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恋歌遊戯  作者: 琳谷 陸
4/9

四 ひつようなもの


 春の天気は不安定だ。

 さっきまで晴れてたと思えば、突然曇って降り出す。 四方を山や峰に囲まれたこの地は特にそれが顕著なのかもしれない。

 それは良いとして、だ。 ランプが照らす洞窟の中で、俺と小娘は互いに無言で距離を置いて沈黙している。

「……」

「……」

「……」

「……」

 何とかならねーのか。 この空気。

 ビオルさんに追い立てられるようにして、洞窟に入って間もなく、外では雨が降り出した。

 そうなると天気の変わり映えは凄いもんだ。 蒼かった空が瞬く間に灰色に覆われ、雫が地上に降ってくる。 暖かい春の昼間は極楽だが、雨で急に冷えた空気は暖かかった分、人間は身体を冷やすだろう。

 小娘を見ると、先日ぶっ倒れた時に用意した藁を詰めた大袋の上で膝を抱えて肩から毛布を被っていた。 大袋は麻で編まれた物で中にビオルさんが持って来た藁を詰めて寝床にしたものだ。 毛布も俺が市で買い直してきたし、これでひとまずの寝床は確保できているから問題はなさそうだな。

 人間一人が立って入れる入り口から少し進めば、人間が五人くらいなら余裕の空間が広がっている。 そしてその洞窟、天井と俺の間にはそこそこの距離もあって息苦しい思いもしないで済むだろう。

 なのだが、俺は今、息苦しい。 一体この小娘は何が気に入らなくて俺の顔も見ない何も言わないで黙っているんだ?

 そもそも何で俺がこんな小娘を気にしなけりゃならないんだ。

 ここから洞窟の入り口までは少し曲がっているから、冷たい空気や雨は直接吹き込んでこない。 が、念の為に火を熾しておいた方が良いかも知れないと、俺は石を集めて作った小さな囲炉裏に火打石を使って火を熾す。 薪が時化ってしまうと点きにくいから、今のうちにつけておかないとな。

 一応、夕飯も考えて食料は運び込んである。 もうこの空気もどうにもならんのなら、さっさと小娘に飯を食わせて寝させた方がいい。 それしかない。

「あの、樹宝さん」

「…………何だ」

 決めた矢先にどうして話しかけてくるんだよ!

「クッキー、食べてくれてありがとうございました」

「別に。 俺に食わせる気で作ったんなら仕方ないだろう」

 仕方ない。 俺に作ったものなら、俺が食わなきゃ無駄になっちまうんだ。 だからそれがどんなに不味くても、食わないわけにはいかない。 俺に食われるために作られたんだからな。

「嬉しかったです」

 小娘がそう言って笑った。 気味の悪いくらい白い顔が、何でか知らんがこの時だけは不気味だとは思わなかった。

「そうかよ。 ……ならいいんじゃねぇか」

「はい!」

 にっこにっこ笑ってやがる。 まぁ、泣かれるより何倍もマシだろ。

 と、そこで何を思ったのか小娘がじっとこっちを見てきた。

「何だよ」

「樹宝さん、もしかして髪が邪魔なんじゃないですか?」

「は?」

「だって、避けてもすぐ落ちてるみたいですし」

 俺の髪は背を覆うくらいの長さがある。 確かに屈んで作業するこういう時には払っても払ってもまた肩から滑り落ちてくるが、慣れていてそこまで邪魔とかいう意識も無かった。

「良かったら、私が……その、まとめ、ます」

「…………」

「だめ、ですか?」

 別に意識しなけりゃ邪魔とも思ってないんだ。 そんな必要はねぇ。

 そう思ったが、どういうわけか。

「好きにしろ」

 やっぱあの毒薬クッキーが良くなかったらしい。 胸焼けなんて感覚はわからねぇが、きっとこれがそうなんだろう。 何かが胸元で外の天気みたいに曇っている。

 小娘が寝床から降りそうになっているのが見えて、なんとなく俺は立ち上がって囲炉裏を越え、小娘の側に座り直す。 小娘に背を向けて胡坐をかいた。

「これでいいのかよ」

「はい」

 背後から聴こえた小娘の声は少しだけ震えている気がした。 別にこんな貧弱で今にも死にそうな細い人間の娘なんかに何もしねぇっての。

 つーか、怖いなら離れてればいいじゃねーか。 何で髪を結うとか言い出すんだ。

「わ。 ……凄い綺麗」

 小娘の震えた指先が俺の髪を一房掬い上げる気配がして、何故か聴こえたのはそんな言葉だった。

「髪なんか全部同じだろうが」

「そんな事無いですよ! いいなぁ……真っ直ぐで艶もこしもある」

 小娘の髪は白金で、細い。 そういや、熱から脱して起き上がった時に髪がどうたらって騒いでた気がするな。 絡まってるとか何とか。

 軽く髪を引っ張られるような感覚がした。 どうやら結い始めたらしい。

「小娘。 お前は怖くないのか」

 気がついたら、言葉が転がり出ていた。 じっとしているだけで退屈だったからだろう。

「髪も見た目も、お前達とは違う。 種族も」

「怖くないです。 だって、樹宝さんだもの」

「人間の言語野はいつから正常に動かなくなった?」

「怖くないですよ。 私はあなたのお嫁さんなんですから」

「もういい。 まともな答えが返ると思った俺が馬鹿だった」

 そうだ。 この小娘は言葉が通じないのだったと、俺は思い出した。

「怖くないです。 ……です」

「あ?」

「ふふ」

 何か言った気がしたんだが、囲炉裏の爆ぜる音と雨音で掻き消えたようだ。 小娘自身も蒸し返す気はないらしい。 そうしている内に髪を引っ張っていたような力はなくなり、代わりに背に軽く結った髪が落ちる感じがした。

「出来上がりです」

 心なし楽しそうな小娘の声に首を動かし振り返る。

「……」

「……? どうかしました?」

「別に」

 俺は振り返るのを止めて小娘から顔を背けた。 やっぱりあれは食うもんじゃなかったらしい。

 振り返った先で嬉しそうに笑った小娘と瞳が合っただけなのに、一瞬、息の根を止められたような気がした。

 食うべきじゃなかった。 『胸焼け』が治まらねぇ。

 どうかしてる。 この小娘の“名”を呼んでみようか、なんて……。




 春の雨が上がって、山の装いも花霞みに淡く染まる。 雨と陽光の恵みに蕾は膨らみ綻ぶ。

「おい、何をしてる」

「あ。 樹宝さん」

 折れそうな白く細い手足で木に登ろうとしている姿を見つけて、俺は眉を顰めた。

 あれから数日。 相も変わらずこの小娘は落ち着きがねぇ。

「何をしていると、聴いているんだ」

「この林檎を、取りたくて」

「それは林檎じゃねぇよ」

 そこに実っていたのは一見赤く熟れた林檎だ。 けど、違う。 その実の正体を教えてやろうかと口を開いた時、背後から気配と声がした。

「おやぁ、止めた方がいいよぉん。 くふ。 それぇ、毒があるからぁ」

「ビオルさん」

「毒……」

 音もなく小娘と木に近づいたビオルさんは無造作に毒林檎だと言ったその実をもいだ。

「このままだとねぇ。 これは火を入れる事で薬になるのぉん。 毒も薬も紙一重って事だよぉ。 うふふ」

 鳩の血を固めたような真紅の林檎を手に笑う姿は人間どもが語る物語の悪い魔法使いのようなものに見えるらしい。 何時だか精霊の一人がそう言っていた。

 だが、小娘はそんな姿も見慣れたのかそれよりも興味深そうに毒林檎を見つめている。

「お薬になるんですね」

「そぉ。 うふ。 実はぁ、リトさんの飲んでるぅ、薬にも少し入っているんだよぉ? これの粉末ぅ」

「え!」

「加熱してぇ、工程を踏めば万能薬に近い素材に変わるからねぇ」

 おいおい小娘、何でそこで目を輝かせてんだ? さっきの「え!」は怯え慄くものじゃなく、すっげぇ食いつくもんだった。 ビオルさんの方に枝に乗ったまま身を乗り出すな!

「……くふ。 後でぇ、興味があるならぁ教えてあげるぅ。 という訳でぇ、樹宝さんや、リトさんを降ろしてあげてぇ」

「……何で俺が」

「…………」

 いつものように声が低くなるかと思ったんだが、何故かビオルさんは少し考えるように黙った。

 それから、ニィィっと笑う。 ちょっと不気味だった。

「じゃあ……私がぁ、降ろすねぇ?」

「え?」

「樹宝さんがやらないならぁ、仕方ないじゃあないかい」

「そ、れ、は……」

「じゃあ、リトさん。 おいでぇ?」

「あ、はい」

 待て小娘!

「きゃっ?」

「あらん……。 ふふ、どぅしたのぉ? くふん」

「樹宝さん?」

 軽かった。 いつも思うんだが、こいつ本当に中身あるんだろうな? 小娘の身体を抱えて木から下ろす。

 仕方ねぇだろ。 ビオルさんにこんな事させられるか!

「ビオルさんがやる事じゃない」

「……ふぅん? そぉ? うふふ」

 そうだ。 だから仕方なく、やったんだ。 それだけの事だ。 そのはずだ。

「あは。 じゃあ、手間を省いてくれてありがとぉん」

「いえ……」

 どうしてか。 俺はビオルさんから咄嗟に目を逸らした。 何でそんな事しちまったのか、わからねぇ。

「樹宝さん、ありがとうございます」

 地に足をつけた小娘が俺の袖を引いて言う。

「……ビオルさんの手を、煩わせるんじゃねぇよ」

 それが何か『胸焼け』を引き起こす。 あの毒物クッキー、毒性が強すぎるだろう。

「あ、はい。 気をつけますね」

「ふん」

 しまりのない顔だ。 小娘が襲来してから、何回も見たことがある顔だ。 今更それがどうしたってもんなのに。

 何で、こんなに落ち着かねぇ……。

 その顔を見てると、胸焼けがする。 なら視界から外せばいい。 なのに、おかしい。 視線が外せないって何でだよ?

「さぁ……、お昼にしようかねぇ、今日はガレットだよぉ」

「わ! あれ、私好きです」

「うふふ。 じゃあ、作った甲斐があったねぇ」

 ひらりと翻るローブ姿に続く形で俺と小娘は歩き出す。 ビオルさんが作っていた小屋はもうほとんど出来上がっている。 後は家具とかそういうもんを揃えるだけらしい。

「新居が落ち着いたらぁ、作り方を教えてあげるぅ」

「本当ですか? 嬉しい!」

 明るく弾んだ小娘の声に、何故か俺は苛つく。 多分、ビオルさんに馴れ馴れしいからだ。

「おい、ビオルさんに手間を掛けさせるなって言った筈だ」

「手間じゃないよぉ。 むしろぉ、そうしないと私が毎日ずっと作りに通わなきゃあいけなくなっちゃうよぉ?」

「……」

「うふ。 私だってぇ、新婚のお邪魔はしたくないものぉ」

 いや、違う。 新婚とか、俺はこの小娘を嫁にした覚えなんか無い。

 いつものようにそう言おうとした。 口を開いた。 なのに。

 声が出なかった。


 何だってこんな事になったんだ?

 あの毒物を食ってから、何かおかしい。

 わけがわからねぇ。


 次回、恋歌遊戯 第五話「誓約」


 俺は……。

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