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40.
輝石院の戦いが終わり、セント・ミラには平穏な時間が訪れた。
聖騎士の一人を実質的に失い、多くの大騎士が命を落とした大事件。十二年前のディークの反乱以来、輝石院がここまで痛手を受けたことはなかった。
それでも輝石院に通う生徒や、街の被害は少ない。表向きの被害といえば、輝石院の施設が破壊され、黒煙によって内部が黒く汚されたことだろう。
輝石院で戦ったのは街の外から来て潜伏していた影狼の本隊と、住民に扮した少数の協力者たちだった。
事件以来、姿を見なくなった隣人。彼らは戦って命を落としたのか、影狼として捕まったのか。この国の外へと逃げ出したのか。
ヘリオンは大聖堂の治療室で数日の間、治療に専念していた。
テセラが様子を見に来ては、戦いのその後について教えてくれる。
輝石院で戦っていた影狼の戦闘員は、ほとんどが騎士団によって捕まった。
彼らから得た情報によれば、ヘリオンが扉の部屋に向かった直後に羊小屋の勢力がカーネリアンに敗北し、撤退のために動いていたらしい。
捕まえた影狼の中にアーレッタはいなかった。
彼女のように、外国への亡命を条件に作戦の手助けをしていた協力者は、優先的に逃がされたという。その時間を作るために戦った影狼本隊の戦闘員は逃げそこなった。
尋問を受けている影狼は、街に被害を出さなかったことや、外部からの協力者を犠牲にしなかったことなど、誇りを持って語ったという。自分たちは無差別な反体制組織とは一線を画す存在なのだと。
それで白華の騎士が彼らの扱いを良くするとは思えないが、影狼にも譲れないものがある。
驚いたことに、作戦の前に捕まっていたステアも、戦いのどさくさにまぎれて逃げ出していた。
東方地域でヘリオンと戦ったときも彼女は一人で逃げ伸びた。運が良いというべきか。今回の事件でステアが影狼の活動から足を洗うとは思えない。いつかまた、ヘリオンと出会うだろう。
結局、カーネリアンはロアを捕まえることができなかった。
門の部屋から集会所へと戦いの場を移し、そこでも一戦交えたが、結局はロアの速度を誰も捕らえることができないまま、彼の逃走を許してしまった。
サニディンも大聖堂で治療を受けている今、カーネリアンが輝石院と騎士団の指揮を執っている。
カーネリアンの本心は、すぐにでもセント・ミラを飛び出し、南方都市から外国へ逃げ出そうとする影狼たちを追撃したいだろう。しかし今は崩れた輝石院の体制を立て直すことが急務だった。
残る聖騎士のもう一人、テセラの正体はカンデラ教会の上層部と、白華の騎士にしか知られていない。ほとんどの住民にとっては目に見えない少女を聖騎士といっても、混乱と不都合が生まれるだけだ。
テセラが聖騎士として実権を握るのはまだ先のことだ。それまでカーネリアンはセント・ミラから離れにくくなった。
予想されるのは、影狼が四方都市での活動を活発化させることだ。
影響力に陰りを見せた輝石院が、国の全てに目を向けることはできないだろう。
この事件が未来に与える影響は大きい。
輝石院は堰き止められていた時代の流れが、一気に動き始めたことにようやく気がついた。楔が打ち込まれたのは、十二年前のディークの反乱か、それよりずっと以前から。
数年のうちに光の国は大きく変わるだろう。
カンデラを繋ぐ赤い鎖。それが切れたとき、聖騎士カーネリアンが表舞台から退場する。
誰にも止められない変化の時代が、すぐそこまで迫っていた。
ヘリオンが大聖堂での療養を終え、学生寮に戻る日がやってきた。
全身に包帯を巻かれて、顔には魔光による火傷の跡が残る。
自分から首を突っ込んだ結果なのだが、事情を知らないものからみれば、輝石院で影狼との戦闘に巻き込まれた一般生徒といったところか。
大聖堂の前でテセラが見送ってくれる。
彼女の護衛には常に大騎士リーヴベルがつくことになった。羊小屋に人員を割く余裕がなくなり、結局は大聖堂で騎士に守られながらの生活が続いている。
羊飼いの活動もなくなった。自由に会える友人のヘリオンが療養室から学生寮へ帰り、テセラも寂しいのだろう。
「ヘリオンさんもカンデラ教会で働きませんか?大聖堂の部屋は余ってますよ」
「いや、まだ輝石院も卒業してないんだ」
「騎士の資格は持っているんです。輝石院なんて行かなくてもいいのに」
「実感ないなぁ」
白華を果たしたヘリオンには、騎士の称号が与えられている、らしい。
正式な叙任はまだ先であり、輝石院の学生としての身分もそのままだ。
騎士のほとんどは在学中に白華に目覚めるが、卒業するまでは騎士候補として選抜を受け続ける。
ヘリオンはカーネリアンの推薦によって、選抜の過程をすべて満たしたとされている。大聖堂で寝ているうちに、ヘリオンは白華の騎士になっていた。
あの日、ロアと戦ったヘリオンの行動が評価された、それだけではないだろう。カーネリアンはこれから始まる影狼との戦いにむけて、自由に扱える手駒を欲している。
ロアと戦う強い動機があり、大騎士ほど権力に縛られておらず、聖騎士と鎖について知っている人材。
ヘリオンを自由に動かすための口実として、騎士の称号は投げ渡された。
「白華の騎士になるために輝石院に来たのに、ろくに授業も受けないまま騎士にされてもな」
「関係ありませんよ。私なんて学生でもないのに聖騎士なんですよ?」
「まあ、でも知らなきゃいけないことが、たくさんある」
テセラを守るためにも、ヘリオンはこの世界を知らなければいけない。
彼女はこれからも影狼に命を狙われ続ける。それだけではない。聖騎士の命を欲するのは光の世界そのものだ。
この世界で戦うには、最良の選択をするためには、剣術や魔光適性のような努力と才能だけでは、満足に立ち向かうことも許されない。ただ光の中に飲み込まれていくだけだ。
「俺もセレナも、また会いに来るからさ」
「約束です」
「ああ、もちろん」
出会った日、テセラが言っていたことを思い出す。本当に長い付き合いになりそうだ。
学生寮に戻り、寝台の上に乗ったままの課題の山を見て愕然としていると、ローランが呆れながら声をかけてきた。
「ヘリオン……君はじっとしていることができないのかい?」
「久しぶりだな、ローラン」
「僕はこの寝台が物置にされたと思ってたよ」
「片付け手伝ってくれ」
「手伝ってほしいのはこっちのほうだよ」
輝石院ではいまだに授業が再開されていなかった。というのも、影狼が撒いた黒煙が室内に付着し、その清掃が未だに終わっていない。
ローランもこれから輝石院に向かい、清掃の続きをするのだという。
「体の調子はどう?」
「まだ痛むけど、歩けるし手だって普通に動かせる」
「顔の印象はだいぶ変わったよ。とても一年には見えない厳つさだ」
「そ、そんなに?」
他の生徒と一緒に集会所の清掃に入る。
入口を塞ぐために使われた机は戦闘によって破壊され尽くし、ほとんどが処分された。またこの場所に机が並び、生徒が使えるまでは時間がかかるだろう。
「あのランプを見たときから、もしかしてって思ってたんだ」
「アーレッタのことか?」
「ああ、それに、彼女から目を守るように勧められたことがある。輝石院のやり方に不満はないかって」
「それって……」
「僕の魔光適性の低さなら、火が見えるからね。あの日、輝石院でどんな戦いがあったか知らないけれど、つまりそういうことなんだろ?」
「……あいつは、無事に逃げたよ」
「そっか……良いことだよね。きっと」
ローランはあの日、戦いに向かわなかった。それでいい。
掃除を続けていると、ヘリオンのところへ騎士がやってきた。カーネリアンに呼ばれているらしい。
掃除用具をローランに預けて、聖騎士の執務室に向かう。
かつてサニディンが使用していた部屋でカーネリアンは書類の山と向き合い、無表情に仕事をしていた。騎竜に跨り影狼を追う実戦派の騎士にとって、輝石院の頂点は退屈でしかないだろう。
「やあ、元気そうじゃないかヘリオン。それに、騎士の面構えになったな」
ヘリオンが部屋に入れば、丁度いい気晴らしを見つけたと口元が笑う。
「これを渡そうと思ってね」
机の上に置かれたのは、一本の輝剣だった。
「正式な叙任は卒業を待つことになるが、君に白華の騎士の称号を与える。この輝剣はその証明だ」
「初めて出会ったときから、俺は、あなたが描いた道を歩くだけでしたね。まさかこんなに早く騎士にされるとは、思いませんでした」
「君の足が速すぎるのさ。私が鎖りなるまでに白華になってくれればいいと甘く見積もっていたんだ」
「次は俺に、なにをさせようっていうんですか?」
「わからんよ。君は、君の戦いを始めたまえ。私はただ、こちら側に引き入れたかっただけさ」
「無責任な……」
与えられた輝剣を手に取る。ヘリオンがこれから戦うための力。
「この宣誓文って……」
騎士の輝剣には叙任の際に誓った宣誓文が刻まれる。ヘリオンはまだ叙任されていないのだから、宣誓文なんて考えていないが、その輝剣には見慣れた一文が刻まれていた。
かつてロアに与えられ、ディークの手を渡ってヘリオンが受け継いだ輝剣。それと同じ宣誓文が刻まれている。
「サニディン卿は君の宣誓を聞いていたそうだ。近年稀にみる、見事な誓いだと言っておられたよ」
門の部屋でロアと対峙したときのことだろう。確かにヘリオンはあのとき、この宣誓文を読み上げた。
今になって思えば、騎士を裏切ったロアへの当てつけという気持ちもあった。だがあの瞬間、ヘリオンは白華の騎士として影狼と戦うのだと心に決めた。
ヘリオンの手元には同じ誓いが刻まれた輝剣が二本ある。
「同じ宣誓文は使えないって聞きましたけど」
「ロアは除名されているからな。記録上は問題ない」
新しい輝剣は、握りの角もまだ立っている。柄巻の皮も汚れが浸みこんでいない。長い時間使い込まれた輝剣とは別物に思えた。
「あの、だいぶ無理な相談なんですけど……」
数日後、ヘリオンはセント・ミラの東門に立っていた。
輝石院からは数日の休暇を貰っている。授業が停止しているなら問題ないだろうと考えていたが、想像よりもずっと簡単に外出の許可が下りた。
さらに騎竜を一頭借りることもできた。騎士の称号のおかげだろう。あまり乱用して剥奪されないようにしなければと気を引き締める。
湖畔の道を走り、騎竜に乗って騎士がやってきた。
「また会えたな、ヘリオン……少し見ないうちに、ずいぶん苦労したようだな」
「本当ですよ。寿命が縮まりました」
ヘリオンを迎えに来たのは騎士ロズエンだった。
東方地域を担当する白華の騎士。ヘリオンが初めて出会った騎士の一人でもある。
これから彼に、とある場所へ連れて行ってもらう予定だ。
「騎竜には乗れるようになったのか?」
「実戦で鍛えられましたよ」
「そうか……準備が出来ているなら行こう」
ロズエンと共に、東方都市を目指す。
セント・ミラを訪れたときには竜車で二日かけた道も、騎竜の早駆けなら一日もしないうちに走破することができる。
かつて村を出てステアの荷馬車で旅した距離を、軍馬で駆け抜けた日を思い出した。あのときに感じた世界の狭さが、騎竜の背に乗ってより強く実感できる。
この国は、こんなにも小さかったのか。
久しぶりに訪れた東方都市は、セント・ミラの整然とした厳格さはなく、人の往来に溢れていた。
カンデラの光に貫かれた大通りを行く人々は知らないだろう。ここではない場所で、光を巡った争いがあり、犠牲が繰り返されていることを。
「家には顔を見せないでいいのか?」
「姉弟で帰ろうって決めたんです」
ヘリオンが東方都市に外出すると伝えると、当然セレナも付いてきたがった。しかし彼女の休暇申請は下りず、ヘリオンは一人で帰ることになった。
ロアと戦ったこと。ヘリオンがロックス家の血を受け継ぐこと。
彼らと家族について語り合うには、もっと多くの時間が必要だ。セレナ抜きで済ませる話でもないだろう。
ヘリオンがここを訪れたのは、自分の家族のためだ。
白華の騎士団、東方支部。
一般に明かされていないその場所の地下牢には、重罪人が収容されている。
今回セント・ミラで捕まった影狼も、尋問が終われば各地域の地下牢に送られる。セント・ミラには増え続ける犯罪者を収容する場所も、管理する人員も不足しているからだ。
重い鉄の扉を開け、地下に続く階段を下りていく。
光の届かない地下牢。
魔光適性を持たない看守のためか、火によって作られた空気の揺らめきが見えた。ヘリオンにはそう見えないだけで、この場所には明かりが灯っているのだろう。
魔光灯の光を最小限に、目的の牢まで案内される。
彼にはヘリオンが来ることを伝えていない。今のヘリオンを見て、どう思うだろうか。
ヘリオンの選択を、認めてくれるだろうか。
「よお、なんだその顔は。情けねぇ面見せやがって」
「久しぶりだな、ジジイ………」
家を出たあの日以来、初めて目にした祖父の姿。
ダスクは少し痩せていた。辺境の村でヘリオンに剣の修行をつけていたころより、ずっと小さく見える。
白華の目で見た彼は、とても穏やかな魔光の揺らめきを纏っていた。風の無い日。波音も立たないようなミラ湖の湖面のようだ。
セント・ミラで出会ったどんな騎士も、ここまで静まった気配を持たない。
ヘリオンが戦闘中に魔光を感じ取る技術に長けているのは、ダスクとの修行の成果だろう。魔光の薄いあの山で、ほんの微かな揺らめきを呼んで戦う術を、ダスクから教わったのだ。
「ふん。なるほどな、影狼になって捕まったわけじゃないらしい」
「見ればわかるだろ」
「カーネリアンは上手くやったようだな」
「ジジイは……」
ずっと聞けなかったことがあった。
ヘリオンは白華の騎士を目指し、影狼と戦う道を選んだ。光の世界にいる人たちを守りたい。これからヘリオンはそうやって生きていく。
「俺に、どうなってほしかったんだ?」
白華の騎士。影狼。父と母のこと。もう一つの家族。カンデラを繋ぐ鎖と、光の世界の秩序。
旅に出て知ったすべてのことを、ダスクはひた隠しにしてヘリオンを育てた。彼には孫を影狼として育てることも、騎士として育てることもできたはずだ。
「今でも、世界を壊したいのか?」
かつて影狼として、鎖を断ち切るために光の世界と戦った男の目に、光の守護者として立つヘリオンはどう映るのだろう。
「光だの、影だの……」
ダスクは長く息を吐き、悔恨の念を滲ませながら続ける。
「そんなことのために、俺たちが生かされてるって考えたら、みんなどうでもよくなっちまった……この世界をどう転がすか、それを自分で決めようなんて、馬鹿げた話だ……」
そして名も財産も、敵も味方もすべて捨てて、ただ生き永らえることを望んだ。
「どちらかを選んで戦い続けられるほど、俺は強くなかったんだ……」
「ジジイ……」
「強く生きてほしかった。どんな道だろうと切り開いていけるように。カンデラの光がなくても、お前自身が世界を照らしていけるように」
ダスクにとって、宿命を背負って戦う孫の姿は本来望んだものではなかったはずだ。
「俺は、選んだよ」
「なにかを選ぶには早すぎる。お前はまだ若い」
「あの輝剣を持ち出したときに決まったんだ。責任を取らなきゃいけなかったんだよ」
かつてダスクがロアの輝剣を持ち去ったとき。そしてヘリオンが家から同じ輝剣を持ち出したとき。力を持った責任は誰かが果たす必要があった。
ヘリオンは、騎士の称号として与えられた輝剣を、鉄格子を通してダスクに渡した。
「お前、これは……」
「ちゃんと許可は貰ってる。それに中の碑文は壊したから、輝剣としては使えない。騎士団が保管すると思うけど、俺が持っていった輝剣の代わりに預かっててくれ」
「……まったく、もっとマシな宣誓はなかったのかねぇ」
真新しい輝剣、碑文に手を加えた今は、なんの役にも立たない輝石だ。それでも、ヘリオンが得た騎士の誇りが刻まれている。
ヘリオンは父が捨て、祖父の手を経て託された輝剣でこれからも戦い続ける。
そして同じ誓いがダスクの手にあってほしいと願った。
「いつかここを出たら、返しに来てくれよ」
「ああ……わかったよ。まあ期待せず、気楽に待ってろ……」
ダスクが生きてこの地下牢から出る日は来ないかもしれない。それでも、ヘリオンが白華の騎士として誰かを守っていく姿を、ダスクにも思い描いてほしい。
「じゃあ、俺はもう行くよ」
「ありがとうな、ヘリオン。本当に強くなったなぁ」
全て失ったその手に、なにか一つでも取り戻すことができただろうか。
「行ってきます」
セント・ミラへ戻ってきたヘリオンは、中央通りからカンデラの光を眺めていた。
白華の目で見れば、そこには白い岩が映し出される。カンデラ教徒にとっての神。白華の騎士にとっての光。この国を守ってきた壁。
幾年と紡いできた犠牲の歴史を経てなお、世界を照らし、世界を拒み続けている。
「帰っていたの?」
いつの間にか、隣にはセレナがいた。
「あなたの目に、あの光はどう見えるの?」
「白くて、冷たくて、ときどき意味もなく見上げてしまうような、そんな光かな」
「いつか光に焚べられるとしても?」
戦いの後、テセラに問われた決意。鎖となって光を継ぐ覚悟。
そのときヘリオンは答えた。
「俺は、この目に映る世界が、ずっとそこにあってほしい。世界を映す光がカンデラなら、俺は……光を繋ぎとめるよ」
「目を閉じたって、そこに世界は残り続けるわ」
見なくても、この手に触れる人の暖かさは感じ取れる。
会えなくても、同じ誇りを胸に生きる人がいてほしい。
「それでも、命をかけて世界を照らした人たちの願いが、あの光なんだろ」
どれだけ歪んでいようと、どれだけ痛ましくとも、この光に照らされてヘリオンは生きていた。
「だったら、私が見つけてみせるわ。あなたが光になる前に」
「うん。頼むよ」
ヘリオンは旅人にはなれず、騎士になった。
それでいい。
光の国に生きる騎士の物語は、旅人の手を取ってこれからも続いていく。
一旦ここで更新は終わりになります。
読んでくださり本当にありがとうございました。
しばらくは別の話を書こうと思います。




