探偵Nの狂信
まえがき及び用語解説
当作品のルビの多くは正しい読み方ではありません。
ルビのふってある文字が読めない場合は辞書を引くしらべるか、テキストにコピーして再変換するなどして、正しい読み方を確認する事を推奨おすすめします。
意味が違う場合もありますので、どちらかというと辞書がお薦めです
物語の探偵
推理小説にでてくる連続殺人を解決する数多の名探偵のこと
ハッピーエンド
読者を嫌な気分にさせないための御都合主義的な予定調和
うまくそこに辿り着かないと物語全体が嘘っぽく感じるので、そういう物語しか知らない人間には否定されがちな王道
キーパーソン
物事の結果に影響を与え新たな展開をもたらすための「鍵となる人物」を意味する作家の専門用語
後に一般でも「新たな展望を持ったリーダーの比喩」として使われるようになり、やがて集団の行動を決定づける人間という意味で使われるようになる
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ボクは探偵だ。
世界探偵協会D級探偵、九頭竜乃亜。
なんだD級かと言われるかもしれないが、天才でない探偵の中では、これでもトップクラスの探偵だ。
最年少最短でA級に上がってきた高校生探偵などのように、日本の誇りとまでは言われないにしても、純然たる推理だけでここまでクラスを上げてきたのだから、誇れることだと思う。
もちろん、誇りや美や愛や寛容や正義や理想や友情や喜びや悲しみや憎しみや怒りや神や性欲やその他諸々のあやふやなものには、何ひとつ意味も価値もありはしない。
必要なのは“ たったひとつの冴えたやりかた ”だけだ。
目的は、この状況の中で最良の結果を得ることだ。
そう、怪物じみた力を持つ殺人者。
銃で武装した軍人を血と臓物と糞尿に塗れたちっぽけな鉄屑と死肉の欠片にするような相手と援けの来ない孤島に閉じ込められているという状況でだ。
あのA級探偵なら、ふざけた態度とふざけた手段とふざけた悪運で、世の中を舐めきったハッピーエンドとやらを目指し成功させるのだろう。
あの海千山千の悪党どもを手なずけて一致団結して更なる被害者など出さないなどという“ 物語の探偵 ”でさえできない真似をしてのけるかもしれない。
だが、そんなものは多くの人間を惑わす幻想だ。
万に一つの可能性を引き当てるようなA級探偵など、その他大勢の人間にとっても、世界にとっても教訓になどできない稀な例だ。
では、ボクにとっての最良の結果は何か?
依頼を成功させ、連続殺人を解決したと協会に認めさせることだ。
だが、愚かな連中の愚かな判断のせいで完璧な解決への道は断たれた。
やつらはボクを認めない。
ならば、次善の案に移行するしかない。
そのために守らなければいけない命は二つ。
ボクとレーア。
後は、排除すべきだろう。
そう、彼らがボクを排除して生きるならば、ボクも彼らを排除しなくてはならないのだ。
これは彼ら自身が招いた事だ。
そのための道筋は既に立ててある。
オーベッド・ギルマンは最有力容疑者でこの6人の中に殺人犯がいるとしたら間違いなくアイツだ。
だが逆に、外部に犯人が潜んでいるのなら有力な駒になるというキーパーソンだ。
何れにしろ、殺されたヨシフ・ジュガシヴィリに乗せられて行動していたことでやつの頭の鈍さは証明されているから、誘導は容易いだろう。
オード・シャティロンは‘人類統一戦線’の有力組織である政治結社ユーロレボリューションの代表で発言力が強いうえに人種差別主義者だ。
生き残った場合、自分の有利な方向へと働きかけ、ボクの功績など消される可能性が高い。
積極的に排除すべきだろう。
ダン・ツァーミンはオードほど影響力はないが、既得権益の塊のような男で世界政府樹立には反対しているので、人類全体の利益をモットーとする‘ワールデェア’によって運営される世界探偵協会には好意的ではない。
生き残った場合、同じくボクの行為を悪意で塗りつぶそうとする可能性が高い。
これも積極的に排除すべきだろう。
そしてメアリー・ジェイン・ハースト。
やつら二人を批判するような事を言っていたが、彼女がもっとも排除すべき相手だ。
生き残った場合、彼女は先ず無名のボクをヒーローに仕立てるだろう。
あくまで、一旦はだが。
世界探偵協会の探偵が自社のオーナーを救ったという報道で稼ぎ、次にその話題がなくなれば、今度は一転ボクの失策で助けられたはずの人が死んだという話で稼ぐというわけだ。
無名のD級探偵ならしかたないことも祭り上げられたヒーローには、できて当然の事をしなかったとなるのだ。
報道前と後でボクの能力が変わるわけではないが、第三の権力は嘘実を真実だと信じ込ませるだろう。
その報道にボクに対する感情などは存在しないが、結果的にボクは社会的に破滅する。
これだけは、可能性というより規定路線だ。
夫の死や名誉を報道の自由の名の下に売り払った彼女がボクだけを例外にするはずがない。
無邪気な悪そのものと化して無作為に悪意をばら撒く存在なんて、邪神伝説の中だけで充分だろう。
人が神の真似事など僭越に過ぎる。
これだけは、なんとしても排除しなければならない。
彼らが死に絶えれば、ボクはD級でありながら、怪物的な殺人者から警護対象を守り徹した探偵だ。
そのためにはギルマンが犯人でない場合、彼を利用して身を守り他の人間を守らせないようにすることだ。
そのためにはギルマンが犯人の場合、次の二人にボク達を選ばせないようにすることだ。
そうギルマンを誘導するためには、やつに会わなければいけない。
「レーナ。 少しボクはギルマンと話さなくてはならない。 ちょっと行って来るからドアに鍵をかけて待っていてくれ」
純然たる論理的結論に基づきそういったボクに。
「えっ!? 危ないよ!」
思わず口に出たのか天才少女らしくない子供っぽい口調になってレーナがオレを心配するような顔で見上げる。
「だいじょうぶだよ。 ギルマンが犯人でボク達を殺そうとするなら邪神伝説のとおりに‘星辰の導きに従って8時間後と16時間後’にだろうから今日の夜までは」
天才少女も感情に流されれば、ただの子供だ。
ここにくるまでの船旅で相互理解を深めたことの弊害だろう。
天才少女という言葉に少し気後れしていたボクだがそれも最初だけで、レーナが孤独で誰にも理解されない事を嘆く幼い少女だということを知り、探偵と警護対象以外の関係を築いていった。
子供の頃は天才と呼ばれてそう自負していたくせに、A級探偵と知り合い、その助手にさえ及ばないことで天才というものを嫌っていたボクにとっても、天才であるということで創られた自分の虚像を嫌っていたレーナにとっても、この出会いは良い方向に働いた。
年齢や性別や立場を超えた共感や心の繋がりが生まれたのだ。
だから、レーナはそれに縋ってしまったのだろう。
けれど、探偵にそんなものは必要ではない。
恐怖に打ち勝ち、感情などという愚かさに頼った自分を克服したボクと弱いままのレーナの差だ。
「でも、でも、ヒトは計算で動いたりしないよ! 正しいってわかっててもできなかったり、間違った事でもしなくちゃならないって言って、間違った答えを正しいっていうヒトの味方したり」
レーナは、そう必死に訴えかける。
それは天才少女だからこそその年齢で辿り着けたのだろう感情の無意味さを表す言葉だった。
だが、それだけでレーナは未だに感情を肯定するという愚かさに気づいていない。
理想や道徳や正義や愛情や、あるいは慈悲や尊敬や誠意や共感や。
そんな、あやふやで頼りないものに縋って生きている。
そうでなければ、整然たる論理に従い“ たったひとつの冴えたやりかた ”を選んだ探偵を、心配だからなどというくだらない理由で止めようとするはずがない。
「大丈夫。 脅えないでいい。 ボクは必ず戻ってくるよ。 レーナを残していなくなったりはしない」
「ホントにだいじょうぶ? ……探偵さん、仕事モードだって言うけど……なんだか壊れちゃいそう」
壊れる?
ああ、やはりいくら天才でも、不用なものを排除した探偵を愚かな人間は理解できない。
「だいじょうぶだよ。 今のボクならA級探偵に負けたりはしない。 だからボクを信じて待っていてくれ」
ボクは微笑って真っ直ぐにレーナを見つめる。
そう、ボクを信じれば。
そうすれば、恐くない。 何も怖くない。
そうすれば何もかもうまくいく。
「………………うん、わかった。 だから探偵さんも信じることをあきらめないでね」
ただ、ボクを見返して、長い間沈黙していたレーナがやっとうなづき、ボクに語りかける。
もちろんだよ。
ボクは“ たったひとつの冴えたやりかた ”を信じている。
だから、何も恐くないし怖くない。
こうしてやっとボクはするべき事をしに、部屋を出ることができた。
探偵とレーナ以外の全てを排除する為に。