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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

孤独のパヴォニス

作者: 木染


 それが夢であることは、すぐに気が付いた。起きている間はちっともこの夢のことを思い出したりしないのに、眠っている間の僕は、頭上を覆う夜空と煌々と瞬くその星座が、これまで何度も目にしてきたものだと知っていた。けれど、今日の夢は少し違った。

 僕は、鳥籠の中で眠る僕を睨み付けていた。

 鳥籠の中で眠る僕は、とても満ち足りた、幸せそうな顔をして椅子に腰かけている。

 たぶん僕は、彼に嫉妬していたのだろう。鳥籠を構成している銀色の格子を握りしめ、僕は今にも泣きそうな声で彼に向って何かを叫んでいた。耳がふさがれているみたいにくぐもった声しか聞き取れないなかで、突然その音だけがくっきりと浮かび上がる。

「サミーア……っ」

 握りしめた手の熱で鉄格子がじんわりと温かみを帯びて、視界が涙でかすんでいく――


*  *   *


 数度瞬きを繰り返し、映ったのは、目にまぶしい新緑の色の髪と、血のように赤い瞳。

「おはようございます。(うな)されていたけど、大丈夫?」

 その赤が気遣うようにつっと細められて、目許に小さな皺が寄るのを、寝惚けているのにかこつけて見蕩れる。左手が妙に温かいのは、彼が手を握ってくれているかららしい。目をそらすのは惜しいので、確かめるように軽く握ると、ほんの少し、彼の手も力を強めたのがわかった。

 いつまでもこうしていたいという思いがふと湧き起こったが、不浄の手を握らせたままでいるのはなんだか申し訳なくて、名残惜しさを振り切って上体を起こす。

「ん、大丈夫……おはよう、ミーア。珍しいね、起きるまで傍にいてくれるなんて」

「僕としては、君が泊まる日は毎日だって君が目覚めるまで傍にいたいけど、寝起きの君は人が変わったように暴言を吐きながら、手当たり次第に物を投げつけてくるんだもの……」

 いっそ毎日悪夢を見て起きてくれた方が楽でいいんですけどね、と苦笑しながら、とてもひどい作り話をさもホントにあったことのように話してみせる。

 それも一度や二度の話じゃなく、時には自分で怪我を作っておいて僕のせいにすることだってあった。その目的は、未だに分からないけれど。

「濡れ衣着せるなんてひどいよね。ミーアのアホ、悪魔、エロジジイ」

「訂正。君はもともとよく暴言を吐く悪い子でした」

 悪口を言いながらも肩に頭を預けると、よほど怖かったのだろうと勘違いしたミーアは、優しく僕の体を抱き寄せて、頭を撫でてくれる。

 本当は夢の内容をよく覚えていなかったけれど、その優しさに、今は素直に甘えておくことにした。

抱きしめ返すと、ミーアの胸からは微かに森の草木と同じ匂いがする。嗅ぎ慣れたさわやかな匂いに、安らぎを覚える。僕がうっとりと深い息を吐くのを待っていたかのように、頭上から声が降ってきた。

「こんな時に言うのもなんですが……」

 その声はほんの数秒迷ったように途切れて、頭を撫でていた手が腰に触れてから続く。

「情報が手に入ったんです。それも、とびっきりの吉報が」

 その言葉に隠された意味を理解した途端、体が強張り、頬が熱くなる。

「本当に、なんで今なの……」

 今日一日を一体どんな顔をして過ごせばいいのかわからないまま、僕の朝が始まった。


*   *   *


師匠であるアーシャを殺した犯人を追う。それが僕の最初の目的だった。

犯人の手がかりを掴むために、僕は情報を必要としていた。唯一の大切な人を奪われた哀しみと、拠り所を失くした恐怖を振り払うように、手当たり次第に聞き込みをしてみたけど、上手くいく筈なんてなかった。

「お前さん、情報が欲しいのかい? そんなら闇雲に聞き込みするよりずっといい方法があるよ。親切な大人の人を捕まえてな、こう言ってやりゃいいのさ――」

 アーシャの家からろくに出たこともない世間知らずの僕は、胡散臭いおじいさんが黄ばんだ歯をむき出しにして言った教えをあっさりと信じた。

 家から飛び出した時に持って行ったお金も底をつき、行き倒れていた僕を助けてくれた人に、意味も知らないまま「抱いてください」と必死でお願いして、困惑したように断り続ける相手を説き伏せて、なんとか契約を成立させた――その相手がミーアだったのだ。

 ミーアが情報を出し尽くしてしまってからも、僕は度々ミーアの家を訪れている。

「食べるのに困ったらいつでも来なさい。対価なんか気にしなくていいから」

とミーアが言ってくれたこともあるけど、それだけじゃなかった。

 アーシャを奪われた哀しみは未だに心臓をキリキリと締め付ける。それでも、少なくとも拠り所を失くした恐怖は、どこまでも優しいミーアの手によってすっかり拭われていた。

 アーシャに対する幼い憧れに似た慕情とは全く色を異にする愛情が彼に対して芽生えていくのを、僕ははっきりと感じていたし、少なからず態度にも出てしまっている自覚はあった。

 それでも、彼と過ごす昼はほのかな暖かさを灯し、彼の腕の中に納まる夜は苛烈に燃え盛る炎の名を、鈍感なミーアは悟ってくれない。

 悟ってもらえないのなら、こちらからその炎をミーアに差し出すしか知ってもらう方法はないのだけれど、いざその時になると頬が火照って、何も言えなくなってしまう。

「今夜こそ……」

何度新たにしたかわからない決意を胸に秘め、ミーアの部屋のドアをノックした。


*   *   *


 また、夜が来た。

 夜が来て、彼が僕の部屋のドアを叩くと、僕たちは暗黙の掟のように肌を重ねる。背に生えた翼が太陽の光を受けて白く輝いていた頃は、こんな行為は生物学の本の中の、ほんの数ページに書かれた知識以上の縁などなかったというのに、地に堕ちて、翼を夜空の色に染めてからは――正確には、彼と出会ってからは、すっかりその行為に溺れていた。

 僕の限界を受け止めた彼があえかな声を上げて、くったりと僕に身体を預ける。本来ならここまでが彼の報酬分の働きということになるのだが、彼はそれで終わらせることなく、僕の首に腕を巻き付けて、深いキスをしてきた。

「ラズィーヤくん、どうしたんですか?」

「ミーア、あのね……僕、ミーアのこと……」

 尋ねると、普段のラズィーヤくんらしくない態度で何かを伝えようとしている。彼が言い終わるまで待つつもりだったが、言わないことにしたようだ。顔を真っ赤にしながら、前後の繋がりが不自然なのにも気付かず、言葉を繋ぐ。

「今よりもっと……ミーアに、僕のことを好きになってほしいなって、思うんだ」

まるで雛が親鳥に餌をねだるような仕草で、僕の唇に性急に口付ける。唇が離れる一瞬の間に、切なげにミーア、ミーアと繰り返して僕を求める。その声に、心臓が早鐘を打つ。もっと。もっと欲しくなる。

「今以上に、君を好きにはなれません」

 だって、これ以上ないくらいに君を愛してしまっているから。

 そんな言葉を、僕は必死に呑み込んだ。

 僕の慕情は、ラズィーヤくんの進む道を妨げる障害物でしかない。神から授かった天命を蔑ろにし、翼を黒く染め、地に堕ちた忌々しい男に彼を幸せにできるわけがない。森の奥で薬師として細々と暮らすだけの生に、彼をこれ以上巻き込んではいけない……。

 僕がラズィーヤくんを好きになってはいけない理由は多々あれど、好きになっていい理由なんて一つも思い浮かばなかった。

「ミーア……」

 濡羽色の空に浮かぶ金環のような瞳を潤ませて僕を見上げるラズィーヤくんを、真っ直ぐ見つめ返す。

「ラズ」

 努めて放った冷たい声に彼は身をすくめ、次いで信じられないと言いたげに目を瞠る。彼を自分の腕に抱いていない時にこの愛称を口にするのは、これが初めてだった。そして、最後でもある。

「君の目的は復讐でしょう? こんなさみしい森で、忌々しい堕天使の慰み者として時間を浪費している場合ではない筈でしょう?」

「でも……ミーア、僕はミーアのことが……!」

 口を塞ぐ目的で、触れるだけのキスを落とす。どうせ打たなければならない終止符なら、僕の手で打ちたかった。

「これが最後の情報です」


*   *   *


 一体どうやってミーアの家を出て、街の宿屋にまでたどり着いたのか、覚えていなかった。

 最後の情報と言ってミーアが手渡したのは、僕が求めていた情報そのものだった。僕の師匠を殺した犯人の名前と人相書き。更には犯人が潜んでいると思しき場所の地図と、一人だけなら数か月は食べるのに困らないほどの大金まで用意してくれていた。宿代もたぶん、そこから出したに違いない。

 何度も眺めてすっかり目に焼き付けた人相書きをくしゃりと握りつぶした。

「これを手に入れるために、ミーアはどれだけ大変な思いをしたの? ただの友達に、ただの……ナグサミモノに、なんでここまでできるの?」

 僕は泣いた。泣いて泣いて……気が付けば、頭上にミーアの翼と同じ色をした夜空と、煌々と瞬くクジャク座の星たちがあった。

 僕は、鳥籠の中で眠る僕を睨み付けていた。

 鳥籠の中で眠る僕は、とても満ち足りた、幸せそうな顔をして椅子に腰かけている。その椅子の洗練された華やかさや、鳥籠の中に満ちている暖かな光や、彼の穏やかな寝息までもが、彼に向けて一心に注がれた愛情を表しているようで、嫌な感情がお腹の底からふつふつと湧いてくる。

「いいよね、君は愛されてて」

 それは、明らかに嫉妬だった。

「僕だって、僕だってラズィーヤなのに、どうして愛してくれないの?」

 アシンティアを喪って、愛した人に拒絶されて、僕はどこまでも孤独だった。

「愛してるって、言ってほしかった……サミーア……っ!」

握りしめた左手の熱で鉄格子がじんわりと温かみ帯びて、視界が涙でかすんでいく――思えば、彼が握ってくれていた手も左手だったなと思い返しながら。



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