巡礼
ある日の放課後、俺は図書室で本を読んでいた。というのも、姉が霧原さんに会いに行きたいと言い出したからである。本の返却を頼まれるまでは、ほとんどと言っていいほど来たことのなかった図書室だったが、あれ以来、姉を伴って、正確には姉が俺を伴ってだが、ちょくちょく足を運ぶようになった。元々本は嫌いではないし、人がおらず静かな場所は心が落ち着くのだ。ちなみに今まで図書室を利用していなかった理由は、貸出手続きが恥ずかしいから。ほら、自分がどんな本を読んでるか知られるのって恥ずかしいじゃない?
「九ちゃん、もう鍵閉めるってよー?」
「うーん」
俺は呼んでいた本を閉じ、元あった場所へと戻した。
「あ、あの、…借りなくても良かったですか?」
「ああ、うん。大丈夫」
「そうですか。えっと、私は、鍵を返しに行くので、ここで…」
「えぇー!せっかくだから一緒に帰ろうよー?」
「でも、時間がかかりますから…」
「九ちゃんも小夜ちゃんと一緒に帰りたいでしょ?ねぇ?」
「…あー、姉ちゃんがそうしたいならそれでもいい」
「まったくぅ、素直じゃないんだからー。小夜ちゃん。九ちゃんも一緒に帰りたいって!」
「え!?ホントですかぁ!?では、すぐに鍵を返して、って、きゃあ!」
霧原さんは足をもつれさせ、盛大に転んだ。だからと言って、ある種のお約束になっている、パンツが見えるなんてことはなかった。彼女は真面目なのでスカートが長いのだ。
「あいたたた…。転んじゃいましたぁ」
「ほら、小夜ちゃん!早くしないと置いていくよっ?」
「えぇ!?ちょっと待ってくださいぃ!!」
なぜそこでせかすようなことを言うのだ、この姉は。
「きゃあ!」
ほら、また転んでしまったではないか。姉はとても楽しそうに霧原さんを見つめていた。慌ててる小夜ちゃんかわいいわぁ、とか思っているに違いない。
「残念!正解は、これで私たちが帰ってたら小夜ちゃんどんな顔するかしら、でした」
最悪である。
「うそうそ、冗談だってば。そんな怖い顔しないで、ね、九ちゃん?」
顔の前で手を合わせ、必死に謝る姉。俺も本気で言ってるとは思わなかったが、もしかしたらの可能性も捨てきれないので、そういうことはやめて欲しい。
「(それにしても、姉ちゃんは霧原さんのことだいぶ気に入ってるよね?)」
「だって可愛いじゃない?それになんだか放っておけないし」
それについては俺も同意である。彼女から放ってはおけないような、触ると崩れてしまいそうな、脆弱さを感じる。俺みたいな人間に心配されても、貶されているとしか思えないと分かってはいるが、それでも気にかかるのは、俺が人間だからか。それとも幽霊が見えるからか。
「九ちゃんが自分のことをどういう風に思っていても、小夜ちゃんは一緒に帰れてうれしいと思ってるよ?それに、そんなに卑屈にならなくても、九ちゃんはお姉ちゃんの自慢の弟ですから!」
本当にそうなら、姉ではなく俺がそばにいることを喜んでくれるのなら、嬉しい、のかもしれない。同時に恥ずかしさを味わうことになるだろうが。
「はぁ、はぁ。あ、あのっ!遅くなりましたっ!」
霧原さんが戻ってきた。息が上がっているところを見ると、だいぶ急いできたようだ。姉のせいである。
「お疲れ様。それじゃ、帰りましょ?」
「はい!」
一緒に帰るとか言っておきながら、家が全くの逆方向で、校門を出たら即さよなら、なんてことはなく、帰り道は途中まで一緒のようだった。話を聞いてみると、霧原さんの家は俺の家からそう離れていないらしい。
「この路地を入って右に曲がると子犬がいるって知ってました?」
「子犬?かわいいの?」
「はい!とってもかわいいですよ?」
いつも通ってはいるものの、こんな路地に入ることはないので気にしていなかった。というよりも、路地があること自体、気づいていなかった。周りを見ていると思っていても、案外見えていないものは多いのかもしれない。例えば、ほら、幽霊とか?
「この子です。かわいいでしょう?」
入った路地を左に曲がり、霧原さんが示したところには、何もなかった。子犬などどこにもいない。
「きゃー、かわいい。なでなでしてあげるねー?」
姉は何もない空間をさも子犬がいるかのように撫でまわしている。まるで、俺には見えない何かが見えて…。
「もしかして、子犬って幽霊なの?」
「え?あ、あの!失礼します!」
そういって霧原さんは、急に俺の手をつかんだ。いきなりなんだというのだ。もしかして、俺が見えないのをいいことに、俺の手を犬の前に持っていき、噛み付かせようとしてるのでは、と思ったところで気づいた。
さっきまで何もなかった空間に子犬がいる。雑種だろうか。姉によくじゃれている。
「あ、えっと、み、見えましたか…?」
「あ、ああ。うん。見えてる」
姉が俺に自分の力を分け与えたように、霧原さんも俺に触れることで自分の力を俺に分け与え、子犬の霊を見えるようにしてくれたのだ。とはいえ、いつまでも手を握られていたのでは恥ずかしい。
「わ、私が、この子を見つけたのは偶然で、時々、様子を見に来たり、してるんですけど………。あ、あの、宮野君?どうかしましたか?えっと、なんだか、顔が赤いですけど…。あっ、もしかして、犬は嫌いでしたでしょうか…?」
「あー、犬は嫌いじゃないんだけど、その、て、手を離してもらえないかな…、なんて」
「て?あっ!あぁ、すみません!そうですよね!いきなり手を握ったりして、失礼でしたよね?ごめんなさい」
慌てて手を離す霧原さん。俺はただ恥ずかしかっただけで、子犬を見せようと気を遣ってくれて、力を分けてくれたことはうれしかったのだが、少しきつい言い方をしてしまったのかもしれない。
「そうじゃなくて、恥ずかしかっただけだから。そんなに気にしなくても…」
「ちょっとー!お姉ちゃんのこと放っておいて、二人でいちゃいちゃするなんてひどいじゃない!」
「えぇ!?いちゃいちゃだなんて、私そんなつもりは。ただ、少しでもお力になれれば、と思って…」
「うん、ありがとう。ちゃんと見えたよ。…というか手を離してる今も見えてるんですけど…」
一度力を分けてもらったことで、その効果が持続しているということなのだろうか?
「九ちゃんは、お姉ちゃんの力を持ってるから、最初から見えてたはずなの。でも、この子。この子犬の事ね?この子の霊としての力が弱かったから認識できなかったんじゃないのかな?九ちゃんは力を持って日にちが立ってないし」
「ということは、霧原さんに触れたことで、幽霊を見るコツをつかんだってこと?」
「そうゆうこと!」
この子犬がいる場所以外にも、霧原さんお墨付きの心霊スポットがあるようで、案内されて各所巡っているうちに、かなり時間が経っていた。
「今日は質の高い心霊ツアーだったね、九ちゃん?」
「百発百中だから質が高いどころの話じゃないけど。それに普通の心霊ツアーとは違って怖くなかったし」
「あ、あの、私、お2人を引っ張ってあちこちと、こんな時間になってしまいましたし、あの、ご迷惑じゃなかったですか?」
「そんなことはないよ。楽しかったよね?九ちゃん?」
「うん。まっすぐ家に帰るより有意義だったと思う」
「ほ、ホントですかぁ!?よかったですっ!私、うれしいですっ!」
にこっ、と満面の笑みを浮かべる霧原さん。こんなに喜んでくれるのなら、少し帰宅が遅くなるくらい些細なことである。
「人の霊は危険だったりするの?…ほら、恨みとか未練とか」
「えっと、基本的には危ないことはありませんよ?その、恨みがあっても、晴らす相手は誰でもいいというわけではありませんので。」
考えてみればごもっともな話で、無関係の人たちのいざこざの恨みを、何もしていない自分が被るというのはあまりにも理不尽が過ぎるというものだ。
「私なんかは、よく、その、話し相手になってもらっ…、っ!」
しゃべっている途中だというのに、霧原さんは突然建物の陰に隠れてしまった。
「小夜ちゃん、いきなりどうしたの?」
「い、いえ、向こうに同じ学校の生徒が見えたので、宮野君と一緒にいるところをを見られると迷惑をかけてしまうかもしれませんので…」
「小夜ちゃん。それってどういう…」
「私、こっちなので帰りますね?今日はありがとうございました」
こっちが口を開く間もなくバタバタと、霧原さんは帰っていってしまった。
姉は幽霊であり普通の人には見えないため、俺と霧原さんが2人で歩いているように見えている。その様子を見た同じ学校の生徒が噂を流したら、俺が恥ずかしい思いをすることになるだろう。それを心配して、建物の陰に隠れたり、いきなり帰ったりした。
「(どうもそれだけじゃなさそうだよなぁ…)」
「お姉ちゃんが思うに、これは結構深刻な話になりそうな気がする」
「(また姉の勘?)」
「ううん。これは女の勘」
「(えぇっと、愛がないんだっけ?)」
「うん。それでね、女の勘の方が圧倒的に当たるの」