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荷馬車に揺られながら来た道を猛スピードで駆け抜ける。
騎士達と出会った岩の場所にはもう誰もいなかった。
あの岩陰に倒れていた人の体もどこかへ持ち去られたらしい。
影狼。ダスクはかつてディークという名前で、その組織の幹部をしていた。
従者の男が語ったことがどこまで真実かは分からない。
カーネリアンという男はヘリオンの持っていた輝剣に触れ、その持ち主が誰かを確信していた。彼とダスクが旧知の中であるのは確実だろう。
騎士達は村に辿り着くだろうか。
あのとき口に出したのは山奥の村という曖昧な情報だけ。それ以上のこともカーネリアンは聞かなかった。
それで十分だったというのか?
ヘリオンは今まで騎士とその従者に会ったことがない。
辺境の村まで彼らが訪れたことは、ヘリオンの記憶にはなかった。
身分の高い人間が訪れる場所ではない。だからこそダスクは隠れ家として選んだろう。
しかしステアのように行商人が村の場所を知っているし、この辺り一帯の町とは細い交流があった。
ヘリオンが思案から顔を上げると、村のある山の麓まで来ていた。
歩くような速度しか出ない荷馬車では二日もかかった道のりも、軍馬で早駆けすれば一日とかからない。
こんなにも近かったのか。
あの村でヘリオンが感じていた閉塞感。あんなものは、何年かしてヘリオンが自分の足で外を歩けるようになれば、自然と無くなってしまう、些細な気の迷いだったのかも知れない。
ダスクの言っていたとおり、ヘリオンにはまだ知らない事が多すぎた。
平原の道が終わり、山道に入る。頑強な馬だがここまで休まず走らせてきた。
これから続く上り坂の前に、休憩を挟んだほうがいいだろう。
ヘリオンがそう思い馬の足を緩め、村へと続く山道を眺めれば、そんな心配は必要ないことが分かった。
「ああ、クソ!」
道の先に、山道を下ってくる騎竜の姿がある。
彼らにもヘリオンの姿は見えているだろう。隠れても意味はない。
爪で地面をかき悠然と歩く騎竜に跨っているのは、先ほど出会った騎士の二人だ。
騎竜の歩き方は馬とは違い、胴体の揺れが少ないのだろう。死神の行進。滑るように進むその姿は現実の光景とは思えない。
あの若い騎士は血に濡れたローブのままで、遠くからでも見えやすい。
彼の後ろには縛られて乗せられた荷物があった。先ほど平原であの騎竜を見たときにはなかったはずだ。
それは人の形をしている。
岩陰に隠れていた男の死体だろうか。たぶん違う。
わざわざ死体を持ち運ぶ必要が思いつかない。死体は従者たちが埋めたか、墓場まで運んだのだろう。
騎士たちが捕らえた人間を運ぶのは、まだ生きているからだ。別の場所で話を聞くために。
だから大丈夫だ。ダスクは殺されていない。
騎士たちがこの短い時間で村に辿り着き、ダスクを捕らえたことを、ヘリオンはもう疑っていなかった。
馬を下り、道の真ん中で騎士たちを待つ。
ヘリオンは村に帰ったあとのことについて、自分がやるべきことを考えていた。
まず騎士たちより先に村に戻り、ダスクへと今日あったことを話す。そしてダスクの口から過去について真実を聞く。まずなによりヘリオンにとっては大事なことだった。
もし、あの従者の話がまったくのデタラメで、騎士の思わせぶりな態度に踊らされているだけならそれでいい。
ダスクはただ剣の腕が立つ辺境の村人。
ヘリオンは村を飛び出した孫としてこれから自由に生きていく。
では仮にダスクが、名前を変える前に影狼という組織で悪事を働いており、騎士を危険視して、どこか別の村へと移動するなら?
ヘリオンはダスクの逃亡を手伝うつもりだった。
どんな名前だろうと、たった一人の肉親だ。
安全に隠れられる場所を見つけたあと、ダスクが許すならまた旅に出る。ステアの無事を確かめるためにあの町に戻るだろう。
現実はどちらとも違った。
騎士たちとヘリオンは顔が見える位置まで近づいている。
騎竜の荷物として乗せられた人の顔も分かった。
いままでの成り行きをすべて無視して、誰か知らない人がそこにいて欲しいとヘリオンは願ったが、それはやはり、自分を育て共に剣の修行をした、見慣れた祖父の姿だ。
こうなった時のことをヘリオンは考えていない。考えたところでどうすることもできないのだから、出たとこ勝負、すべてはあの騎士次第だ。
「おお、ヘリオン君。こんなにすぐ再会できるとは。できればここで出会いたくはなかったよ」
カーネリアンという騎士は相変わらず軽い調子で話しかけてくる。
「それはセルゲイの馬だな。彼をどうした?」
セルゲイ。従者の男のことか。
若い騎士とは初めて顔を合わせる。釣り目気味の強気な表情をした男だった。
状況的にヘリオンのことを警戒して当然だが、セルゲイに比べて、漏れ出る魔光から意図をくみ取ることはできなかった。技術の違いか。
それでいえば、カーネリアンから漏れ出る魔光は掴みどころがない。相変わらずその身体の周囲は歪んで、行動や感情の意図を読み取ることは出来ない。
カーネリアンは輝剣を使うか迷っているヘリオンの意図を読み取っていた。
彼らに敵意を抱いてはいけない。ヘリオンはそれを隠せないのだろう。輝剣を取ろうとするよりも先に腕ごと切り落とされかねない。
「あの従者の人が、俺たちを捕らえようとしたので、彼が持っていた魔法の紐で縛ってきました。祖父は、無事ですか」
「ははっ。だから言っただろう。セルゲイでは返り撃ちにされると。隠れていたわけでもないのだし、後で探して輝石院に招けばよかったのさ」
「カーネリアン卿、やはり危険です。セルゲイは剣の腕はいまいちですが、騎士課程を卒業しているのですよ。この歳の少年が制圧できるなんて異常だ。やはり影狼にするべく育てていたのでは?」
まただ。また影狼の名前が出てきた。
「影狼なんて、ダスク……祖父からは聞いたことありません!いったいなんなんですか影狼って」
カーネリアンは騎竜を降りて近づいてくる。
荷馬車の上からでは分からなかったがかなりの長身だ。
笑顔を崩さないその眼光は鋭く、ヘリオンを見下ろす。眼前を埋めつくす巨大な壁の前に立っている。それほどの圧迫感。
「この国を闇に陥れる者たち。そして私たち白華の騎士団が戦う敵だ」
カーネリアンは語る。
影狼とは、光の神カンデラを守護する中央輝石院と敵対する組織。
輝石院の権力を弱めるため悪行の数々を行ってきたのだという。要人の暗殺、外患誘致。地方都市と中央が対立するように仕向け、活動資金を稼ぐため密輸や密売を行う。
この国の歴史を紐解けば、騒乱の裏には常に影狼がいる。
「君の祖父、私たちにとってはディークというこの男は、影狼を率いる一人だった。輝石院に潜伏するスパイとして長年活動を続けた彼により、多くの仲間が犠牲になったのだよ。私の部下も、彼に関わったことで帰らぬ人となった」
「俺には、そんなこと、一言も……。輝石院のことだって、この前初めて知ったのに」
「ディークも、孫は自分と無関係だと言ったよ。ああそうだ、彼には魔法で眠ってもらっている。騎士団の支部に移送するんだが、場所を明かすわけにはいかないのでね。彼も意識があるまま騎竜の腰にぶら下がるなんて嫌だろう」
「祖父をどうするんですか」
「どうする?騎士ロズエン」
話を振られた若い騎士は、騎竜の上から少し面倒くさそうにカーネリアンを見た。この初老の男の下に付くのは独特の苦労があるのだろう。
「尋問を行います。ディークが関係している事件は多岐にわたる。奴が姿を眩ませてから進展がなかった影狼達の情報を得る機会です」
「ダスクはなにも知らない!」
「そんなわけないだろう!こいつは影狼の幹部だ!」
「本当だ!俺と暮らしていた十一年間、ダスクは村を出ていなかったし、村にそんな物騒な連中が来たこともない。あんた達も見て来ただろ?あの小さい小屋の中で酒を飲んでただけだ!」
「隠れて仲間と連絡をとっていた可能性はある。お前が影狼の一員でないなんて保証もない。尋問の後は、教会の審問会がその罪を裁くだろう。牢に繋がれ、二度とカンデラの光の下には出られまい」
「それでも……」
ヘリオンはダスクとの生活を思い出す。
一日の始まりは剣術の修行だ。ヘリオンがまともに戦えるようになるまではいろいろな修行をした。
棒の素振りに走り込み。ダスクの攻撃をひたすら避け続ける訓練。輝剣の発動練習。実戦形式の試合。
修行が終われば、ヘリオンは村の仕事に出かけた。
村人達に連れられて山羊の世話を教わりに行くヘリオンを、家の前で見送るダスクの眼差し。
ダスクも家でできる何かしらの作業を請け負って、食い扶持を稼いでいた。
手先は器用な方だ。木や石を削って日用品をつくるなど、村から食料を分けてもらえる程度には生活をしていた。
そのまま職人にでもなったらいい。ヘリオンも何度かダスクに言ったことがある。
剣の修行なんかやめて、山羊飼いとその祖父として村に馴染んでいくことはできないのかと。
あの時ダスクは、ぶっきらぼうに鼻を鳴らしてこう言った。
この生活を手に入れるために全部捧げた。なにも残ってないし、いらない。
そうだ。一生この辺境の村にいればいい。
空っぽな余生を過ごし、ここで死ぬことを望んだのならば。
ヘリオンはそれに付き合うつもりはないし、ダスクを置いて村を出て行った。今でもその選択に後悔はない。
唯一手元に残っていた輝剣も、手塩にかけて育てた孫が持って行ってしまった。
もう十分じゃないのか。残りの人生を寂しく一人で生きるくらい許されないのか。
「村にそっとしておいてくれませんか。もう悪いことはしません。なにも、なにもできません」
ヘリオンは抵抗の意思を示さないよう注意しながら、膝をつき、腰巻の輝剣を横へと投げ捨てる。これで本当に全部だ。
ダスクが持っていた価値のあるものは無くなった。
地に額をつけ、懇願する他にできることはない。
輝剣でもまだ足りないなら、ヘリオンに出来ることはこれだけだ。
「俺にできることがあれば、なんでもしますから」




