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6.




 ステアと話しながら荷馬車に揺られ、街道を進む旅は二日続いた。


 見たことのない景色という、ヘリオンが旅に対して抱いていた想像とは違い、道行く先の風景はほとんど代わり映えしない。


 草原と岩場。低木の茂み。変わらないカンデラの光。


 一度だけ町の放牧隊が大規模な群れを連れているところに遭遇し、その数と、山羊との品種の違いには驚いた。

 あれは山羊ではなく羊だとステアに教えてもらう。この国では羊のほうが一般的らしい。


 道がまっすぐ続いている時はヘリオンが手綱を握ってステアが荷台で休んでいた。

 馬を休める時は歩を止め、二人で交替しながら眠る。


「一緒に寝ようか?」

「なに言ってんだよ」


 二人同時に寝てもいいなら、ヘリオンが護衛している意味はないが魅力的すぎる。

 山羊の毛皮に包まれ寝息を立てるステアを見ながら、ヘリオンは早くもこの旅を楽しみ始めていた。


 山賊、いまは平原に出たから盗賊というべきか、幸いにも賊に遭遇することはなかった。

 ヘリオンは初めての長旅に緊張していた。


 行商人や旅人とすれ違う時に、ヘリオンは彼らが突然襲ってこないかと警戒する。

 道の先に潜んで待ち伏せているような人影がいないか観察し、なにごともなく通り過ぎるたびに安堵の息をついた。


「そこまで怖がらなくたって、山道を下りればそうそう危険なことはないよ」

「じゃあステアは運が悪かったんだな」

「もうすぐ町が見えるよ。暖かいスープが飲みたいわー」

「ついにあの村の干し肉ともお別れか」


 旅の間は保存食で過ごしていたが、町についたら知らない料理を食べてみたい。

 ステアから村になかった料理の数々を聞かされ、ヘリオンの期待は高まる。


「近くに川があるんだろ?見てみたいな」

「そんなに大きい川じゃないけどね。市場で売ってたら今日は魚の煮込みにしよっか」

「魚って食ったことないんだよなぁ」


 ステアは最初から気さくに話せる相手だったが、この旅に出てからはさらに距離が縮まったように思える。

 ヘリオンの七歳年上で今は十八歳だという彼女を、年の離れた姉のように感じていた。


「ありがとう。ステア」

「えっ、どうしたの急に」


 もう見えなくなった村を思い出しながら、ヘリオンは素直な気持ちを言葉にした。


「ステアが来てくれなきゃ、俺はずっとあの村で暮らしていたから。ダスクのことはちょっと心配だけど、それでも、村を出てよかった」

「ヘリオンなら、いつか自分で村を出て行ったと思うよ。たまたま連れ出せたのが私ってだけ。神様に選ばれるような人はね、この国では自然とカンデラの方へ集まっていくから」

「そうかな」

「うん。そうなっているの」


 そう呟くステアの顔は少し寂しそうだった。

 自分はセント・ミラに居られなくなった事を、まだ気にしているのかもしれない。


「もし俺が中央輝石院ってところに入学して無事に卒業できたらさ、またステアのところで雇ってよ」

「ええー、輝石院を出た人間を雇うなんてすごいお金かかるんだよ。行商人には払えないわ」

「そこは友情価格でいいさ。俺は飢え死にしなければなんでもいいし」

「はいはい。そんなことはちゃんと卒業できてから考えなさい」

「まっ、それもそうか………ステア」

「こんどはなに?」

「あの岩陰」


 街道が伸びる先、道の脇に大きな岩があった。


 不自然なところはない。

 平原には、ぽつんと人の身の丈より巨大な岩が顔を出していることがある。


 旅の目印となり、街道が作られる際にはそういった目立つものを起点にして、道を分けたり繋いだりしているとステアから聞いた。


 岩陰に何かがいる。旅人だろうか。

 町が近づくにつれて人の往来が多くなってきた。道端で休んでいる徒歩の集団もいるし、麦畑を耕している農夫を見かけるようになった。


 だがそんなものじゃない。

 この旅ですれ違う何者にも感じたことのない圧力が、緩みかけていた警戒心を最大限に掻き鳴らしている。


 かすかに音が聞こえる。ヘリオンはその音に聞き覚えがあった。


 幼いころから練習を重ね、何度も繰り返し耳にした音。

 洗練された、高い金属質な音を発する。


 間違いない。輝剣の魔法。その発動音だ。


「まさか盗賊?」

「ちがう……あの騎竜は……」


 それが見える位置に来たところで馬が足を止めた。

 怯えるように後ずさろうとする馬を、ステアがなだめる。無理に向きを変えようとすれば荷馬車が倒れかねない。


 岩の裏にいたのは二頭の竜だった。


 一見するとそれは馬に似ているが、すぐに全くの別物だと思い直す。


 黒い鱗に覆われた四肢には引き締まった筋肉が、足の先端からは鋭い爪が伸びる。

 頭を低く突き出し、前方に傾いた体は、周囲を観察し一早く逃げるためではなく、逃げる獲物を追いかける狩人の姿勢だ。口に並ぶ牙が肉食獣である暴力性を証明している。


 その恐ろしい姿を包む鞍は、黒い騎竜の体に対して純白を基調としていた。

 胴体に掛けられた衣には一輪の花の意匠があしらわれ、騎竜という凶暴な生物であってもある種の品格を感じさせる。


 姿勢を低く、呼吸以外は一切の動きもなく待機する様子は、完全に制御され、その行動に理解を示す知性を備えていた。


「ど、どうして、白華の騎士がここに?」


 ステアの顔から血の気が引く。

 岩陰から二人の男が歩いて出てきた。


 初老の男と、若い男。

 どちらも騎竜と同じように白を基調とした衣を纏い、花の意匠を身に着けている。


 まず目を引いたのは若い方。白のローブに飛び散った鮮血。その手にはやはり輝剣の柄が握られていた。岩陰で何が行われたのか想像するなというのは無理があるだろう。


 次にヘリオンは初老の男を見た。あいつだ。

 騎竜でも、血に濡れた若い男でもない。ヘリオンが気配を感じ取ったときからずっと鳴り響いてる警報はあの男に対しての危機感だ。


 後ろに手を組んでゆったりと歩きながら若い男と何かを話し込んでいるそいつは、ふと顔を上げ、ヘリオンたちの馬車を見つけた。


 初老の男がこちらに歩いてくる。


「お、落ち着いてヘリオン。大丈夫だから」


 手綱を握りしめて白くなった手。ステアの声は震えていた。


 騎士と呼んだあの男たちに、ステアも強い危機感を覚えているのは確かだ。

 彼らは何者だろう。ステアを守るために何をするべきだ?


「いやー、すまないすまない。馬を怖がらせてしまったね。いま騎竜を遠ざけているから、すぐに通れるようになる」


 男は朗らかに声を張り上げ、なんなら小走りをしながら手を振り駆け寄ってきた。

 確かに、若い男の方が竜たちを連れて歩いていくのが見える。


「おや君たちは……失礼、どこかで会ったことがあるかい?若い行商の旅人は珍しい。会ったとしたら昔どこかで?」

「……私でしょうか。セント・ミラには三年ほど居ましたから、騎士様とはすれ違っているかもしれません」

「おお、輝石院の生徒だったか。光の導きから遠ざかろうと、偉大なるカンデラは常に貴方を見守っています。どうか善き旅を」

「感謝します。カンデラの守護者に光の導きがあらんことを」


 ステアと男は定型的な挨拶を交わして目礼しあっていた。これが教養というやつか。


「そして君は?」

「あ、あの、騎士様、この子は」

「護衛だろう?そう警戒しないでくれ。お姉さんを連れてったりしないから」

「その……なにかありましたか?」


 ヘリオンが目で岩陰の方を見ると、初老の男、騎士にも言いたいことが分かったのだろう。


「気にすることじゃない。ちょっと追いかけていた賊と一悶着あってね。まあ騎士の仕事だから何も見なかったということにしてくれないか。通り過ぎるときも、岩陰を覗いちゃだめだよ」

「馬も落ち着いたようですので、私たちはこれで」


 ステアが馬車を進ませる。すると騎士は馬車と並行して歩いて着いてきた。


 彼がいた岩の方へ向かっているのだから当然といえば当然だが、歩きながらヘリオンの顔をじろじろと観察してくる。

 わざとらしい仕草で額に手を当て、笑っているようで全く感情の籠っていない目。


 無視した方がいいと思いつつ、耐えかねたヘリオンは思わず口にした。


「あの、なんですか?」

「君のご両親、親戚に騎士になった者はいるかね?」

「わかりません。親はあった記憶がないので」

「孤児、ということかな。どこの街の孤児院に預けられていた?」

「山奥の村で暮らしてました。街に行ったことは」

「ヘリオン、ちょっと!」

「おいおいお嬢さん、私には内緒かい?君もセント・ミラにいたなら知っているだろうが、これだけの適性を持っていそうな子供が山の村にいるのは珍しい。中央輝石院に属する者としてその出自は気になるじゃないか。騎士の世界は狭い。もしかしたら古い友人に所縁ある子供かもしれないだろう!」


 ガン!

 何かにぶつかったような衝撃に馬も立ち止まった。

 違う、騎士の男が荷台の縁を掴み、後ろに引っ張ったのだ。

 嘘だろ?この細腕が、馬の牽引力より力強いということか?


 馬を進めようとステアが手綱を振るが、蹄は地面にめり込むばかりだ。騎士が掴む荷台が、その力に悲鳴をあげて軋む。


「似てる、似ているんだよなぁ、君の体から漏れ出る光。私はそれに近い輝きに出会っているはずだ」


 騎士が何を見ているのか、ヘリオンには分かる気がした。

 この緊張状態の中、ヘリオンの目にもわずかに騎士の体から青白い燐光が迸っているのが見える。一度そうだと気が付けば、はっきりと見えるようになった。


 男の周囲では魔光が歪んでいる。

 意識すればするほど、ヘリオンの目は魔光に焦点を合わせていった。


 魔法の技だ。この人間技じゃない怪力は、やはり魔法によるものだ。


 騎士というのがいったい何者か、ヘリオンには分からないが、この男が相当な実力をもった魔法の使い手だということは明白だ。


 ダスク以上。輝剣を構えたダスクからもこれに似た圧力を感じたことがある。

 しかし目の前の騎士から感じるこれは比べ物にならないほど異質で濃密だ。


 戦うべきか?

 腰布には輝剣が差してある。それを掴んで光刃を発生させるべきか。そうしたら、どうなる?


 騎士の腰にも輝剣がぶら下げてある。あの位置、あの吊り下げかたは見慣れたものだ。

 どんな状況であろうとダスクは一瞬で輝剣を掴んでいた。


 先に光刃を出すのは騎士の方だろう。そもそもこいつと切り合うのか?


「ヘリオン! 騎士様も、落ち着いてください!私たちはただの旅人です!」


 悲鳴にも似たステアの叫びに、騎士は力を収めた。


「いやすまなかった。ははは。まあ、ご両親じゃなくとも、だれか親戚の名前でかまわないから教えてくれないか。君に知り合いの面影を見たものでね」


 ヘリオンはステアを見た。もうどうしていいのか分からない。教えていいのか?


 ダスクは村から出るのを嫌がっていた。近くの町でさえ近づかなかったし、年老いてからわざわざ山奥の村へ引きこもっていたのには理由があるはずだ。


 誰かから隠れていたのなら、こういうやつらに見つかるのを恐れていたんじゃないのか?


 さっき騎士はなんて言ったか。追っていた賊との一悶着。

 その結果がローブの返り血だとすれば、ダスクが同じ目に合わない保証なんてない。


 あの岩陰にはきっと、賊の死体が転がっている。


 ステアは震える目で、頷いた。

 ヘリオンは言うべきだと解釈した。この男に対して嘘をつくことは許されないという諦め。

 それと同時に、真実を言っても大丈夫という確信があるように見える。


「祖父の名前はダスク。山奥の村で祖父と二人暮らしをしていました。家族はそれだけです」

「ダスク、ダスクか。知らん名前だな。祖父というからには年は私と近いし、ふーむ、思い過ごしだったか」


 よかった。ダスクは無実らしい。

 実際のところダスクという名前が本名かなんて孫のヘリオンにも分からない。


 しかしこの騎士にとってダスクの名に心当たりがないなら、今はなんでもいい。

 有るかも分からない祖父の罪を追及されるなんて心臓によくない状況を、早く終わらせたかった。


「では最後に一つ、君が持っているその輝剣、見せてくれないか」

「えっ」「えっ」


 ヘリオンの輝剣は腰巻の中に隠している。

 なんとなく後ろめたくて、ステアにも言っていないことだ。

 この騎士と対峙しているあいだ、腰に手をやる素振りも見せていない。


 何を根拠に輝剣があるなんて言っているんだ。


「君が発した魔法を構えるその意志。読み取るのも隠すのも必要な技術だが、君にはどちらもまだ足りていないようだ」

「ヘリオン、輝剣、持ってきちゃってたの?」

「………」


 腰巻から輝剣を抜き出して騎士に差し出す。


 深い青色の石でできた棒状の魔法の道具。操作すれば光刃を作り出すそれを、ヘリオンは今まで一つしか見たことがなかった。


 ステアは前なんて言っていただろう。輝石院を卒業すれば専用の輝剣が支給される。そう、輝剣はすべてが同じ物ではない。


 個人に与えられる装備ならば、使用者を見分ける方法があって当然じゃないか?


「ああ、やはり、そうだったか」


 騎士の男はその輝剣の表面をなぞり、懐かしそうに目をつむり、古い記憶を思い出しているようだ。ダスク。その名前には覚えがなくとも、輝剣の使用者の顔を明確に知っている。


「君はヘリオンという名前なのかい?」

「は、い」

「ああ怯えないでくれ。君に出会えて嬉しいんだ。どうしてこんなところにいるんだい?ゆっくりと語りたいこともあるが、今はここで別れよう。近い将来カンデラの御許、セント・ミラで待っているよ」


 今までの圧力が嘘のように騎士の表情は柔和なものだった。旧友との再会を果たしたようにヘリオンの手を固く握り、その手に輝剣を返した。


「また会おうヘリオン。光の導きあれ!」


 ステアはすぐに馬車を走らせた。このゆったりとした旅の間は見せることのなかった速度。

 手を挙げてこちらに別れを告げる騎士の姿が遠くなっていく。


 岩を通り過ぎたとき、いままで見えなかったその裏側がのぞき見えた。


 地に臥した人の足。布を掛けられた体の足がかろうじて岩陰から一瞬だけ見えた。

 あれが誰であれ、生きてはいないだろう。


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