風の谷のナウシカ
学校から帰ってきた娘が私に
「友達、ナウシカ知らなかったよ」と報告してくれました。聞けば、『もののけ姫』も友達は知らなかったといいます。何回も、テレビで放送されているにねぇ。
一瞬、えっと思った私でした。ですが、『風の谷のナウシカ』が公開されたのは、30年以上も前のことです。保護者の集まりに行けば、私は年長の方になります。ひと回り年下のお母さんも珍しくないくらいです。お母さんが知らないってことも、ありえます。ましてや、巨大ダンゴムシがたくさん出てきますし、女の子が喜ぶジャンルではないです。
我が娘が知っているのは、私が大人買いして本棚に置いておいたからです。切欠は忘れましたが、学生の頃立ち読みしたものをじっくりと見返したくて、宮崎駿氏がナウシカを制作したのと同じくらいの年に、購入しました。
学生の頃見ていた時には、設定に興味が向いていたように思います。あの当時、最終戦争とか人類滅亡とかそんなお話ばっかりだったような気がします。そんな中で、今の文明が崩壊してから1000年後の遺伝子操作のお話は、興味をひかれました。
連載が終了した当時には、終わり方に不満を持った読者も多かったようです。私も、すっきりしませんでした。
ところがです。宮崎駿氏がナウシカを制作した年代になって改めて向き合ってみると、学生の頃とは全く違う思いが浮かんできたのです。これは、子の世代へ思いを伝えるお話ではないかと。
今の時代子供の行く末を考えたときに、明るい話題は上げることはできません。地球温暖化や、不安定な世界情勢、未来に希望を見出すことは難しいかもしれません。
ナウシカのお話の中でも、戦争から起きる生物兵器の暴走や、汚染された環境でしか生きられないように遺伝子操作された人類。それでも宮崎駿氏はナウシカに
「生きねば」と言わせます。
どれだけ重い言葉なのか。何があっても先に希望が見えなくても、生きていく決意です。
娘は何を思ってナウシカを見ているのか、聞いてみたいと思います。