通例
目覚ましのアラームで目を覚ました俺は、眠たい目をこすりながら階段を下り、顔を洗いに洗面所へ向かう。
俺、宮野九重は今年で高校2年になる。自分で言うのもなんだが、少し人見知りな部分があるものの、これまでの人生を、普通に楽しく過ごしてきた。昨日までは。
昨日、得体の知れない化け物と戦い、大きなけがをした俺の姉、宮野一姫は、救急隊が素早く駆けつけ、適切な処置をしてくれたものの、再び目を覚ますことはなかった。詳しい事情を聴かれたが、分からないとしか答えることができなかった。化け物にやられて、その化け物は消えただなんて言っても、真面目に聞いてもらえるとは思えなかった。
俺が今日もこうして目を覚ますことができたのは、まぎれもなく姉が守ってくれたからで、姉が文字通り命を懸けて守ってくれたこの命を、大切にしようと思った。
それが、いつも見守っていると言ってくれた姉に対して、俺ができる唯一のことだと思った。
いや、そう思っていた。
「いや、見守ってるってそういうことじゃないだろ!」
俺は、洗面所の鏡に映る自分、の後ろで宙に浮いている姉に対して怒鳴った。
「え?でも、ほらっ。ちゃんと見守ってるよ?」
じー、と効果音でも聞こえてきそうなほど、俺を睨み付ける姉。
姉は死後、俺を守るために守護霊として、この世に戻ってきたらしい。俺はよく言われるところの、幽霊に憑かれている、という状態らしい。
今の姉は基本的に俺以外には見えないし、声も聞こえないらしい。まれに、霊感が強い人にも見えることがあるらしい。ちなみに、足は生きているときと同じように生えている。
このことを両親に話すかどうかかなり迷っていると、俺の心を読んだ姉が、
「お父さんとお母さんにも見えてるよ?」
などというので、打ち明けることにした。
そもそも宮野家は、あの得体の知れない化け物と代々戦ってきたらしい。あの化け物は普通の人間では視認することができず、俺に見ることができたのは、宮野だからということらしい。しかし、俺は戦闘能力がないので知らされずにいた、らしい。
もともと、俺が今の状況を話して聞かせるつもりだったのに、とんでもない話を聞かされる羽目になってしまった。全く理解が追い付かず、さっきから語尾は、らしい、しか使っていない。
「それは九ちゃんの語彙力の問題かなぁー?」
「やかましい。それだけ事態を呑み込めてないってことなんだよ」
これだけの話を聞かされて、人生で最高あるいは最悪の混乱のさなかにある俺に対して、両親は一切手を緩めることなく、怒涛の勢いで畳み掛けてきた。
「お前が見たあの化け物。あれを相手にしているとな、うっかり死んでしまうなんてことも少なくないんだ。現に今までに母さんは2回、父さんは3回死んでる。つっても、魂さえ残っていれば、代わりの体を用意してやれば無事元通りってわけだ。とはいえ、一姫はやられることはないだろうと思っていたから少し驚いたよ。というわけで、父さん、母さんと一緒に一姫の体を用意するために、少し家を空けることになるから、ケンカせず仲良くやるんだぞ?じゃあな」
誰か、助けて…。
「大丈夫!お姉ちゃんに任せなさい!」
「俺はあんたから守ってほしいんだよ!俺が持っていた世間一般の常識ってやつを!」
「でも、知ったからって何かが変わるわけじゃないでしょ?ずっと一緒よ?今までも、これからも」
「変わるだろ!3回死んだ人間とか、それもう人間じゃねえだろ!?怖いわ!」
「九ちゃんひどい。お父さんに対して、人間じゃないだなんて」
「人間は1回死んだら死ぬの!生き返るなんてことはない!」
「ちっちゃいなぁ。男なら、『へぇそうなんだぁ、面白そうだね』くらいの度量がないとモテないぞ?」
「はいはい、どうせ俺はモテませんよ。てか、面白そうだね、も十分ひどいだろ!絶対話聞いてないよそいつ」
しかし、姉の言うことは正しい。何を知ろうと、世界は何も変わりはしないのだ。例え化け物に襲われたり、幽霊に憑かれたり、両親がお買い物に行っても、学校に行かなくてよくなるわけではない。
「そろそろ時間だから、学校行ってくる。留守番よろしく」
「え?ちょっと待って!?お姉ちゃんも…
バタン!
姉は俺の一つ上で、今年で高校3年になる。同じ高校に通っている。いや、通っていた。死んでしまったことは友人や学校には伏せられていて、急な海外留学ということにしたらしい。何だそれは。運ばれた病院にも姉の記録は残っていないとのこと。世の中って怖い。
しかし、変わらない。これまでと同じように家を出て、これまでと同じ通学路を通って、これまでと同じ学校へと行く。
そうして、これまでと同じ俺の日常、俺の一日が始まる。
はず。