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38.




「お父様、サニディン卿から離れて」


 力を使い果たし意識を手放した老騎士。セレナの言葉を無視して、サニディンの横に膝を着いたロアは彼に触れて魔力操作を行った。二人の間で激しい魔光の奔流が渦を巻いている。


 かつてミラ湖の水に浸かって魔光障害を負ったローランは、セレナの魔力操作によって症状が回復した。これはその逆だ。周囲の魔光も取り込み、サニディンの体へ無理矢理押し込んでいる。

 サニディンの体に、黒いひび割れが入った。


「や、やめろ!」


 ロアの行動を止めるためヘリオンは駆けだした。この魔力操作がどういう意味を持つかわからないが、危害を加えていることには違いない。


 威嚇にもならない。そう思いながらもヘリオンは輝剣を発動させてロアを切りつける。

 サニディンへの魔力操作を打ち切ったロアは、降りかかる光刃を腕で払いのけた。


「……なんだ?!」


 魔光同士が打ち合って弾いたような感触。光刃は人間の腕なら抵抗なく切れるはずだ。肉を切ることもできなかった。


 ロアは素早くヘリオンから距離を取った。まだ戦闘の疲労を抱えているのか、部屋の柱に背を着け息を整えている。


「その歳で、これほどの輝剣を……」


 刃が触れた腕には薄い切り傷が残されていた。ロアは傷を撫でながら、むしろ皮膚を切られたことに驚いている。


 これまで出会った騎士団の従者や白華の騎士と比べても、ヘリオンの輝剣は完成度で負けたことはない。輝剣の強度は、戦闘の技術で劣るヘリオンの数少ない優位性だった。それをロアは防御力で上回っている。どうやっても、今のヘリオンではこの男を倒すことができない。


「サニディン卿になにをした?」

「体を焼き切った……再び白華となるには数年を要するが、それまでに寿命が尽きるだろう。もう、聖騎士の役割は果たせない」

「……目的は果たしたってことか」

「そういうことだ。本当は聖地に行ければよかったが……お前たちはどこまで輝石院から教えられてるんだ?」

「カンデラの維持には聖騎士が必要だから、影狼が狙っていることくらいだ」

「下級騎士並みに詳しいじゃないか。カーネリアンはずいぶん高く買っているな」


 戦って勝つことができないなら、時間稼ぎをするしかない。

 最初からロアと話すために輝石院へきたのだ。いずれ外にいる騎士たちが影狼の封鎖を破るだろう。


 羊小屋にいるカーネリアンが援軍に来れば形勢は傾く。

 ロアは確かに驚異的な力を持っているが、聖騎士を二人続けて戦い抜くだけの体力は残されていないはずだ。


「お前が生きていると知って、最初は信じられなかった」

「なんだって?」

「十二年前の反乱でセント・ミラから脱出するとき、お前はディークと一緒に騎士に殺されたと思っていたから……エミーリアも、最後まで会いたがってた」

「母さんは、どうしたんだ?」

「……死んだよ。適性に恵まれた人じゃなかった。セント・ミラで蝕まれた体は、国外でも治療できなかったんだ」

「そっか……」

「すまない」


 母親は死んでいた。その事実が胸の中に落ちていく。

 ヘリオンには分かっていたのかもしれない。ミラ湖で女性の幻を見たのは、エミーリアの魂が灰守りの元へ帰ってきたという証拠だろう。


 母が自分を想ってくれていた。どんな形であれ、それを知れただけでも十分だった。


「この国に帰ってきたなら、ロックス家の人たちに会いに行けば良かっただろ」

「家を捨てたんだ。俺が戻っても邪魔なだけさ」

「セレナは……お前にずっと会いたがってたよ」


 セレナは倒れているサニディンの容態を見ている。羽織っていた影狼の服を脱ぎ、ひび割れた体を守るよう上に掛けていた。


「国を出るときウェンディとセレナも一緒に連れて行こうとしたんだ」


 ロアは片手を広げて見つめた。小指がなくなって四本になった右手。その指は、今は灰になってセレナが持っている。


「ウェンディには断られた……もし連れ出せていたら、輝石院に利用されることはなかったのに」

「やめて、そんな言葉を聞くために、会いに来たんじゃないの」


 ヘリオンの横に立ち、セレナはロアと対峙した。


「お父様の口から聞かせて。カンデラを壊すことの意味を」


 ロアは天窓の向こうから差し込む光を見上げた。


「ステアから話を聞いただろう。俺たちがカンデラを壊さなくても、外の勢力はいずれこの国を踏みにじる。大輝石が空に昇って五百年、光の中で呆けた輝石院には、この地を守る力はない」


 あの倉庫でヘリオンたちの会話を聞いていたのは、やはりロアだったのか。


「カンデラが失われれば、この国を覆う魔光はなくなる。数世代先には太陽の光を見て暮らす、どこにでもある国になるはずだ」

「外の世界と、この国を繋げる……」

「世界地図の空白地帯。魔界とも呼ばれるこの国は孤立し続けてきた。文明の差を埋めるにはこれしかないんだ」

「……お父様は、外の世界に憧れていたの?」

「いや、俺はこの国を愛している。俺の手はこの国を救いたいんだ」

「そうなのね……」


 ヘリオンの手に、冷たく震える手が当たった。父親を前に怯えるセレナの手を握る。


「他に方法はないの?外の人間がこの国で暮らせる日も近いはずよ。逆のことだって、実現できるわ」

「そうなれば、この国は外の勢力によって支配されるだろう。この国の人間が自由に生きるためにも、太陽の光は必要なんだ」


 ロアは強い確信を持って断言した。


「俺は影狼として、いや白華の騎士として、光に縛られた世界を終わらせる」


 かつてその柱には一人の騎士の名が刻まれていた。光の世界から追放された男。影に落ち、光に拒まれてなお足掻き続ける。


「輝石院はお前たちに隠している。カンデラが作るのは、犠牲の上に成り立った仮初の秩序だ。ヘリオン、セレナ、お前たちだっていずれ生贄として捧げられるんだぞ!」


 両手を広げ、光の中にいる二人の子供たちを抱きしめようと、一歩、また一歩と近づく。


「一緒に行こう。俺とこの世界を救うんだ」


 その腕に収まれば、埋まらなかった父親との縁を取り戻すことができる。

 

「………」


 ヘリオンの心は決まっていた。

 右手には輝剣が握られている。手放すつもりはない。どれだけロアが外の世界の危険性を訴え、輝石院の在り方を否定しようとも、ヘリオンの居場所はここにある。

 そう何度も生き様は変えられない。


 セレナはどうだろう。

 左手で繋がった姉の手は、震えている。


 この手を離すべきだろうか。

 彼女は外の世界に憧れていた。カンデラの光に守られた世界が外との繋がりを拒むなら、彼女の居場所は輝石院ではないのかもしれない。秩序の破壊を望んでいなくとも、輝石院のやり方に疑問を持っていることも確かだ。


 もしセレナが輝石院を去ったら、ヘリオンはいったい誰を守るために騎士になればいいのか。セレナ以外にも守りたい人はいる。これからも誰かに出会い、その人を守りたいと願うようになるだろう。


 けれど白華の騎士になったとき、隣にいるのはセレナであってほしい。

 たった一人の家族と別れたあの日から、孤独だったヘリオンの隣にいてくれた存在。


 ああ、そうか。ようやく分かった。

 迷うセレナの選択を見届けるため、二人でロアに会いに来た。それはセレナに選ばれたかったからだ。進むべき道の岐路に立ち、なにを信じればいいか分からず苦しむ彼女から、選ばれたかった。


 ヘリオンはずっと、運命に選ばれ続けてきた。白華の騎士になり、父親と戦う運命。そんなものヘリオンにとっては全く価値がない。


 けれど生きるためには役割が必要だ。これまでと、これからが正しいと思えるような役割が。


 震えていたのは、ヘリオンの手だった。

 心臓が跳ね上がる。再び家族を失うという不安が胸を圧し潰す。


 気が付けばセレナの手を強く握っていた。これでは離れないでくれと、ねだっているようだ。

 どうか、遠くへいかないでくれ。


「……わかってる。大丈夫だから」


 その言葉は救いだった。握られた手は暖かかった。

 隣に立つ虚勢を見透かして、選ばれることを利用した弱い心が、許された気がした。


「私はここに残るわ。一緒にいけない」

「何故だ!?」

「あなたはきっと……自分が持ってる力で、世界を変えたいだけよ」


 それは誰もが願ってやまない欲望だ。生きるという意味の根元にある行動原理。


「神様に選ばれて、その最後は聖騎士として光の世界へ取り込まれるのが、嫌だったんでしょう?」

「当たり前だ!知らないから、そんなことを言える!俺たちは光る岩を空に繋ぎとめるための鎖、その部品に過ぎなかったんだぞ!」

「一人で逃げればよかったんだわ……誰も巻き込むべきじゃなかったのよ」


 また一歩近づいたロアの鼻先に輝剣を突き出す。


 セレナはヘリオンの後ろに身を隠した。力の差は歴然だ。戦いになれば守り切れない。それでもヘリオンたちは選び終わった。守り、守られることを。


 話は終わりだ。

 どうなろうと、ここが旅の終わりになろうと、道を引き返すことは出来ない。


「そうか……本当に……残念だ」


 ロアは手を下ろし、道を違えた子供たちを見た。


「ああ、そうだった……ウェンディにもそう言われたよ。母さんに似たな、セレナ」

「あなたが変わらなかっただけよ」

「そうかもな。簡単には変われない」


 黒衣の周囲が揺らめく。体の輪郭に残像が重なり、異質な存在感を放つ。極まった魔光適性による錯覚。臨戦態勢に入った証拠だ。


「さよならだ、子供たち」


 火花を散らしたような音が部屋に響く。全身の毛が逆立つ。目で見える範囲、肌で感じる全ての魔光が、弾けて動き回っているようだ。


 ヘリオンの視界は、まだ確実にロアが目の前にいると告げていた。残像が飛び散る。右、後、上、左、全方向からロアの存在が、肌に刃を突き立てるような圧力を加えてくる。まだロアは目の前にいるはずだ!


「だがその前に」


 一瞬の隙も存在しないうちに、胸倉を掴まれ、


「お前は灰にして行く!」


 真正面へと投擲される。人間を投げ飛ばす速度ではない。いつ自分が持ち上げられたのか、どこへ飛ばされているのか、ヘリオンの目でも反応が追いつかない。


 魔光が発火する。

 空中で感じ取ったその瞬間、反射的に剣を振った。迷っていては遅すぎる。見えるより前にその行動の予兆を感じ取れ。それが魔光を使う戦闘の全てだと知っているはずだ!


「いい反応だ!だからこそ!」


 ヘリオンの光刃が掴まれ、握り潰される。こいつは本当に人間か?!


 投げ飛ばしたヘリオンに追いつき、五指の揃った方の手で頭を鷲掴みにされる。肌に食い込む指先が、焼けた鉄のような熱を帯びていた。子供を吊り上げる握力はもちろん、高密度の魔光によってヘリオンの皮膚が消失していくようだ。


 輝剣を再発動させ、がら空きの胴体に突き入れる。服の下にある体は岩のようだ。貫けない!

 ロアのもう一方の手で輝剣ごと拳を掴まれた。熱い。魔光の密度差によって体が焼かれる。


 対抗するには、ヘリオンも魔力操作によって魔光を帯びる必要がある。やり方なんてわからない。だが今やらなければ間違いなくここで灰になる。


「あ”あ”あ”あ”!!!」

「ヘリオン、お前は聖騎士にだってなれるだろう!ここで力を奪う!歪んだ鎖を継がせるわけにはいかない!」


 目から光が逆流する!

 ヘリオンの体に光が注ぎ込まれた。ミラ湖の水に浸かっていた時の比ではない痛み。目の奥が割られた。左目が白く塗りつぶされ、頭の中で砂が流れる音がする。


 押し返せ!

 まだ終わるわけにはいかない。まだ自分は、なにも守れていない。焼け残った灰になって、過ぎ去った想いの中で祈りを待つだけの存在にはなりたくない。

 この男の罪を許したことは、一度だってありはしない!


 ヘリオンの手には輝剣が握られている。上からロアの拳に握られているが、知ったことか。体を流れる過剰な魔光を全て輝剣へ集中させる。刃の完成度、強度、全て度外視して、光刃の爆発を作り出せ。放射状に広がる刃などヘリオン自身もいままで想像したことはないが、そもそも光刃に決まった形状はないのだ。

 もっと自由に、眼前の敵を打倒すための光を刺せ!


「ぐっ!?これは!」


 無軌道に放射した光刃の爆発を抑えられず、ロアが手を離す。魔光に守られた体は切られないが、それは当たれば弾かれるということだ。


 爆発により飛ばされたのはヘリオンの方だったが、距離が開ければ今はなんでもいい。

 背中を天の門に打ち付ける。ロアとヘリオンの間には血が飛び散っていた。吹き飛んだヘリオンの体から流れた血だ。


 自爆に近い攻撃ですらロアには掠り傷を与えたのみ。対してヘリオンは輝剣を握っていた右半身に無数の切り傷を負っている。


 だからどうしたというのだ。

 焼け焦げた右手は輝剣を離さなかった。

 ひび割れて欠けた体はまだ立っていた。

 潰れた目でも、ロアの姿ははっきりと見えた。

 白い世界は残像を纏う体をより鮮明に捕らえた。


「我は罪を裁く千刃の一振り、光の解放者。神の地に永久の安らぎを刻む」


 かつて一人の騎士が誓った宣誓の言葉。輝剣に刻まれたその文句は、いつしかヘリオンの胸にも刻まれていた。


「白華だとか聖騎士だとか関係ない。俺はお前の罪を捌く剣の一つだ」


 受け継いできた刃の本当の重みが、今この手に宿る。


「来い影狼!この世界を壊すなら、まずは俺からだ!」

「世界を語るのは早すぎるぞヘリオン!!!」


 左目は白い世界を映し出している。ゆっくりと、魔光の弾ける一瞬一瞬が鮮やかに描かれる。


 この極限状態の中で頭がおかしくなったのか。まるで未来を見ているようだ。


 目から流れ込んでくる未来の像を、頭の中がねじ切れそうになりながらも理解していく。そうなるのか。ロアの体が瞬き、ヘリオンに急接近して、再び手を伸ばす動き。まだ起きていない先の様子が『見える』


 今まで感じていた魔光と行動の先読み、それが鋭敏になっただけだ。

 ロアの体から火走りが伸びた。いままで目で追えなかった体の動作が補足できる。あとはヘリオンの体が追いつくかどうかだ。


 体の動きは、感覚の高速化に反して遅くなったように感じる。それでも、ロアの腕を輝剣で弾き上げることに成功した。


「その目は……白華に至ったか!」


 ロアが輝剣を発動させるより前に、その手を弾いて叩き落とす。


 刃を交えればヘリオンの光刃は打ち負けて散ってしまうだろう。それでは勝負にならない。傷をつけられないとしてもロアの体へと斬撃を叩きつける。


 繰り出される拳と蹴りを光刃で受け止め、弾き、切りつけて防がせる。

 白い世界はさらに先の未来まで見通せるようになっていった。ロアが後ろに回り込む。体を火走りに乗せて残像が飛ぶ。


 残像が現実になる前に光刃を走らせた。ロアが驚愕に口を開く。わかってきた。あの高速移動の瞬間なら、ロアの体は少しだけ柔らかくなる。鉄が岩になった程度だ。切れることには変わらない!


「届いたぞ、ロア!」


 ロアが光刃を腕で受け止め、初めてその傷跡から血が噴き出した。

 次の発火音。見える。このまま奴を切る。


 これから横へ移動するロアの姿が見える。しかしヘリオンの体は動かない。

 追いつけないのか?いや違う、体に力が入らない。もはや自分の意思が通っていなかった。振り向くこともできないまま、蹴り飛ばされるだろう。


「うぐっっ!」


 鈍い衝撃が走る。床を転がりながら、先を見ていた感覚が現実の速度と同期してきた。つまり時間切れだ。偶然か、瀕死状態で得た底力か。ヘリオンが発揮した実力以上の超常的な力もここまでだ。


「…リ……!……オン!」


 セレナが駆け寄り自分の名前を叫ぶが、いくつもの膜を通したように呆然としている。セレナではロアを止めることはできない。ここでヘリオンは灰にされるか、殺されるだろう。


「………きゃ?!」


 ああ、ロアと長話をして時間を稼いだ甲斐があった。


 転がったヘリオンが仰ぎ見ていると、部屋の天井が切り落とされた。

 戦場がここになるだろうと彼も分かっていたから、入口からではなく屋根から侵入する方法を選んだのだ。


 光刃を振り下ろし、聖騎士カーネリアンが扉の部屋へと辿り着いた。

 さあ、次の騎士が来た。


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