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果ての湿原  作者: 深森継人
果ての湿原
4/5

少女と蝶々


 僕が果ての湿原に来てから、何日かが経過した、

 灰色の曇天に、半透明な白い靄のせいで、この場所には変化がないように見える。しかし夜は来るし、朝も来る。靄が薄い夜は、よくよく眼を凝らしてれば物凄く霞んだ朧月のようなものも見える。果ての湿原にもきちんと一日が存在するのだ。

 日数を数えるのを忘れていたため、具体的な経過日数はわからないけど、多分二週間ぐらい経った頃。時刻は多分昼頃。僕は既に日課と化した散歩をしていた。好き好んで行っていると言うよりは、それしかすることがないと言う方が正しいけど。

 果ての湿原の住人は愛想が良かったり悪かったり、友好的だったりそうでなかったり、無関心だったり好奇心丸出しだったりと、ギャップが激しい。唯一中庸的だったのは、最初に会った獣医くらいだ。ゴールドフィッシュの店主の女性はとても愛想が良かったし、山羊と仲が良い傷跡だらけの少年はとても友好的だった。それ以降会った人はそうはいかなかった。丸無視されたり、唾を吐きかけられたり、無言でじっと睨みつけられたり、いきなり罵詈雑言を浴びせられたこともある。突然無遠慮に質問攻めにされたこともあった。色々な人が居るのだなと思った。

 今日はどんな人に会うだろう。そう思っていると、前方に一本に木が立っているのが見えてきた。

 枯れた茶色の葉に白い樹皮。白樺だった。

 陸地に一本、すくっと立っている。その根元辺りに、くるくると回っている黒いものが見えた。

 近づくに連れて、小さな歌声も聞こえて来る。

 枯れた白樺の傍で、歌いながらくるくると回っている黒いもの。それは一人の小さな女の子だった。

「こんにちは」

 僕は声をかけてみる。

 こちらを背にして、ぴたりとステップが止む。そして女の子が振り向く。

「あら、おきゃくさんね」

 と言って、にっこりと笑った。

さらさらとした長い銀髪に、大きな宝石のような緑の瞳。そして黒一色のワンピース。とても愛らしい少女だった。

 お客さん。どう言った意味を含んだ言葉なのだろうか。僕が考えていると、続けて女の子が言う。

「おちゃかいはもうすぐよ。ちょっとまっててね」

 スカートの裾を摘んで、お淑やかにお辞儀をしてみせる女の子。そして再び軽やかにステップを踏みながら躍り出した。

 これは、一体どのような状況なのだろうか。僕は思案する。 

 女の子は躍っている、歌いながら。だが彼女は言っていた。これからお茶会が始まると。その口ぶりから、彼女がお茶会の主人であるようだ。この場所でするのだろうか。というか、お茶会とはその文字通りの意味合いなのだろうか。もしかしたら比喩か何かかもしれない。ここの住人の言葉もまた額面通りだったり、意味が不透明だったりと差が大きいのだ。そんなことを考えていると、ふと頭上で何かがひらひらと舞っているのが眼に入った。

 何だろう。よくよく眼を凝らして見ると、それは徐々に輪郭を現して来る。

 真っ白な蝶。気を抜いてしまうと、そのまま灰色の空に溶けてしまいそうに見える蝶が数匹、白樺の周りを舞っていた。女の子のターンに合わせるように、ひらひらと優しくくうを泳いでいる。さらさらと流れる銀髪と、ふわりと風に舞う黒のスカート。そして共に舞う白い蝶。その風景を見ていると、何だか夢を見ているような気分になって来た。

「さあ、みんなそろったわ。おちゃかいをはじめましょう」

 ぼうっとしていると、女の子の声に眼の焦点が戻る。

 皆揃ったって、誰が。と思っていると、いつの間にかに眼の間には丸い硝子のテーブルが一つと、椅子が四つ出現していた。四つの椅子の内の二つは既に埋まっていた。二人の大人の男女。二人とも、女の子と同じく銀髪に緑色の瞳をしていた。

「おにいさんもすわって」

 一体いつ現れたのか。首を傾げていると女の子が僕の腕を引っ張る。促されるままに僕は空いている一つの席に座った。

「さあ、どうぞ」

 どこから持って来たのか、テーブルの上には陶器のティーセットが置いてあった。花の絵が描かれたティーカップを女の子が差し出して来る。

「どうも」

 僕は受け取り、ひとまずテーブルの上に置いた。

 女の子は同じように、僕の正面と隣に座る男女にカップを配っていた。

 微笑んでいる二人をじっと見つめる。女性の方は、長い銀髪に、ほっそりとした顎。薄紅の頬。とても綺麗な女性だ。なんとなく面影が女の子に似ているような気がした。男性の方は、柔らかそうな銀髪を短く刈り、精悍な顔つき。細身ではあったが、肩はがっちりとしており、服の上からでも体にバランスよく筋肉がついているだろうことがわかった。そして二人とも女の子と同じく黒い服を着ていた。

「おにいさんはどこからきたの?」

 ティーカップを配り終わった女の子が訊ねて来る。両手指を交叉させて、その上にちょこんと顎を乗っけて、少し首を傾げながら。

「さあ、取り敢えず外からですね」

 カップの中身をじっとみつめながら僕は答えた。

「そと? そとってどこかしら。あっち? そっち? それともこっち?」

 女の子はくるくると四方に視線を彷徨わせながら、歌うように言う。

「今日はあっちから来ました」

 僕はその内の一つ、今日歩いて来た渡り橋を指差した。

「そう、あっちからきたのね」

 うふふ、と女ここが笑う。正面と隣の二人は相変わらず穏やかに微笑んでいた。

「わたしはそっちからよ」

 女の子は僕がこれから向かう予定だった方向を指さす。

「それでね、よるになるまでわたしたちはずっとここにいるの」

「わたしたち?」

「そう、わたしたち。わたしと、おかあさんと、おとうさん」

 女の子の言葉に、やっぱりこの二人は女の子の両親なのだなと合点する。道理で似ている訳だ。

「おひるのあとは、いつもここでおちゃかいをするの。おかあさんのこうちゃはとてもおいしいのよ」

 そう言って花柄のカップを愛おしげに両手で包み、

「とてもいいかおりでしょう? ミルクをいれてもおいしいんだけど、なにもいれないほうがこうちゃそのもののあじをたのしめるのよ」

 なんておしゃまに言う。

「……そうなんですか」

 僕はそれだけ言って、女の子のようにカップを両手で包んでみる。ひんやりとしていた。

「おさとうもいれないほうがいいのよ。おかしといっしょにね、いただくから。おとうさんはね、おかしづくりがとくいなのよ」

「お菓子作り、ですか」

「そうよ。おとうさんはね、とってもつよいの。でもね、おうちにいるときは、おかあさんとわたしに、おかしをやいてくれるのよ」

 柔和に微笑む男性を見る。カップの取っ手を掴んだ手は、大きくて骨ばっていて武骨な感じがした。これがお菓子作りが得意な手、らしい。

「そこのクッキーもおとうさんのてづくりよ。こうちゃといっしょにめしあがってね」

 女の子がテーブルの中央辺りを指差す。

「……はあ」

 僕は曖昧に頷く。

 すると、女の子はにこっと顔全体で笑い、突然すくっと椅子から立ち上がる。

「そろそろゆうがたね。きょうのおちゃかいはこれでおしまいよ」

 女の子がそう言うや否や、僕は急に支えを失った。

 おや、とも、あれ、とも疑問に思う暇もなく、どすん、と地面に尻もちをつく。

 瞬きの時間の間に、透明な椅子とテーブル、花柄のティーセット。そして穏やかな微笑みを浮かべた女の子の両親は跡形もなく消えていた。

 間抜けに尻と両手を地面につき、一人残った女の子を見上げる。

「おはなしができてたのしかったわ、おにいさん。またこんど、おちゃかいでね」

 ごきげんよう、と再びスカートの裾を摘んでお辞儀をする女の子。そして何か歌を口ずさみながら、スキップで僕が来た逆方向の道へと去って行ってしまった。

 僕の頭上ではいつの間にか、また白い蝶が数匹、ひらひらと舞っていた。

 今の現象は、お茶会とは、一体何だったのだろう。そう思いながら優雅に舞う蝶を見つめていると、チリン、と聞き覚えのある鈴の音が耳に触れた。

 柔らかい地面に座ったまま首だけで振り向くと、そこにはこれまた見覚えのある山羊と、金髪の少年が立っていた。

「あれ、今日のお茶会は終わっちゃった?」

 害のなさそうな笑みを作って言う、少年の第一声。

「ついさっき、終わったみたいですよ」

「そっか。もう夕方だもんね」

 ああ、と納得すると少年は僕の目の前にしゃがんだ。

「それで、どうだった? 彼女のお茶会は」

 その口ぶりから、少年はあのお茶会に出席したことがあるのだろうなと思った。

「なんだか夢みたいでしたよ」

 僕は率直に、頭に浮かんだ感想を伝えた。

 夢のよう。声に出してみると、女の子のお茶会はまさにその形容がぴったりだと感じた。

 先程まで言葉を交わしていた女の子。会話というよりは、女の子が言う一方的なことに相槌を打つくらいだったけど。彼女は確かに存在していた。

 しかし彼女の言う《お茶会》は、実に奇妙なものだった。

「うん、わかるよ」

 うんうん、と頷く少年。

「彼女の両親には会った?」

「はあ、まあ……」

「じゃあ、聞いたよね。紅茶を淹れるのが上手なお母さんと、お菓子作りが得意な強いお父さんの話」

「そうですね。聞きました」

「それじゃあ、紅茶、飲んだ?」

「……いいえ」

「クッキーは?」

「それも」

「だよね」

 あはは、と声に出して笑う少年。

「飲めないし、食べれないよね」

「……そうですね」

「だって、無いんだもんね、どこにも」

 そう。少年の言う通り、紅茶もクッキーも何処にも存在していなかった。

 渡されたティーカップの中身は空で、女の子の指差した場所にはクッキーも何もなかったのだ。

「でもあの子には見えてるんだよ」

「みたいでしたね」

 女の子は嘘をついている風でもなかったし、僕を騙して楽しんでいる風にも見えなかった。だから、彼女は本気で全てが在るように見えていたのだと思う。本気でお茶会を楽しみ、客をもてなしていたのだろう。

「あの子がお終いっていうと、全部消えちゃうんだ、いつも」

「ついさっき体験しました」

「ああ、だからこんなとこに座ってたんだね」

 少年がまた笑い、今度は山羊も一緒にメェと鳴いた。

「最初は僕もそうなったよ」

「そうなんですか」

「うん。最初はびっくりしたけど、なんか病み付きになっちゃうんだよね。彼女のお茶会。一瞬だけど、夢みたいなふわふわしてて。心許ないんだけど、心配することも何もないって言う。なんか、安心できる時間を味わえるんだ」

 穏やかな優しげな口調で少年が言う。

 その感覚は僕もわかるような気がした。

 奇妙なお茶会の間、彼女は常に微笑みを絶やさなかった。楽しげに僕をもてなし、誇らしげに両親のことを語った。その様子は、そう、幸せそうだった。おそらく彼女にとって、お茶会は幸福の時間なのだろう。違和感はあったが、そんな女の子の様子を見ていると、僕もその時間を共有できるような気分にさえなった。

「きっとあの子にとって、あれは幸せの時なんだね」

 僕が思っていたことと同じことを、少年も言った。

「あの子はこの枯れた白樺の木の下で、いつもお茶会を開いているんだよ」

 周囲をひらひらと白い蝶が舞う一本の白樺の木を、少年と共に見上げる。

「彼女が置いてきたものは、何だったんでしょうね」

 なんとなく僕が言うと、

「さあ。でもあの子が此処で幸せを感じているなら、別に何でもいいんじゃないかな」

 と少年が答えた。

 確かに、彼女にとって置いて来たものはどうでも良いものだったのかも知れない。一日に一度、両親と共にお茶会を楽しむ。そんな幸福なひと時を過ごせる彼女が、少し羨ましい。それが儚い幻だとしても。

果ての湿原に来て幾日か経った今日。僕は初めて、そんな羨望を感じた。


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