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37.




 学生寮を警護している従者の目を逃れ輝石院に向かうのは簡単だった。

 空を覆う黒煙。生徒たちが輝石院から追い出されてから間を置かず発生した異常事態に、学生寮の警護をしている従者たちも動揺している。


 セント・ミラの大通りはカンデラと輝石院を結んだ先に伸びている。輝石院から上る黒煙によって作られた影が、大通りに影を落とす。周囲からの反射光により完全な暗闇にはならないが、光に満たされていた街の景色の変化は、ヘリオンの心をざわつかせた。


 これが本来の、太陽が沈み、夜の訪れた世界だというのか。

 輝石院の前では、街中に散らばっていた騎士団が集まっている。正面の出入口からは黒煙が吹き出し、建物内が黒く染まっていることが分かる。


 先に突入した騎士が、仲間に引きずられながら脱出してきた。内部では影狼との戦闘が始まっている。


「どうする、どこか入れる場所はあるか?」

「こっちよ」


 セレナと輝石院の裏側へ回り込む。狭い通路を抜けた先にはミラ湖が見えた。


「まさかミラ湖から入る経路があるのか?」


 ヘリオンがローランと共に大聖堂へ侵入したとき、ミラ湖から棺の部屋へ通じる階段を利用した。

 輝石院の建物も大聖堂のように湖の上へ一部が沈んでいる。同じような侵入経路があってもおかしくない。


 そこは厨房の水汲み場だった。学生寮ほど大がかりなものではないが、輝石院にも食堂があり、食事を作るための厨房がある。燃料と火を扱うためミラ湖に面した場所に置かれているのだろう。


「アーレッタがここで奉仕活動をしているでしょう?遅刻したときは水汲み場から入って、荒い物していた振りをして誤魔化すって、よく言ってたわ」


 厨房へ入る裏口からも黒煙が見える。ミラ湖側に窓がありカンデラの光からよく照らされているが、内部は異様な暗さだった。


「いくらなんでも暗すぎる……この煙はなんなんだ」

「たぶん、魔光を吸収する効果があるのよ。羊の毛と同じようにね。黒く見えるのはそのせいよ」


 料理人たちは外に避難しているのだろう。厨房にはだれも残っていなかった。奥に行けばそれだけ暗闇が濃くなっていく。


「影狼の目的がサニディン卿なら天の門に行くはずだ。セレナ、道は覚えてるか?」

「集会所を通らないといけないわ。まず輝石院の中心までいかないと……」


 煙を吸い込まないよう、口元を袖で覆いながら進む。


 厨房から窓の無い通路に出れば、伸ばした手の先が見えないほどの闇が広がっていた。

 空気が重い。壁の中に閉じ込められているようだ。


 視覚はもちろん、魔光を浴びることにより補強されてた感覚が遮断されている。隣にいるセレナの手を握っていなければ、そこに誰がいるかもわからない。


 カンデラの光は、ここまで容易く消えてしまうのか。


 壁にかけてあった魔光灯の明かりは、煙に阻まれて役に立たない。

 ヘリオンたちは壁沿いに歩いて行くが、そう複雑ではない通路を渡り終えるのにも時間がかかる。


 しばらく進むと足で何かを倒した感触があった。陶器の壺だ。服の上からでも分かるほど熱を帯びている。その周囲はより一層塗り潰したような黒が広がり、ヘリオンの足跡がはっきりと見えるほどだ。


「きっと、これにあの粉を入れて煙を出してたんでしょうね」

「こんな暗闇で影狼はどうやって動いてるんだ。奇襲するにしても見えないだろ」

「私たちが知らない技術がまだあるのかしら……」

「……止まって」


 人の声が聞こえた。通路の角の向こうで、数人の男が話している。


「騎士といっても、黒煙の中じゃただの人だな。人数がいればどうとでもなる」

「甘く見るな。輝石院にどれだけ残っているかもわからない。天の門で決着が着くまで持ちこたえるんだ」

「案内人、俺たちも集会所に合流する。君はここで適性持ちの仲間を待っていてくれ」


 男たちはそのまま通路の奥へと進んでいった。その方向に集会所がある。影狼たちは着実に、天の門へと集結しているようだ。


 おそらくサニディンたちは門の部屋で籠城しているだろう。集会所と繋がる唯一の通路を影狼が抑えれば逃げ道はない。


 サニディンにとっては想定していたことだ。最初から輝石院を戦場にするつもりで生徒たちを外に出したのだから。しかし、ここまで急速に大規模な仕掛けを発動させた影狼に対して、どれだけ抗えるだろうか。


 「二人とも、出てきても大丈夫だよ。影狼の人たちはいないから」


 通路奥から聞こえる声。闇に包まれてその姿は見えないが、ヘリオンとセレナには、その声の主が誰かが頭に浮かんでいた。


 触れられる距離まで近づけばその姿がはっきりする。輝石院の制服。手に持った外国製のランプ。


「な、なんであなたが!」


 アーレッタは眼帯を外した目でヘリオンたちを見ていた。いつも笑顔を絶やさず、課題に文句を言いながら逃れる方法を探し続ける友人。子供らしい我儘な態度が印象に残る少女。


 カンデラの光に目を閉じることなく、眼帯で片目を隠してもいない。

 両目で真っ直ぐに見つめてくるアーレッタは、初めて出会った人のようだ。


「やっぱりセレナはここから来てくれたね」

「水汲み場から入れるって私に教えたのは、このときのため?」

「そうだよ。セレナ、お父さんに会いたがってたでしょ」


 こっちに来て、そう言ってアーレッタは二人の手を引いて暗闇を歩く。その足取りには迷いがなかった。彼女が持っている最新式のランプから、燃料の焼ける香りが流れてくる。


「見えてるんだな。この黒煙の中でも」

「黒煙っていうけど、遮るのはカンデラの魔光だけなんだよ。普通の人間の目には白い霧みたいに見えるんじゃないかな」

「アーレッタは……影狼なの?」

「どうかな。私は私だよ。輝石院からなんて呼ばれようともね」


 ヘリオンたちが連れて来られたのは厨房の隣にある小部屋だった。窓はないがそれほど黒煙が入り込んでいない。魔光灯の明かりが足元を照らしている。


 この部屋では戦闘が行われていたようだ。輝剣によってできた切断の跡。倒された机と椅子。床に広がった血。体を投げ出して伏している、影狼と騎士。


 騎士の体には輝剣ではなく、鉄の刃物によってできた傷跡が目立った。それが意味するのは魔法を扱えない人間もこの襲撃に参加しているということだ。


 羊毛の服で魔光を遮り、本来はセント・ミラで活動できない人間をどこかに潜伏させていたのだろう。この煙の役割は、白華の騎士の視界を奪うだけでない。魔光適性のない人間が活動できる空間を作るためのものだ。


 影狼は白華の騎士の本拠地で戦える戦力を確保するため、魔光適性を持たない人間をセント・ミラに入れる方法を編み出した。


 不可視の服の本当の効果は、目に見えないことではない。カンデラが敷く光の守りを突破することだ。


「ヘリオン手伝って」


 アーレッタは目を守るため、転がった魔光灯を操作して光を小さくした。足元に転がる人影が見える程度の魔光が残される。


 彼女は床に倒れた影狼の男から服を脱がせようとしていた。不可視の効果は黒煙を纏うことで失われており、胸に空いた穴から赤い汚れが広がっていた。


 胸を輝剣で突かれたのだろう。黒い羊毛によって魔法の威力が軽減されようとも、貫通させれば確実に刃が届く。ここで戦い、命を落とした騎士の執念が垣間見えた。


「どうするんだよ」

「この黒い服なら間違って襲われないよ。まさかその制服で敵のど真ん中に行くつもりだった?」


 アーレッタの言う通りだ。暗闇のなかで、影狼は火の明かりを使って周囲を確認できる。ヘリオンとセレナの姿を見つければ戦闘になるだろう。

 影狼の服を着れば誤魔化しが利き、光弾の流れ弾なら防いでくれる。


「俺たちを案内するのか?輝石院側の人間なんだぞ」

「白華の騎士でもないのにヘリオンになにができるの?少しは考えなって」


 服を脱がすのに手こずっているアーレッタに手を貸して、影狼から服を剝ぎ取った。全身を覆える丈夫な外套が血を吸って重くなっている。


「セレナが来たら案内してあげようよ思ってたんだ。ヘリオンは羊小屋にいてほしかったけどね」

「どういうこと?」

「私はね、作戦が終わって無事にセント・ミラから脱出できたら、影狼と一緒に外国へ逃げるの」


 まるで旅行の予定を立てるかのように、アーレッタはこの先の展望を語った。


「亡命ってやつ?もちろん家族も一緒だよ。今は南方都市で私を待ってるんだ。セレナが私たちと来るなら、ここでお父さんと会うしかないでしょ?」


 亡命。セレナはうわ言のように呟く。その言葉の意味を飲み込めていないようだった。


「カンデラの光がない国に行って、どうするんだよ」

「どうするもなにも、別の光を見て生きていくだけ。私は影狼とか輝石院みたいに、この国のことを真剣に考えてるわけじゃないし」


 アーレッタは影狼から脱がした服をセレナに渡して、着るように促した。


「あなたもそうだよね?」

「私は……」


 セレナは答えることができなかった。それを見つけるために輝石院まで来たのだ。ロアと実際に会わなければ完結しない感情がセレナにはある。


「まあ、まずは会ってみないと。集会所まで案内するよ」


 ヘリオンとセレナは顔を見合わせて頷いた。アーレッタは敵ではない。もちろん味方ではないが、二人を影狼に突き出すことはしないだろう。


 友人のセレナが外国に興味を持っていることや、家族想いなことをちゃんと理解している。アーレッタにとっては、それだけのことだ。


 黒煙によって黒く染まった服をセレナと一緒に羽織る。子供の身長なら二人が同時に入ることができた。


「集会所に入ったら、天の門に続く通路まで走り抜けてね」


 アーレッタに案内されて暗闇の中を歩く。影狼の服で顔を隠しているため余計に周囲の様子が把握できない。しかし集会所に近づいていることは感じ取れる。争いの音に近づいているのが分かった。


 集会所の窓は大きく、高い天井は吹き抜けになっている。部屋には魔光が満ちてヘリオンにも中の様子が見えた。この大広間を黒煙で満たすことはできなかったのだろう。


「通して、適性持ちの協力者だよ!」


 ヘリオンたちは集会所にいくつもある出入口の一つから中に入った。アーレッタがランプを振って仲間だと示さなければ、すぐに捕まっていただろう。


 影狼たちは机で正面の入口を封鎖し、突破しようとする騎士達と交戦していた。

 鉄の剣や槍で戦う者もいれば、光弾で応戦している影狼もいる。その中にはヘリオンたちと変わらない年齢の子供もいた。


 いつかヘリオンが戦った訓練場の子供たち。彼らのような子供も今回の戦いに参加している。

 後ろから影狼を奇襲すれば、白華の騎士をここに通せるかと考えた。乱戦になれば横にいるセレナを守り切る自信はない。


 床に転がったいくつもの死体を目にした。授業の後はよくこの集会所で、ローランとアーレッタと三人で勉強をしていた。今日だってそうだ。その場所に横たわる死を、今は見逃すことしかできない。


「ほら行って、もしセレナが一緒に来るなら、私は嬉しいな」

「……ありがとうアーレッタ」

「ヘリオンは来なくていいから。どうせあなたはこっちを選ばないでしょ!」


 慌ただしく走り回る影狼たちを潜り抜け、天の門へと急ぐ。輝石院の最奥へと続くただ一つの通路は、影狼と騎士たちの戦闘により半ば崩落していた。


 黒煙は集会所の先には届いていない。騎士が監視する中、黒煙を発生させる準備はできなかったのだろう。もしくはサニディンと戦うのは、ロアのように適性を持つ影狼が正面から討ち取る計画だったのか。


「戦ってる!」


 門の部屋では魔光の明滅が瞬き、二人の人影が激しく争っていた。輝剣を打ち鳴らし、魔光が飛び交う。


 白い装束と黒い装束が折り重なるように転がっている。この部屋にいた騎士は影狼と相打ちになっていた。立っているのは二人だけだ。


 老齢の聖騎士サニディン。彼に対峙しているのは、黒に身を包んだ男だった。

 一目で彼が高い魔光適性を持っていることが分かる。


 聖騎士が放つ空間への影響。サニディンが魔光を飲み込む穴のような異常性だとすれば、その男は残像だった。


 視る者の目に、焼き付きを起こすような、闇を残す強い光。彼が聖騎士と同等の力を持っているのは明らかだ。


 サニディンの周囲にはいくつもの光刃が浮かび、意思を持って影狼の男を襲う。

 一本一本がヘリオンよりも洗練された強度の光刃だ。それを同時に十本以上、輝剣を使わずに発動させて精密な操作を行っている。並みの相手なら瞬きの合間に細切れになるだろう。


 だが押されているのはサニディンの方だった。

 吹雪のように舞う光刃の嵐を男は捌き続けている。手に持つのは一本の輝剣。数で圧倒するサニディンを凌駕するのは、その速度だった。


 体から発火したかのように魔光の火花が散る。その瞬間、男は別の場所に立っていた。サニディンの刃が空を切り、男は死角から致命の刃を振る。光刃がそれを防ぐと、また残像を残して男は別の角度から攻撃を繰り出した。


 攻勢に出ているのはサニディンではない。異次元の速度で斬撃を繰り出す男に対して、聖騎士は防戦を強いられていた。


 よく見ればサニディンの左腕は既に失われている。輝剣を握らずに戦えるのではない。すでにその選択肢は切り落とされている。むしろあの状態でここまで戦えるのがサニディンの聖騎士としての実力を証明していた。


 しかし衰えた体力の差が、勝敗を分けた。

 サニディンが後ろに飛んだ。それが目にも追えない速度で蹴り飛ばされたのだと分かったのは、部屋の壁に叩きつけられ、男の足で踏みつけられた姿を見た後だった。首元には光刃が添えられ、サニディンの生殺与奪が握られているのは明白だ。


「これが最後の通告だ!門を開けろサニディン!!!」


 男は吠えた。口から血の混じった唾を飛ばし、荒い息に喘ぐ。あそこまで物理を無視して無軌道な動きをすれば、体に相当な無理を強いるだろう。勝利は決して楽なものではなかった。


「大切な人々を光に焚べて、ずっと生きながらえてきたんだ!どうせ死ぬならこの国の行く末を見届けろ!」

「ごっ、ごほっ……はぁ……はぁ……まだだ、ロア……」

「負けを認めてくれ!あんたが門を開けてくれたら、カーネリアンも、あのライトラムの子供とだって戦わずに済む!」


 それは敗北してもなお、心が屈しない相手に向けた飾り気のない懇願だった。


「頼むよ……先生」

「戦え……次の……騎士が……来たぞ」


 サニディンはヘリオンを見ていた。限界に近付く中、戦いの順番を少年に回した。

 この輝石院を訪れた最初の日、彼が言っていたことを思い出す。生徒たちを楔の一つだと宣告したあのときから、サニディンにとって生徒たちは皆、騎士の一人だった。


「ああ、お前たち……なんで来てしまったんだ!」


 ヘリオンは輝剣を握りしめた。あの戦いを目にして、自分がこの男に勝つ想像は出来ない。しかし剣を握る以外に、ヘリオンはこの男と対峙する方法を知らない。

 言葉はセレナから繰り出された。募る想いは彼女のためのものだ。 


「お父様……」


 息子は騎士として、娘は迷える旅人として、父親は裏切者として。

 分かたれた血の巡りあわせが、長いときを越えて再会を果たした。



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