2
痛みと熱の苦しさで目が覚めた。ついでに息苦しさもあった。口の中に血の味が広がっていた。
今すぐ水が欲しいと思った。けれど体が動かなかった。全身に力を入れても、滑り台みたいに引っ掛かる所がなく通り抜け、ようやく、最後に右手だけがぴくりと動いた。
その右手が、何かに包まれているのが、薄い感覚の中でやっと掴めた。暖かさが次第に伝わった。
「…ザック?」
湿った声だった。水分を含んでいる。きっと泣いているんだろう、この声の持ち主は。
「聞こえる…?私の声が聞こえたら、また私の手を握って…?」
間違ってもぎゅっとは握れなかった。指を小さく動かすことしか出来なかった。それでも疲れてしまった。
「…少し待ってて、みんなを呼んでくるから!」
眼を開けたかったが、それも出来なかった。今更気づいたが、口の辺りに何かが乗っているのを感じる。
これのお陰で呼吸が出来ているんだろう。
自分でも不思議なくらい、動揺とか、気後れみたいな物を、まるっきり感じなかった。冷静だった。色々考えた、これまでのこと。
名前は…やっぱり解らん。記憶は…やっぱり断片的だ。誰かも解らない大勢の人達と騒いで楽しんでいる所とか、机に齧り付いて勉強している所だとか、えらく豪華な飯を食っている所だとか、剣で人間を斬っている所とか、銃で人を撃っている所とか…?何だぁ?映画の記憶でも引き出されたのか?にしてはえらく主観的な…?
考えてもどうしようも無い事は後回しだ。情報を整理しよう。{気力と魔力}{転生}、この2つはしっかり覚えている。{気力と魔力}、こいつは後回しで良い。ヤツも学べると言っていた。
んで{転生}、俺の(知っている)事の中に、この{転生}はあった。と言っても宗教的なもんじゃ無い、小説とかで流行ってるジャンルのことだ。ライトノベルの中では今一番勢いがある――やっぱり変な記憶だけありやがるな。まぁそれはいいか。
それを基に考えると、俺は死んだことになっているらしい。と言って正解だと言うことにはならないのは解っているが。あくまで架空だしな。所詮情報の一つだ。
こんな状態だから、今のところ出来ることは無い。だからこれからのことを考えよう。
これからのことは…成り行き、だな。大いなる厄災とか言ってたな。後、殉教。
はぁ…
めんどくせぇんだよ!なぁにがおやおやぁ、ちみぃ、いいたましいちてまちゅねぇ~、だ!面は見てねぇが、絶対陰湿な顔だね!赤ちゃんプレイ好きそうな!次に会ったら奴のゴールデンボールをバットしてやらぁ!
いでぇ!駄目だ、ちょっと体動かそうとするだけできついな。じっとしてないと…にしても、マルキィド。あの空間。全部夢だったのかもしれないな。そもそも現実には思えなかったし。何より胡散臭すぎるんだよ、あの神さん(仮)。俺が聞いた情報も妄想の結晶で、俺はただの記憶喪失患者。今の状態は木から落ちたとか、そんな感じだろう。
うん、なんかスッキリした。
「にいさん、だいじょうぶ?」
明らかに幼い、高い声が聞こえて、そっちに眼を向けようとしたが、やっぱり体が…あれ?ちょっとマシになってら。眼ぐらいなら余裕で開けられるな。
実際、さっきまできつかったこんな微少な動作が、割と楽に出来るようになっていた。回復した?こんな一瞬に?けれど事実だ。今は考えるよりも、声の主が見たい。
ぱちりと眼を開け、顔を声の方に向ける。目の前に、って言うか顔がぶつかる位に、近い、近いよ!
一瞬驚いて顎を引いたが、やっぱりそれくらいなら痛みは無くなっていた。
声の主も俺が眼を開けたのにわっ、と驚いて身を引いた。そのお陰でどんな格好か見ることが出来た。
猫みたいなくりっとした緑の眼、肩まである綺麗な金色の髪、シャープな顎のライン。
えらい美形な、10にも届かない子供がいた。男の子か、女の子かは解らない。身なりも、これは確か、えーと、そうだ、パジャマだ!うん、これは危ないなぁ、掠われるぞ。俺とは言ってないけど。
「いたい?だいじょうぶ?だいじょうぶ?」
突然、顔をくしゃりとさせ、泣きそうになったその性犯罪者製造子供は、俺の右手を緩く握った。
あぁ、あったかいなぁ。さっきと一緒だ。えらく安心する。なつかしいなぁ。
なつかしい?何故だろうか。この、明らかに俺を知っている子供を、俺は白状にも名前すら知らないのに。
「ザック!起きたのか!」
今度は野太い声だった。
「「「「ザック様!」」」」「「「「ぼっちゃん!」」」」
次は男と女が入り混じっていた。
彼らがおれの視界に入って、各々の顔を見せると、みんな眼に涙を滲ませ、そして、不安から解放されたような、安心を多分に含んだ表情をしていた。
一人の男が近づいてきた。金色の髪、緑の瞳、あぁ、さっきの子供の親で、それで、(コイツ)の親か。彼は涙を流していた。
「あぁ、良かった、ザック、ありがとう、生きていてくれて…」
そう言って子供を後ろから抱きしめ、両手で、子供と繋いだ手を包んだ。
「あぁ、ザック、パール、あなた…良かった、本当に…」
そう言ってまた一人その手を包んだ女がいた。彼女はやっぱり金色の髪で、でも瞳は青かった。そして吃驚するくらい美人だった。彼女もぽろぽろと涙を流していた。
あぁ、(コイツ)は愛されているんだと、俺は思い、そして何故か酷く痛めつけられた気になった。