探偵Nの狂行
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ボクは探偵だ。
世界探偵協会D級探偵、九頭竜乃亜。
なんだD級かと言われるかもしれないが、天才でない探偵の中では、これでもトップクラスの探偵だ。
最年少最短でA級に上がってきた高校生探偵などのように、日本の誇りとまでは言われないにしても、純然たる推理だけでここまでクラスを上げてきたのだから、誇れることだと思う。
不要なものを排除して残ったものだけで生きていく。
純粋な探偵。
逃げ場のない孤島で不気味な怪物じみた殺人鬼の影に脅えた恐怖を切り捨てて、ボクはA級探偵を超える純粋な探偵になった。
怪物の正体は単純な思考回路で動くただの暴力の化身に過ぎなかった。
虫が単純なパターンで生命活動を行うようにただ思考能力が低いだけの存在に、あやふやなものを信じる愚か者達は幻想を重ねる。
アイツは、愛を信じないのか? 優しさを持たないのか? 心が無いのか?
アイツは、生を慈しまないのか? 命を育まないのか? 情がないのか?
そんな理想を信じる人間は、そんな本能以外を理解しない存在に恐怖する。
理想に縋って生きるからこそ、理想なしに生きる存在を怖れる。
そんな存在は何処にでも蠢いているというのに。
まるで、死を遠ざけすぎて家畜の屠殺どころか魚を捌くことさえ怖ろしがる女達や、汚れる事を厭うあまりに家事や労働さえ他人に任せたがる富豪や官僚のようだ。
殺生を軽んじる事や生活を貶める事と同じように、命に縋るのも美しさに縋るのも、全て等しく愚かなことだ。
醜さにも美しさにも悪にも正義にも傲慢にも謙虚さにも強欲にも節制にも意味はない。
そんなあやふやなものは不要だ。
ボクはそんなものを超越した真の探偵になった。
腐った血と臓物と糞便の臭いを撒き散らして赤黒く染まった蛙面の巨人の爪のように指の先に外科手術で刺し込まれた鋭利な金属片に引き裂かれる恐怖の中で──。
だから、ボクは“ たったひとつの冴えたやりかた ”ができる。
そう、冷静に餌を差し出し誘導すれば、どんな大きな力を持とうと、愚かな暴力だけで稼動する虫など、簡単に支配できるのだ。
ギルマンに、ボクは外部に犯人がいるので護ってくれという話をして、ボクとレーナ以外は、ボク達の中に犯人がいるかもしれないというふうに考えてるという指摘をした。
本当に彼ら3人はそう信じているのだから簡単だ。
警戒して出てこない彼らと自分を信頼してると感じたボク達。
これが普通の殺人犯なら先ず油断していると感じたボク達を狙うだろう。
殺しやすいからだ。
だが、圧倒的な暴力を持ったギルマンには同じ事だ。
閉じこもろうが抵抗されようが簡単に殺せる。
ただ、邪神伝説の生贄の儀式を再現するなら一度には殺せない。
次に殺せるのは二人だ。
そして、ボクはギルマンにボクとレーナは殺人の後でもギルマンから逃げないと暗示し、他の三人は何時逃げようとするか判らないと暗示した。
催眠術の類はよほどの信頼関係がなければ、意志を捻じ曲げたりはできない。
できるのは、ほんの少し方向を変えるだけだ。
だけど、この場合はそれだけでいい。
ギルマンに正解を選んだと思わせる暗示などは日常にありふれた手法だ。
担うべき責任を部下や違う派閥の人間に押しつけたり、期間限定の割引や限定生産の謳い文句で無駄に娯楽品を売りつけたり、いじめのターゲットを選んだりと、国会議員から企業、果ては小学生まで、幅広く広がった技術でしかない。
良心や公平さや思いやりや友情や人間愛などという理想を後生大事に抱えていなければ、誰にでもできることだ。
ただ、“ たったひとつの冴えたやりかた ”に従わさせるだけでいいのだから。
ギルマンが犯人の場合、そのやりかたとは、邪神伝説の生贄儀式を再現するために、最も失敗の少ない方法だ。
ならば第二の儀式殺人の後で逃げられる可能性がある者とそうでない者、ギルマンがどちらを優先させるかは言うまでもないだろう。
実際は、この館以外は岩場と小さな森しかない小さな島だ。
逃げ回るには狭すぎるから順番になどたいした意味はない。
一応、窓に脱出用のロープも用意したが、これは警護対象の気休めだ。
ギルマンが犯人なら間違いなく彼らから狙うだろう。
そのレーナはといえば、食事の後の仮眠から目覚めて今は窓際で外を見張っている。
ボクが頼んだのだが実のところそれ自体に意味はない。
することがないと恐怖に苛まれそうになるレーナに仕事を与えただけだ。
ただの子供だったなら脅えきっていざというときに動けず、動けない事で恐怖が増しといった悪循環に陥るのだが、レーナは天才少女と言われるだけあって理性で感情を抑える術を知っている。
だから、それだけで済んだ。
恐怖に打ち克つことができないにしろ、制御できるのなら足を引っ張られる事も無いだろう。
そう考えながら、ボクはギルマンの服につけた盗聴発信器から流れてくる音をイヤホンで聞き、その位置を確認していた。
万一、ギルマンが犯人でない場合は、もうすぐ判るだろう。
そうでもそうでなくても、次の殺人が起こったら直ぐにギルマンに接触しなければならない。
そうして、その瞬間が訪れる。
邪神伝説で星辰が正しく重なる刻とされる深夜。
外部からの干渉が断たれた孤島にただ一軒建つ豪奢な館を揺るがす轟音がして、レーナが小さく悲鳴を上げた。
そして、イヤホンからびちゃびちゃとした湿った呼吸の音とダン・ツァーミンの声が聞こえる。
「やめろ! 何が欲しい? なんでもや──」
だが、それはぐしゃりという肉と骨が一緒に潰される音とともに直ぐに途絶えた。
欲望を利用するだけ利用して他人の命をゴミのように扱って権力にしがみついた男らしい最期だ。
理想に縋る事に意味などないように欲望を叶える事にも意味は無い。
そのことに気づかず、純然たる推理を否定したことがこの男の運命を決めた。
論理より自分の感情を優先させた実に愚かで権力亡者らしい判断が招いたみじめな死に様だ。
継いで、また轟音と同時に館が揺れた。
ガラガラという外壁が崩れる音がしているのが聞こえるところをみるとギルマンが今度は壁を壊したのだろう。
外部からの侵入を偽装したのか?
だとしたら、ボクの計画は完璧に進行しているようだ。
「ゃああああああああああああああ──!!」
破壊音に怯えたレーナが叫んでうずくまり、た。イヤホンからは、まるで蛙が呼吸しているような湿った粘液交じりの不気味な喘鳴の音だけが聞こえてくる。
そして三度目の轟音が響く。
今度は内壁だろう。
ダン・ツァーミンの隣の部屋ということは──。
考えるまでもなくイヤホンがその答えを教えてくれた。
「なぜだ、なぜこんな──」
オード・シャティロンの怯えでひきつった声が自分の死ななければいけない理由を問う。
何人もの命を欲望のために奪ったとしても自分の命だけは他の命とは別で価値があるとでも言いたげな声だ。
命の価値など値段をつけた人間の言い値でしかない。
そんなものに意味などない。
価値があるのはただ純然たる論理だけだというのに。
「イケニエ、ジャアク、ナ、ホド、イイ、オマエ、ハ、ヨイ」
ギルマンはどういうわけかその問いにに答え、直ぐにオード・シャティロンの泣き喚く声と再び肉の潰れる音が響いた。
「トキ、ハ、カサ、ナル、ミッツ、メ、ノ、ニエ、ヲ」
最後に骨と肉の潰れる音とともにオード・シャティロンの悲鳴が途絶える。
ボクは計算通りに事が運んだ事を確認すると、うずくまって耳をふさぐレーナをなだめに向かった。
イヤホンの音は漏れてないようだし、防音設備も完璧な部屋だが、おそらく二階の床と一階の天井更には壁と外壁を破壊したのだろう轟音だけはレーナの耳に届いている。
ギルマンのもとに次の暗示を与えるために出かけるためには、まずは子供の世話だ。
そして────。
犯行の動機が邪神への狂信ということは確認できた。
ボクの純然たる推理が正しいことがまた一つ証明されたのだ。
そして、生贄が七人であるという事実がこの事件の解決を約束している。
残るはメアリー・ジェイン・ハーストだけだ。
理想や観念や欲望を排除した純粋な論理で最も排除すべき存在として導き出された人間。
彼女を排除しギルマンを自滅させればボクの計画は完璧な帰結を見せるだろう。
「大丈夫。 もう終わったようだよ」
ボクはその事を半ば確信しながら、うずくまったままのレーナの肩に手を置き、なるべくやさしく聞こえるような声をかける。
無駄な時間だが警護対象を自滅させないためには必要だ。
精神の保全は必要ない生きて依頼者に身柄を引き渡せばいいのだが、まだ壊れられては困る。
計画を完遂し全てがあるべき場所に収まるように、ボクはレーナへ微笑みを向ける。
感情などという不必要な要素に振り回される警護対象に。
それが“ たったひとつの冴えたやりかた ”だから。