一
一
人間は面倒で厄介だ。 いらんもんを勝手に押し付けて自分勝手な要求ばかりしてきやがる。
俺は生け贄が欲しいなんて一度も言ってねぇっつの!
萌黄色の長い髪は少し邪魔だが、まあいい。
白い衣を幾重にも重ねたゆったりとした衣装。
右の唐紅花、左の橙。 色彩は違えど見える世界は同じ俺の両目。 映る世界は凪のように穏やかだ。 時折、風が頬を撫でていく。 花は咲き誇り、舞う花弁が蒼天へと吸い込まれていく。
長閑な日だった。 この娘が来るまでは。
「お嫁に参りました。 末長く宜しくお願い致します」
「帰れ」
一体何が起こった。 どこから沸いたんだこの小娘は?
真円に近いこの大陸、その中心たる狭間の地にある狭間峰。 その峰が腕を広げ護る様に抱く小高い丘、大樹の下で今日も健やかに清々しく昼寝を楽しもうとしていた俺の傍にやって来て、「嫁に来ました!」とか言った人間の小娘に、俺は当然の如くそう返していた。
「嫌です」
だというのに、こいつ聞いてなかったのか?
それとも、これは幻聴か。 幻聴なのか。
白に近い金の髪、肌も日の光りと縁遠そうな白さで気持ち悪い。 暗所で育った植物みたいなひ弱さとか細い生気。 その癖、どこにでもあるような薄茶色の瞳は真っ直ぐに俺を見返してくる。 生意気だ。
身につけているものは花嫁気取りなのか白く薄い足首まで隠れるもの。 人間の服装なんて興味がないからよくわからないが、女の身につける服装だってのはわかる。 無駄にひらひらして、そんなもん身につけて花にでも擬態する気なのか。
「私はあなたのお嫁になりに来たので、もう帰りません」
「お前の耳は聴こえないのか。 それとも飾りか」
「あら。 聴こえないならこんな的確な返事はできません」
どこが的確だ! どこが!
「ミルリトン・マーシュ・マロウ」
「は?」
何の呪文だと小娘の顔を見る。 陽の匂いもしない、暗所の植物の癖にその顔だけはやけにはっきりしていた。 真っ暗な中に一つだけ白い花が咲いているようなそんな異質な強さだ。
小麦みたいな薄茶の瞳が楽しそうに笑んで、小娘は言った。
「リトって呼んで下さい。 精霊王様」
「誰が呼ぶか!」
誰かこいつをどうにかしてくれ!
「ふくっ、く、くくっ! あ、あはっ」
千年を超える大樹の下、青々とした草の絨毯の上で木漏れ日と一緒に笑っているのは布の塊……ではなく、俺にとっては兄みたいな人だった。
「ビオルさん、笑い事じゃない」
その人はいつも全身を薄茶色のローブで包んでいて、今は身体を丸めて笑っているのでまるっきり布の塊にしか見えない。 ひとしきり笑った後、ごしごしと恐らく笑いすぎで出た涙を目深に被ったフードの下で拭って、ビオルさんは振り返った。
俺より幾分背が高い。 確か百八十センチくらいだとか以前言っていたはずだ。 フードから零れた緑青色の髪は木漏れ日に光る。 いつもは上質な弦楽器のような声も今日は耳に障った。
「あーはははっ! いや、うん、そうだねぇ。 ……くふっ」
「どうにかして下さい。 そもそも、何故こんなのがここに入って来られるんです!」
ビオルさんは「門番」だ。
「えぇ~? 別に誰でも此処に入る事はできるよぉ別にぃ、柵も無いしぃ、“門”があるわけでもなしぃ」
「…………」
「それよりぃ、うふふ。 面白い子じゃあないかい。 この子なら樹宝さんの嫁に相応しいよぉ。 良かったねぇ」
そうビオルさんが声を掛けた先には、あれからいくら言っても頑としてそこから去ろうとしなかった小娘がいる。 小娘は我が意を得たりとばかりに頷いた。
「嬉しいです。 よろしくお願い致しますね。 お父様?」
「おい!」
小娘なんて事を言いやがる! そう俺が言うより早く、ビオルさんは片袖を口許に添えて笑った。
「違うよぉ。 私はぁ、樹宝さんの配下みたいなものだからぁ」
ね? 樹宝さん? そんな声が聞こえそうな仕草でビオルさんは俺に首を傾げてくる。
頷きたくない。 俺たち精霊は姿と年齢が釣り合わないなんてざらだ。 かくいう俺も人間で言えば二十そこらの男だが、もう千年は昔に超えている。 だが、ビオルさんに比べたら俺なんかひよこも同然。
そのフードの下にある姿は、十八そこらだが実際の年月は数千数百。
そんな人相手に、どうして配下なんて言える? 年功で言えば逆だろう完全に!
「樹宝さん?」
う。 無言の圧力掛けられた。 この人、いつも笑ってるけど確実に圧力掛けてる時とそうじゃない時がある。
「……ビオルさんは、俺の父親じゃねぇ。 精霊は人間みたいな両親なんて存在しないからな」
「はぁ……。 樹宝さん、また私に『さん』付けてるよぉ? そんなだから誤解されるんだよぉ。 樹宝さんはぁ、この大陸の心。 樹宝さんより高位のものなんていないのにぃ」
少し呆れたような仕草で溜息をついてビオルさんはそう言うが、俺にとっては間違いなくこの人は俺よりも高位なんだから仕方ないだろう。
「……俺は」
「だから、さんづけ禁止ぃ。 そういう訳だからねぇ? 私はビオル・サーディガーディ。 樹宝さんのぉ、配下ぁ。 よろしくねぇん」
「ビオルさ」
「樹宝さんぅ」
「……ビオルは、風の長だろう」
「あは。 そうそぅ、代理だけどぉ風の長もやってるよん」
「風の長、ですか?」
「そうそぅ。 風の精霊のぉ、代表みたいなものかなぁん」
この小娘絶対わかってねーだろ! 嗚呼、苛々する!
「小娘、いいか良く聴け。 ビオルさ……ビオルは寛容だからお前なんかの戯言にも付きやっているんだ。 俺とて同じだが、お前みたいな人間の小娘一人、ビオルや俺にしてみれば命を奪うことなど容易い。 風で切り刻んでもいい、この手でその薄気味悪い首をへし折ってやる事も出来る。 お前の命など気に入らなければいつでも消せるというのを忘れるなよ」
だからさっさと失せろ。 これだけ言えば流石にわかるだろうと俺は思った。
「はい。 気に入らない時は、いつでもどうぞ」
だああああああ! 何なんだよこいつは! 馬鹿か。 頭悪いのか!
「私は精霊王様のお嫁さんですもの。 あなたに嫁いだ以上、もしあなたの気分を害してその罰がそれなら従います」
「こんのっ馬鹿っ! そもそも俺は嫁にした覚えはねぇって言ってんだろうが! 言葉が通じねぇとか人間はいつから言語を忘れやがったっ?」
「通じてなきゃこんな会話できませんよ?」
マジでこの小娘どうにかしてくれ!
「いやぁ。 仲が良いねぇ。 うふふ。 お似合いだよぉん」
「ビオルさん!」
「さんづけ禁止だって言ったでしょぉ? 何度言わせる気ぃ?」
「うぐ……」
理不尽だ! 何で俺ばっかり!
「うふふ。 さてぇ、可愛い樹宝さんのお嫁さんやぁ。 折角なんだけどねぇ、お嫁さんを貰えるなんてぇ連絡一切貰ってないからぁ、新居の用意がないんだよぉ」
ハッとして顔を上げると、ビオルさんがすまなそうに小娘にそう言っていた。
なるほど、寝る場所もないのだから人間の小娘がいつまでもここに居られる筈がない。 ビオルさんはあくまでも穏便に引き取らせる気なのか!
「だからぁ、樹宝さんが用意するまでぇ、雨風しのげる程度の場所で野宿になるんだけどぉ」
「はい。 わかりました」
は? この小娘なんつった?
「幸い、風除けのローブもここに来るまで羽織っていたものがあるので、どうにかなると思います」
とか言って小娘が羽織っていたという薄水色の畳んだローブを見せる。
「ごめんねぇ。 なるべく急いで用意するからぁ」
「いえ、ありがとうございます」
いやいやいやいや! ちょっ、待て。 待って。 ビオルさん!
「ビオルさん!」
声を上げた俺の方など一瞥もせず、ビオルさんは小娘と話を先に進めていく。
「本当にごめんねぇ、とりあえずぅ、今夜はお祝いだしぃ、せめて夕食はちょっと頑張って作っちゃうからぁん」
「わぁ、嬉しいです!」
「嫌いなものはあるぅ? 食べられないものとかぁ」
「特には無いです」
「よかったぁ。 じゃあ、なるべくぅ暖かくなるものをこしらえるからねぇ」
「あの、よろしければお手伝いさせて頂いてもよろしいですか?」
「くふ。 助かるよぉ」
お願いだから誰か俺の話も聞いてくれ!
結局、俺の訴えは虚しく、人間の小娘は居座ることになったんだ。
いきなりやって来て「嫁になる」とか言ってきた人間の小娘。
冗談じゃねぇ。 ……なのに、ビオルさんはあいつの味方だし、どうしてこうなるんだ?
しかもこの小娘、とんでない事を黙ってやがった――――。
次回、恋歌遊戯 第二話『灯りの花』
マジで人間なんてろくなもんじゃねぇ……。