プロローグ
「姉ちゃん!」
俺は叫ぶ。状況への理解がとてもじゃないが追い付かない。俺の目の前には傷だらけの姉がいて、さらにその向こうには黒い四足歩行の化け物がいる。化け物の、おそらく頭部であろう部分には、赤黒い二つの光が灯っている。体の輪郭がはっきりとせず、靄のように揺らめいていて、牙のようなものをむき出しにしながら低い唸り声を上げている。
「ごめんね?九ちゃん。お姉ちゃん、ちょっとドジっちゃったみたい」
姉はこちらを振り向き、バツが悪そうに笑いながら言う。よく見ると、姉の傷は深いらしく、血がしたたり落ちていた。
「そんなことはいいから!早く逃げないと!それから病院に行って、手当てを!」
俺は躓きそうになりながらも、姉のもとへと駆け寄り、震える手で姉の手を掴もうとした。
しかし、この得体のしれない化け物が、獲物の逃走を黙って見ているはずもなく、ものすごいスピードで襲い掛かってくる。とっさに体が動くはずもなく、俺は、あぁ爪みたいなのもあるんだなぁ、なんて至極どうでもいいことしか考えられなかった。
ガキイィン!!
金属がぶつかり合うような音が聞こえ、化け物の爪らしきものが眼前で停止する。
「大丈夫。九ちゃんはお姉ちゃんが守ってあげるからね?」
よく見ると、化け物の体は白く光る鎖のようなもので身動きが取れないほど縛られていて、その鎖の端を姉が握っていた。
「はぁっ!!」
姉は、手に持った白い鎖を力いっぱいに引っ張った。白い鎖は化け物の体にさらに強く巻きつき、肉に食い込み、骨を砕いていく。化け物の体はいくつかの塊となって辺りに散らばり、蒸発するように黒い靄となって、そして消えてしまった。
ドサッ!!
姉が地面へと崩れ落ち、俺は慌てて姉の体を抱き起す。出血は相当ひどく、姉の顔は青白くなっていて、体温も下がっていた。
「おい、姉ちゃん!しっかりしろよ!すぐに救急車を呼ぶから!」
俺はポケットから携帯を取り出し、119へと電話を掛ける。
「…き、九ちゃん?」
「しゃべっちゃ駄目だ!今救急車を呼んだから!もうすぐ助かるから、な?」
姉は冷たい手で俺の手を握ってきた。それはとても弱弱しく、俺は思わず姉の手を握り返した。
「…お姉ちゃん、…はね?ずっと、……ずっと九、…ちゃんを、見守ってるからね?」
「………」
俺はただ、力の抜けた姉の手を握り続けることしかできなかった。