
意味不明な言葉を発するトールにアーデルハイトは首をかしげた。
「アアン? ヨチカ?」
それに対して猫がしゃべったので、彼女は仰天した。
「あ、先輩。この猫、マックスっていいますが、しゃべる猫です。僕の使い魔です。怪しくありませんから」
「それ猫語?」
「いえ。なんて言っていいのか……」
「オイ、コゾウ。ワケノワカラナイ フシギノクニヘ ツレテイカレルゾ」
「ナンダイ ソレ? フシギノクニノ アリスジャアルマイシ」
「アリス? ソンナヤツ シランガ、ソレヨリ、ツレテイカレタクニデ メチャクチャ ツヨイオンナガ アラワレル。ジュウヲ フリマワス」
「ナンダッテ!? ソノオンナッテ ダレ?」
「アソコニイル オンナヨ」
「エエエ!!」
トールはもちろんのこと、シャルロッテ達も顔が青ざめ、イゾルデの方を凝視した。
アーデルハイトは、不思議の連続で呆けた顔をしている。
「あなた達も、この猫の言葉がわかるの?」
「ええ。詳しい事情は後で。それより、次の敵がわかりました。この黒猫マックスが教えてくれました」
「本当に!?」
「あそこにいるイゾルデだそうです」
トールの指さす先を見た絶世の美女は、顔を台無しにするほど目を丸くする。
「うそっ!」
「嘘みたいですよね? 敵が身内だったなんて」
ところが、トールは自分でそう言いながらも、それが間違っているような気がしていた。
普段のイゾルデは、初歩的な魔法しか使えない。
みんなとちょっと距離を置いているが、仲が悪いほどではない。
いつもおどおどしている。
しかし、向こうに立っているイゾルデは、仁王立ちしていて、何やら自信に満ちあふれている。
「……なんかおかしい。いつものイゾルデと違う感じがする。ヒル。彼女が本物か見えるかい?」
「遠すぎてわからない。でも、アバターではない。人体反応ある」
「そうか。……なら、確かめてみよう。もしかして、誰かが化けているかもしれない」
彼はそう言って、イゾルデに向かって歩み出した。
「おそらく、ケーラー一族の誰かが化けているかもしれないから、気をつけて。みんな、僕の後ろに隠れていて」
アーデルハイト達はうなづきながら、トールの言葉に従った。
そして、シャルロッテとマリー=ルイーゼは、歩きながら小声で魔法名を口にし、それぞれレイピアと炎の剣を手に構えた。




