第106話 闘士交代
静寂を破ったのは、アーデルハイトの熱烈な拍手だった。
「凄いわ! 本当に凄いわ!」
彼女は、後ろからトールに近づいた。
トールは12歳の少年。アーデルハイトは15歳。
彼より頭一つ背が高くて八頭身の彼女が近づくと、否が応でも、姉と弟に見えてしまう。
本当なら、彼女は彼の後ろから抱きつきたかった。
だが、人前なので遠慮し、彼の両肩へ手を置いた。
それを見たイヴォンヌは、素速く走り寄り、彼の右腕に両方の腕を絡めてきた。
「なんて頼もしいのかしら。これこそ英雄よ」
そして、自慢の胸を彼の右腕に押し当て、耳元で「いいえ、冒険者ね」と囁く。
冒険者。
彼はその言葉にときめきを感じた。
なぜなら、彼の夢は、この異世界で最強の勇者になること。
ローテンシュタイン語では、英雄も勇者もヘルトだが、彼のイメージは勇者イコール冒険者だったのだ。
見せつけられてはシャルロッテもマリー=ルイーゼも黙ってはいない。
彼女達は剣を魔方陣の中に納め、バタバタと駆け寄るが、シャルロッテが一歩早く勝利した。
彼女は彼の左腕に両方の腕を絡め、小さな胸をグイッと押しつけた。
「やっぱり、トールはこうでなくちゃ。さすがよね。なんか、一段と強くなったみたい」
彼女は金髪のツインテールを揺らしながら、彼の左肩に頭を置いた。
両手どころか背中も花のトールだが、賞賛への礼もそこそこに、「向こうへ行ってみよう」と提案する。
なぜなら、ケートはまるで動く気配がないからだ。
彼としては彼女を懲らしめたつもりだった。
だが、万一死んだとなると、行き過ぎた正当防衛、と言われかねない。
二人に腕を組まれたトールはビクビクしながら、アーデルハイト、そして黒猫マックスを従え、検分に向かう。
底が暗くて見えないほど深い地割れ。
彼らは、それをチラチラ見ながら歩いた。
トールの恐ろしい力がなせる技。
その地割れが、林のそばまで達している。
何十メートルも。
本当に、剣圧でこんなことができるのか?
できるとしたら、トールは、持てる能力をどこまで引き出したのか?
実は、この時点で、潜在能力の30%から一気に50%まで引き上げたのだ。
しかし、周りはおろかトール自身も気づいていない。
彼は戦う度に強くなっていく。
12ファミリーが彼を潰そうとして、皮肉なことに、彼の力をどんどん引き出しているのである。
さて、彼らの足取りが徐々に鈍ってきたようだ。
倒れて動けないふりをしているケートが、突然立ち上がることを警戒したのもあるだろう。
一方で、息絶えたケートを見るのが怖いという思いもあるだろう。
彼らは林の中を恐る恐る歩いた。
彼女が飛ばされたときになぎ倒された木は、彼女が受けた衝撃を物語る。
近づく、黒いローブに包まれた肉体。
それは、微動だにしない。
トールが、ケートの間近に立った。
彼女は足を投げ出し、腕をダラリと下げ、木にもたれている。
黒いフードが顎までかぶったままで、全く顔が見えない。
彼は恐る恐るフードをつまんで持ち上げた。
白い肌の顎が見えた。
さらに持ち上げる。
「うわあっ!」
「きゃあー!」
全員が恐怖におののいた。
次に見えたのが、唇に縁取られ、歯をむき出しにし、血を吐いてカッと開かれた口だったのだ。
トールは思わずフードを下ろした。
「先輩! 彼女は死んだのでしょうか!?」
アーデルハイトは、こんな時こそ後輩の前で先輩の勇気を見せたかったのだが、恐怖におののき、声が出ない。
とその時、ヒルデガルトがボソッと言葉を口にする。
「これ、人じゃない」
彼女を除いた全員が、キョトンとした顔を声の方へ向ける。
注目を集めた彼女は、軍用ゴーグルのずり落ちを直しながら追加の言葉を口にした。
「これ、アバター。人体の反応がない」
人ではないなら、マネキンと同じ。
トールは恐怖心が消え、ケートのアバターの黒フードを一気にまくり上げた。
ゾッとする光景が、全員の目を背けた。
顔に鼻がなく、穴だけが二つある。
眼球の周りの肉が溶けて、目の玉だけ浮いている。
ゾンビのようなアバターの顔。
何の意味があるのか?
ケートはこれを見せて、驚かせよう、人殺しを後悔させようとでもしたのだろうか。
「何か握っている」
ヒルデガルトがアバターの右手が握っている白いものに気づき、それを手に取った。
紙片のようだ。
彼女はそれをちらっと見て、トールへ渡した。
それにはこのように書かれていた。
『漁師から伝言。今日は突風が吹いたので漁に出ないで帰るという。私闘を託された。炭焼人』




