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俺に負担が無いようにと気を遣ったのだろう、割と直ぐに、俺の方を振り向き振り向きしながら、皆部屋から出て行った。
妹か弟か解らない(いも弟としておこう)子供は、母親らしき人と一緒に俺を看病すると言って長いことごねたが、母がなにやら言い含めると、渋々ながら、部屋から出て行った。
「パールはねぇ、毎日私やお父さんに聞いてたの、兄さんはどこ、どこ?って。ザックにもの凄く懐いてたから、その分反動が大きかったんでしょう。」
「屋敷も、何だか何時もより静かになってしまって。使用人達も、ぼっちゃまは…とか、あなたのことを気に掛けては、私にしまった、って顔をするのよ。そしたら私はこう返すの、あの子は何処に行っても元気よって。絶対元気よって。」
「お父さんもね、寝てるときにうなされる様になってしまったの。ザック、何処だって言うのよ。私はお父さんを撫でながら、大丈夫、大丈夫、生きてるわって慰めたら、落ち着くのよ。ふふ、私はすごいお母さんでしょう。信じてたのよ、本当に、あなたは帰ってくる、元気で、前よりも大きくなって帰ってくるって…」
楽器みたいに高くて、けれど優しい響きで彼女は話し続けている。その優しい一言ごとに、俺はなぜだか縮こまって行くような気持ちになった。
なぜだか、か。もうとっくに解っている。(コイツ)は愛されている。俺はそんな愛されているヤツの代わりになってしまった。喋れるようになったら、なんて言って慰めてやれば良いんだろうなぁ。
息子さんの体はそのままですが、俺はあなたたちの息子ではありません。こんな風に言って、どうするんだ?誰も得しないしなぁ。
特に俺が。腫れ物みたいに扱われるだけだ。やっぱり記憶喪失って言う設定でいこう。――何時まで?
情報がなさ過ぎる。判断が出来ない。感覚や感情で動くには、危険が多すぎる。いや、そもそも危険があるのか?
――めんどくさい。成り行きだ。それしかねぇ。なるようになるって言うか、なるようにするって言うか、そんな感じ?オウイェーィ!
駄目だ、混乱してきた。それにさっきから酷く眠い。
右手は緩く、でも確かに握られている。この暖かさのお陰だろうか、本当に何とでもなるような気になってくる。
推測でしか無いが、このやけに広い部屋を持っていて、そこらの家具の明らかに高級そうな様子、使用人がざっと10人以上いるらしい、お金持ち一家は、温情は持ち合わせている。そんな気が大いにする。
だから明日の俺に全部任せよう。明日になれば歩き回れるようになれるような、そんな気もするし。全部推測でしか無いが。
「あら、眠たくなってきた?いいのよ、しっかり眠って。皆、あなたの声が聞きたくて仕様が無いのよ。だから、しっかり眠って、なるべく早く、良くなってね。私は此処にいるわ。」
――意識が揺らめく。一瞬右手の暖かさが消え、天井に吊されたシャンデリアの明かりが消えると、また右手に熱が戻ってきた。
「ありがとう、帰ってきてくれて、ありがとう。」
薄らぐ意識の片隅で、そんな言葉を聞くと、なぜだか泣きそうになった。眠りはすぐにやってきた。
~使用人 谷咲潤~
騒然としていた屋敷の中は、今や静まり返っている。ボスの下へ向かいながら、纏めた終えた報告書を何度も見返す。私は未だ事態を正確に把握できていない。
長い廊下を進み、ボスの部屋の前に辿り着くと、衣服の乱れと髪を整える。
何時でも、この部屋に入るのには緊張させられる。扉をコンコンと三回叩き、声が震えないように努めながら名乗る。「谷咲です。ボス、報告に参りました。」
まもなく響く声、「入れ。」
いつも通りの儀礼を終えると、ボスは直ぐに「報告書をくれ。」とだけ言った。
何時もと変わらない、涼しい顔、声。何故こうも―――
「かしこまりました、ボス」
両手で差し出した二枚のA4の紙を、彼は片手で受け取った。
それからは、沈黙の時間が続いた。
今件について判明した状況の報告
2020年4月6日 AM1130
庭師チャンドラー、洗濯番シシイの2名が非番の為、街に出かけ、昼食の場所としてあるカフェに入った。談笑中、突然席に近寄ってきた、2人曰く、恐らく魔族の者が、今から30分後、お前達の家の最も大きい門の前に、玩具を落とす。とだけ言って直ぐに去った。2人は怪しく思い、しかし報告するほどの火急性を感じなかった。妥当と思われる。疑いつつも確認の為、昼食後直ぐに帰宅。
PM1300、南門にて、横たわるザックを発見。家の者は誰も気がつかなかった。2人は急ぎザックの現況を確認。呼吸は明らかに薄く、高熱、瀕死の状態。チャンドラーはザックを病院へ。シシイは緊急医への連絡、出張中のユーザック殿への報告、アンナ夫人への報告を済ませ、病院へ。
PM1320、病院へ到着。担当医ヒポクトの見解は、何故生きているか解らない、手の打ちようが無い、と言うものだった。熱は人間の限界を超え、内臓が酷く傷ついている。解熱剤を飲まそうにも、嚥下能力は無く、胃に直接投与しても、この損傷では消化できない。
そもそも手術を出来る体力を持たない、何故なら、人間が生命活動を出来るはずが無い状態だからである、この体温、この内臓損傷で、何で生きているのか、彼では、いや現在の我々の医では解明できない。
ヒポクトはその後、魔医術ヒーリング等、様々な手段を尽くすが、頓挫。
PM1330、アンナ夫人、シシイ、パール、ドライバーの室生が病院へ到着。待合室へ。
PM1600,ザックの体表面から、発光を確認。周囲に害無し。3分程度で、発光が停止。ヒポクトがザックを診察すると、熱は多少あったものの、平熱より少し上程度。内臓の損傷が回復。明らかに容態が良くなった。結果的に、症状は風邪程度のものに。しかし、意識の回復は無し。経過観察。
PM2145、ユーザック殿到着、ここからはご存じの通り。
追伸
南門に、恐らく転移関係の魔術に使用されたと思われる、精緻な細工の剣を発見。
剣の部分に文字が彫ってあり、内容は我らヤーポン人の諺、「後悔先に立たず」
お庭番 谷咲
私は直立不動の姿勢だったが、報告書を読むボスをちらりと盗み見た。
先ほどザック様の部屋で見せた、涙をうっすらと滲ませた表情は、微塵も其処に留まっていなかった。
何故こうも―――私に隙を見せるのか。
「谷咲君、仕事が早くて何時も助かるよ。今日はもう上がってくれ。明日、非番だろう?ゆっくりしてくるといい。」
「ありがとうございます。ボスも良きところでお休みください。それでは、失礼いたします。」
回れ右をして出口に向かう。扉に手を掛けた瞬間だった。
「……証拠は見つけられたかい?」
私は振り向かず出て行った。
手に、額に、脇に、冷たい汗が湧き出た。
あの冷たい視線、歪んだ口元、底なしの不気味さ。
怖い。
自室に駆け足で向かった。後ろから、あの眼が覗いているかも知れないと思うと、泣き出しそうになった。