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ステアを騎士団に引き渡したあと、ヘリオンとセレナは彼女から得た情報を聖騎士サニディンに報告した。
報告を受けたサニディンは輝石院の全生徒を学生寮に待機させるよう指示を出す。
騎士団も影狼が輝石院の内部に入り込んでいることは分かっていたが、通常の授業を継続しながら襲撃に備えるのは限界という判断だった。
まずは輝石院の内部を騎士団で隈なく捜索する。
影狼をあぶり出せたとしても一時的な時間稼ぎにしかならない。影狼にしてみればここで見つかってもまた侵入すればいいからだ。
サニディンはむしろ自分の警護を輝石院の探索に回すことで、影狼が付け入る隙を作るつもりだった。天の門がある部屋でロア・ロックスを待ち構えている。
報告を終えたヘリオンたちも学生寮で待機することになった。
ステアの発見を早く伝えていれば、影狼が準備していた黒い粉を押さえることができたはずだ。その落ち度を追及されると思っていたが、白華の騎士も学生のヘリオンたちにそこまで正確な仕事を求めなかった。
セレナと並んで、学生寮の窓から輝石院の建物とその向こうに浮かぶカンデラを見る。
ステアの話を聞いてから、セレナはずっと考え事をしていた。
空を見る横顔につられて、ヘリオンも頭上を見上げた。カンデラに照らされた青白い空。今は夕の鐘から夜の鐘が鳴るまでの間だ。太陽があるなら地平の下に沈もうとしているだろう。
よくよく考えれば、鐘を鳴らす時間によって昼と夜を区別するのは本来の意味ではない。
「私の名前がどういう意味か知ってる?」
突然セレナが問いかけてきた。
「セレナって名前の?」
人の名前に意味があるということもヘリオンは考えたこともなかった。
「月の神様の名前なんですって。ああ……神様っていうのはカンデラ以外の神様のこと。外国ではたくさん神様がいるのよ」
「たくさんってことは、カンデラみたいな大輝石がそこら中に浮かんでるってことか?」
「違うわよ。輝石を崇めてるのはこの国くらいなんだから。とにかく月の神様がいるの」
「月……か。セント・ミラだと見えないな」
「私は一度も見たことがないわ」
東方都市でも月は見えなかった。ヘリオンは辺境の暗い空で、薄く染みのように浮かんだ月を見たことがある。この国のほとんどの住民は月をその目で見ないまま一生を終えるだろう。
「私の名前はね、エミーリアさんがつけたの。真実を見つけられるようにって」
ヘリオンの母親であるエミーリア。セレナの母親のウェンディと親友だった女性だ。
影狼の娘であるエミーリアは、外国の事情について詳しかったのだろうか。影狼が外国に目を向けた組織だとしたらありえる話だ。
エミーリアがロアと一緒に姿を消したのは、ヘリオンとセレナが生まれて間もない時期だ。反乱の直前まで、二人の母親たちには交流があった。
「私にこのことを教えるくらいだもの。たぶん、お母様はエミーリアさんのことを許しているの」
ロア・ロックスを奪った友のことを。自分たちを捨てた夫のことを。ウェンディは全て飲み込んでセレナを育てた。
だからこそ父親の灰守りをセレナに与え、親友の灰守りをその息子に託したのだろう。
「不思議よね。私はね、外国のことを勉強して、外交官になりたかったの。もちろんロアが外国に逃げたとか、影狼のことなんて知らなかったわ」
「ステアが話した影狼のこと、どう思ってるんだ?」
すぐに騎士団を呼んで、セレナをあの倉庫から追い出すべきだった。
「カンデラを壊して、いつかこの国に太陽を取り戻す……悪くないと思う」
「セレナ……」
「分かってるわよ。私はあなたのお姉ちゃんなんだから。裏切ったりしないわ」
もしヘリオンが今日、羊小屋から帰ってきていなければ。セレナはステアと出会い、影狼の協力者になっていたのだろうか。
「ヘリオンは白華の騎士になったらどうするの?」
「どうするって、まだなるって決まってないだろ」
「なれるわ。あなたは絶対、騎士になる。カーネリアン卿も、輝石院も、このカンデラの光も。ヘリオンを白華の騎士にするための道を敷き続けてたもの。ロアと戦わせるために」
祖父と父親の罪を清算するため。そこから生まれた人生が正しいと証明するため。神様から遠い村より始まった旅の中で、ヘリオンは光のほうへ歩き続けてきた。光に照らされた道の中を。
その正しさとは光に照らされている正しさだ。今見えている世界にとっての都合でしかない。
「輝石院のやり方は、正しいと思う?」
カンデラという光に目が眩んだ人々。光の中の秩序を守るために、より強い適性を持った者を騎士として戦わせ、対価として権限を与える構造。
この光の世界で、ヘリオンは白華の騎士として戦い続けるのだろうか。
同じ問いを、天の門で聖騎士から与えられた。カーネリアンはヘリオンが受け継ぐ血の真実を知った後に、騎士になることを選ばせた。
影に落ちた者たちの息子を、光の世界を守る騎士に仕立て上げたのだ。
ヘリオンが知った真実は光の側面から見た真実だ。聖騎士たちは光の当たる場所から問いかけ、ヘリオンは騎士になると答えた。
今は影の側から、よりによって姉のセレナから問われている。騎士となることを選ぶのかと。
「セレナ、俺にとって本当に大切だった人は、いまはどこか暗い場所にいるんだ」
白華の騎士に捕まり、地下牢に入れられた祖父。
彼に与えられた強さが、ヘリオンの全てだった。全てを捨てた祖父がこの世界に残したのは、ヘリオン自身だった。
祖父の真意は今でもわからない。最後まで影狼としての正義を信じているのか、光の世界に対する贖罪をしたかったのか。ヘリオンに戦う術だけを与えた結果、どう転ぶと予想していたのだろうか。
どちらにせよ、祖父を救うことはできない。
「もしも、その暗い場所から今の俺が見えるなら、良かったって思ってほしい」
ヘリオンにとって光の世界を守ることは、カンデラを守ることと同じではない。
ロックス家の家族。出会った騎士。輝石院の友人。彼らがいるのは光の世界だ。いままでヘリオンの目に映ってきた人たちは、カンデラの光を望むだろう。大切なのは輝石院の正しさそのものではない。
「俺は、この目に映る世界と、そこにいる人たちのために戦う。ジジイはきっと許してくれるさ」
「どうしてヘリオンが戦わなくちゃいけないの?あなたを騎士にしたのは、ロアや輝石院のせいだわ。あなたが選んだわけじゃない」
「そうかもな……俺は自分で選ばなくても、選ばれたんだ」
この国では魔光適性が高いことを神に選ばれたと言い表す。
ヘリオンは神に選ばれたのではない。光の差す場所にいる人たちが、ヘリオンを選んだのだ。
「セレナは、ロアに会ったらどうするんだ?」
「………」
「俺はきっと、戦うよ」
ヘリオンの心は定まっていた。カンデラの世界と太陽の世界のどちらが良いかという話ではない。ロアと影狼の理念が、長い目で見ればこの国のためになるのかもしれない。
それでも戦うのは、ヘリオンは自分の立ち位置を決めているからだ。
「私は……もう、なにを信じていいか……わからないの」
セレナの目から涙があふれる。
「ロアが……お父様がいないのは、騎士の使命に殉じたからだって思ってた。おじい様もお母様も、お父様は立派な騎士だったって……」
ロアの裏切りは輝石院によって秘匿されていた。
東方地域を担当する騎士ロズエンからは、十二年前の反乱は従者ディークの裏切りによるものだと思われている。
それは輝石院や白華の騎士が秩序の象徴であるために必要なことだった。
カーネリアンかサニディンのどちらか、あるいは別の誰かが保身に走った結果だろう。ロックス家の名誉は守られた。
ロックス家に残されたのは、白華の騎士としてのロアの幻だ。
「影狼になっているって知ったときは、絶対に許せないって思ったの……でもね、お父様もこの国のことを考えて、影狼になることを選んだんだって考えたら、あのときの怒りは、どこかに消えちゃった……」
幻の父親を取り戻す手段を、どこかに探していたのだろう。影狼の思想に妥当性を見出した今、セレナの中のロアがどのような姿で映るのか。
「私は影狼がなにを目指しているのか、もっと知りたい……。輝石院のやり方は、絶対におかしいわ。きっとまだ私たちの知らない歪みがある。でも影狼がカンデラを壊すのは怖い。テセラちゃんが殺されるのだって嫌よ……」
ヘリオンとセレナの境遇は似ている。
同じ父親の血を受け継ぎ、光と影の両方の世界を行き来できる存在だった。
「どうしたらいいの……私は、ヘリオンみたいに選ばれなかった!」
決定的に違ったのは、セレナには自分で選ぶ権利が残されていることだ。彼女は誰からも立ち向かうことを求められていない。戦場に求められていなかった。
セレナが苦しんでいるのは、戦う相手を自分で選ぶ必要があるからだ。
光の世界を守る輝石院。太陽の世界を目指す影狼。どちらとも違う道だってセレナは考えることができる。彼女は物知りで賢い。だからこそ誰にも手を差し伸べてもらえない。
勝敗に輝剣を持ち出して、命のやり取りで運命に決着をつけようとするヘリオンには理解できない苦しみだろう。
今はただ、涙を流す姉の隣で空を見上げることしかできなかった。
「夜の鐘だ……」
いつのまにか時間が過ぎていた。
影狼は夜の鐘に合わせて羊小屋を襲撃する。ヘリオンたちが見ることのできない夜の暗闇が、不可視の服の効果を強くするという。
影狼たちが姿を消して活動していたのは、夜の間か、倉庫のような暗い場所だった。
ステアが予告した夜が訪れる。
窓から輝石院を見たヘリオンは、すぐにその異常に気が付いた。
「セレナ見てくれ、輝石院が!」
空に黒が広がっていく。
「なに、あれ……」
輝石院の建物から、黒い煙が立ち上っている。煙はカンデラの光を遮り、空を黒く塗り潰す巨大な柱が立っていた。影を知らないセント・ミラの街から光が切り取られていく。
「私が見た黒い粉、きっとあの煙を作るためだったのよ!」
「輝石院から生徒がいなくなったから、存分に暴れるってわけか」
羊小屋でカーネリアンとテセラを討ち取るのは諦めたのか。それもとも最初から輝石院にサニディンを孤立させるつもりだったのか。どちらにせよ、この戦いは最初から責めるほうが有利だった。
街を巡回していた騎士団が輝石院へと向かっていく。
「俺たちも行こう、セレナ」
「で、でも……きっとあそこにはロアがいるわ」
「だから行くんだ。俺だって、戦場に飛び込んで影狼を追い払えるなんて、思ってない」
影狼は長い時間をかけて準備を進めてきた。彼らの中にはヘリオンが実力で及ばない敵も多いだろう。
「でもロアに会うには今しかない。セレナが選ぶまで、俺が守って見せるから」
ヘリオンの力は、正しさを守るための力ではない。隣にいる人を守るための力だ。
そのための剣をダスクから与えられたのだと、証明してみせる。




