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その後ヘリオンは家に帰らず、村で一番見晴らしのいい高台からカンデラの光を見ていた。
ダスクと喧嘩したあとは決まってここで時間を潰す。
麓に広がる平原や、流れる雲、動くことのない一点の光を見ているのは退屈だが、お互いの気が済むまでは家に帰れない。
あれだけのことがあって、平気で顔を付き合わせられるほど、ヘリオンもダスクも広い心を持っていなかった。
「ここにいたんだ。隣いい?」
「……ステア」
あーよいしょ、とわざとらしく声を上げてヘリオンの隣に座り、遠くの光に目をすがめる。
子供っぽさも残る横顔は、空の青を背景にどこか浮き出て見えた。
「話はまとまった?」
「そりゃあもう勝手にまとまったわ。なんと三人も私の護衛に付いてきてくれるんだって!」
「ははっ、そりゃすごい。明日から山羊の世話が大変になる」
「私もむさくるしい男じゃなくて山羊を仕入れて帰りたいわ」
「まあ三人もいれば、山賊に襲われても何とかなるだろ」
「ねえ、さっきの話」
ぐいと間を詰めてステアに顔をのぞき込まれる。
「えっ……」
「私はヘリオンに来てほしい。一度だけダスクさんと訓練しているところを見たけど、あなた相当強いわ。十分に護衛が務まると思う。それに他の村人よりも安心できるし」
「その三人はいいのか?あとで商談しにくくなるだろ」
目を落として、ステアはつぶやいた。
「今でも十分やりにくいわ。美味しい取引ができるけど、返せない見返りを求められたって困るもの」
「もう、この村には来なくなる?」
「……そうだね。今回のことで思い知ったわ。誰にも手をつけられていない販路には、やっぱり相応のリスクがあるのよ。これなら人通りの多い街道を使って麓の町を回っていた方が将来的にも期待できる」
「………」
「一緒に来ない?」
ステアが村に来なくなる。
そうなっても村の生活は変わらないだろう。
昔から自給自足が成り立っていたのだし、必要な物があれば男たち何人かで隣町まで歩いていけばいい。
山羊を育て、畑を耕す。
山の上からカンデラの薄い光を浴びながら、そんな生活がずっと続いていく。
この村でヘリオンはどう生きるのだろう。きっと立派な山羊飼いにはなれない。
必要とされる衛兵にだってなれない。この丘から見える景色をずっと眺めて暮らすしかないのか。
「私についていったなんて知れたら、村からの評判が悪くなるだろうし、ダスクさんにだって怒られる。でもあなたが村にいたって………」
「いつ出発する?いつでもいいよ」
「え、いいの?本当に?」
「ああまあ、準備らしい準備もできないし」
村を出る。重大な決断だとヘリオンにも分かっていた。
こんなにあっさり決めていいものかと、冷静な自分が内心で問いかける。
いつか村を出る日を待ち望んでいた。
そのとき一人で旅に出るか、今ステアと一緒に旅に出るかの違いだ。
「商談は終わっているし、馬も休めたから、私も出れるわ。護衛についてくるっていう人たちが旅支度を終える前に出た方がいいかも」
「俺は一度家に戻ってから、すぐに荷馬車の中に隠れるよ。ステアのタイミングで村を出て」
「わ、わかったわ。なんだか人さらいみたい……」
「悪い商人だよまったく」
「あなたも悪い子だわ」
困ったね、と二人は笑い合って別れた。
ヘリオンは家に帰る途中、旅に必要な物を思い浮かべる。
外套。食料。鞄。そんな物を持ちだしたら、ダスクにはすぐ目的を悟られるだろう。
世界を旅するのに必要な物。この村から持ち出しても困らないもの。護衛を全うするのに必要な物。
一つだけ思い当たる物があった。旅の役に立ち、村に置いてあっても役に立たず、護衛の武器として一番効果的。
値段も高価でいざというときに、いざという使い方ができる点も良い。
ヘリオンもそれを貰い受けるのは気が引けるが、今回は借りるということにしてもらおう。
老人と孫が暮らす小さな小屋。石積みの壁に隙間の空いた木の扉。
我が家についたヘリオンは、一息置いて扉を開いた。
これが最後になるかもしれないし、いつかまた帰ってくるかもしれない。
「ジジイ、輝剣貸して」
「ああ?なんだ突然」
喧嘩をすればもう少し外で時間を潰してくるはずの孫の帰宅に、ダスクは不意を付かれたように目を開いた。
いきなり輝剣を借りようとするのは唐突だったか。
今でも魔法の練習で、ヘリオンが輝剣を借りたことは何度もある。
しかし扱いを誤れば使用者の体を簡単に傷つける道具を、そこまで気軽に貸し与える師匠ではなかった。
「さっきやったアレ。俺もできるようになりたいんだ」
「あの技は難しい。お前にはまだ早いよ」
「だから練習するんだろうが。それによく考えたら普通に出来そうだったし」
「減らず口言いやがって。やってみろ」
ダスクが輝剣を投げて渡してきた。
思いのほか簡単に手に収まった輝剣に、ヘリオンは肩透かしを食らう。
目的は達成したが、輝剣を目くらましにするあの技を習得したいという考えに嘘はない。
物は試しだ。ヘリオンは意識を集中して輝剣を発動させた。
輝剣はその名前が意味するとおり、輝石によって作られた剣だ。
柄の材質である輝石には魔法の光、魔光と呼ばれる力が込められており、人間がその手で触れると内部に留められた魔力を解放することができる。
できるといってもヘリオンが完全に理屈を理解して操れる部分は少ない。
ダスクからはそういうものだとしか聞かされていないし、村に他の魔法の使い手はいない。
雨雲までの距離を読む水晶や、魔力の光を照明として使うような簡単な魔法の道具が村長の家にもあるけれど、彼だってそれをどんな理屈で動かしているか知らないだろう。
必要なのは硬いイメージ。肌の表面に触れる輝石が体の一部であるように扱う意思。
呼吸によって肺を動かすように、体内の機能として輝石を働かせる。
高く澄んだ音が鳴り、光刃が立ち上がった。
刃は真っ直ぐに伸び、揺れ動くことなく、無駄に魔光を発散させていない。
切れる光刃は強い輝きを放つが、決して直視できないほど光輝いているわけではない。魔法において光とは力だ。力を散らせることなく形を保ってこそ刃の意味を成す。
この練度になるまで何年もかかったし、ダスクからも手放しで上等な出来だと評価されている。
「ヘリオン、正直言ってお前は輝剣の完成度に関しては俺以上だ。だが剣以外はどうだ?」
「………こんなかんじだろ?」
イメージで剣を作るなら、一瞬の閃光だってイメージによって作られるはずだ。
ヘリオンは自分が見た中で最も眩しい輝きを思い浮かべた。
鉄を打ち付けて飛び散る火花。燃え盛る炭火の輝き。嵐の空から落ちる稲妻。
「………!」
輝石の魔力を解放し、剣を閃光に!
意思を込めたその刀身はしかし、先端からパチパチと光を数回暴れさせるばかりで、とても目くらましにはならない。これでは一発芸だ。
「だはははっ!それ見たことか!輝剣は魔力を『留める』ために作られている。それを『放つ』ように使うのだから難しくて当然!まだまだ未熟!半人前よ!」
「チッ、練習してくる」
「おいどこへ行く、輝剣を持ち出すんじゃない!」
「村の中で輝剣の練習するとガビガビやかましいって怒られるだろうが!放牧中に詰られるのは俺なんだよ!向こうの岩陰まで行ってくるから!」
これも本当のことだ。以前は光刃を作り出す訓練を毎日のようにしていたが、家の中から漏れ出る光と発動時の独特な音に耐えかねた村人には散々と陰口をたたかれた。
「はっそうかい。まあ山賊には気を付けな。こんな寂れた山奥、わざわざ狙ってくるやつもいねぇだろうが」
「楽観的だな、ジジイは」
そう言って輝剣以外は何も持たずに家を出る。
愛用の棒も置いた。外で作業するときに着ている外套も、明日食べる予定の干し肉も、この家に残していく。
「ヘリオン」
扉を開けるとき、ダスクは呼びかけた。孫であり弟子であり、唯一の肉親に向けて。
「お前ならできるよ。頑張りなさい」
行ってきます、その一言もなくヘリオンは扉を閉めた。




