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35.
ステアが輝石院に来ている。
かつて辺境の村で祖父と暮らしていたヘリオンを、村から連れ出した行商人。後に判明したその正体は影狼の構成員だ。
おそらく最初からヘリオンとディークを影狼に引き入れるつもりで村を訪れたのだろう。今思えば、ヘリオンが村を出る切っ掛けになった山賊の一件も、ステアの演技だったと考える方が自然だ。
「元気そうだね、ヘリオン」
セレナは課題を先取りして作った時間で、やはり影狼を探していた。もちろん騎士の協力は得られない。事情通でありながらセレナは一生徒でしかないからだ。
影狼が潜むのは暗い場所だろうとセレナは考えていた。
輝石院の内部でカンデラの光が届かない場所は少ない。ステアがいたのはその一つ、学生の教材置き場だった。
書庫、武器庫、食料庫よりも狭く、影狼が狙う物資が存在しない場所として、騎士の警戒から漏れていた。それにセレナが気がついたのが今日のことだ。
日常的に生徒の出入りがある場所に影狼が隠れているとは思えなかったが、セレナは念のため確認しに行った。そこで暗がりの中に黒い霞でできた壁を見つけたという。
その壁とは、運び込んだ物資を不可視の布で覆ったものだった。
セレナが布を捲って中身を確認すると、黒い粉が詰まった袋だとわかった。服の汚れは袋を破いた時にこぼれた粉が付いたものだ。
これが不可視の服の秘密につながるかもしれない。
セレナが教材置き場から出ようとしたとき、人が動く気配を感じた。空中を揺らめく影が移動していく。その足元にはセレナがこぼした黒い粉がついていた。
影狼がすぐ近くにいるという恐怖はあったが、その人物の行く先を知るためセレナは後を追う。
別の倉庫に入ったところで影狼は立ち止まりセレナに話しかけた。
ヘリオンは元気、と。
そこから短い会話を交わし、ステアが油断したところで隠し持っていた白燐錠を使い拘束したのだという。羊小屋での活動をしているときにキアノスから教わったことが活かされた。
「それで、騎士に報告するより前に俺と会わせたってことか」
ステアは胴と足を縛られた状態で倉庫の床に座っている。
埃っぽい倉庫だからか、注意深く見ればその服の輪郭を捉えることができた。フードの隙間から見える顔が揺らめきの中からこちらを覗いている。
フードを外すと、これまでと同じように、静かな微笑みを浮かべてヘリオンを見上げている。
ステアは本当に敵なのだろうか。思わずそう考えたくなる感情を抑えつける。最後に東方都市で別れたとき、敵になると決めたのだから。
「影狼で間違いない。騎士団に引き渡そう」
「えっ、でもいいの?ヘリオンの初恋の人なのよね?」
「お前らはなにを話してたんだよ」
ステアはクスクスと笑いながらヘリオンたちの様子をうかがっている。
おかしい。ステアがいくら油断したからといってセレナに捕まるだろうか。少なくとも彼女は光弾を使えるほどの魔法の腕を持っている。白燐錠で拘束される前に、セレナを攻撃することだってできたはずだ。
「こんどはセレナを影狼に引き入れようとしていたのか?」
「んーそうだね。ヘリオンはずいぶん騎士っぽくなっちゃったから」
「次会うときは敵だって言ったのはステアだろ」
「もっと格好よく出会いたかったな。宿命の対決みたいな」
「これで最後だよ……セレナ、だれか騎士を連れてきてくれ」
「う、うん……」
倉庫から出ていこうとするセレナを、ステアは呼び止める。
「お父さんについて知りたくない?姉弟が揃ってるなら、聞いておいて損はないんじゃない?」
父親のことを出されれば、セレナは足を止めてしまう。
「セレナ行けよ!話は騎士団が聞き出してくれる!」
「騎士団の尋問ではなにも話さないわ。ロアの子供であるあなたたちに、直接伝えられるから情報を差し出すのよ」
「俺に話そうが騎士団に伝わることには変わらないぞ」
「構わないわ。騎士団を回って伝わるより、ずっと響きそうだし」
「ヘリオン、この人の話を聞いてみましょう……」
「落ち着けよセレナ!」
親の存在すら知らずに育ったヘリオンよりも、父の面影を追い続けているのはセレナのほうだ。ステアはすべて分かっていて揺さぶりをかけている。
「俺たちにタダで話すなんておかしいだろ。お前を動揺させたいんだ。それかきっと、なにか時間を稼ぐために……」
「私がふらついてたって騎士団は揺らがないわ。ヘリオンだって、ロアの情報を騎士団にもたらすいい機会じゃない。知りたくないの?父親のことを」
ヘリオンにとってロアは倒すべき影狼の一人でしかない。
血を継いでいるというのも最近知ったことだ。ロアが白華の騎士団や輝石院を裏切ったことがすべての始まりだが、その裏切りがなければヘリオンは存在さえしていない。知るべき肉親ではなく、清算するべき過去だ。
セレナにとってはどうだろう。
自分と母を捨てた父親。しかしセレナにとっては憎むだけの存在ではなかった。
残された灰守りに想いを募らせて、いつか父親を許せる理由を探していたはずだ。偉大な騎士であったことがその拠り所の一つであり、影狼だと知った今でも、裏切りの真実を知りたがっている。
「お願い、ヘリオン」
これ以上、セレナから取り上げていいものがあるのか。
影狼は予想よりもずっと輝石院に近づいている。いつ本格的な正面衝突が始まってもおかしくないのだ。
その時セレナは戦場にいないだろう。知らないところで父親が捕まって、納得できるわけがない。
かつてダスクが騎士に連れ去られたとき、ヘリオンだって真実を知ろうとした。
「ステアのいうことを信じすぎるなよ」
「うん……わかってるわ」
光を避けた影の中で、セレナとステアは向かい合った。
「話を聞いてくれてありがとう。捕まったあと、騎士を呼びに行ったときは焦ったのよ」
「俺が輝石院に来てるって知ってたんだろ?だから俺の名前を出したんだ」
「どうかな」
ステアを相手に問答をしても意味がないだろう。こうなってしまえば、話したいことを話させて騎士に引き渡したい。
セレナだって友人となったテセラの命を狙う連中の肩を持たないだろう。
「さあて、なにから話そうかな」
「父の……影狼の目的を教えなさい。カンデラを破壊したって、この世界から光が失われるだけだわ」
「まだ一年だったら習っていないかな。それとも、目をそらしてるの?」
「なんのこと?」
「太陽」
それは昼と夜を分けるものの名前だ。昼には太陽が空を温めているから、地上でも気温が上がる。夜はその逆で、空が温められていないから肌寒い。
辺境の村では、目を凝らせば空に明るい場所が見えた。東方都市やセント・ミラに来てからは、もうずっと存在を思い出すこともない。
「この国の外ではね、昼間の空を太陽が照らし、人々はその光を見て生活しているの」
「……知っているわ」
いつかセレナは語っていた。夜の空に浮かぶ月のことを。
彼女は元から外国のことに関心があった。将来の夢は外交官だと言っていたし、書庫で読んでいるのは外国について書かれたものが多い。
「影狼は、この国の人たちに太陽を見せたい」
「そのためにカンデラを壊すってこと?」
「強い魔光は目を眩ませる。代わりに夜と昼の境目もなくなって、魔光を操る技術が発達したけれど……その優位性は過去のものよ」
ヘリオンにはカンデラのない光景が想像できなかった。
ミラ湖の上からカンデラがなくなって、昼の間だけしか明るい空が訪れない世界。あんなぼやけた光を頼りにして、外国の人たちは生活できるのだろうか。
「魔光に慣れ切ったこの国の人間には、太陽の光は弱すぎるんだって」
「だから私たちは、外国からは未明の魔族と呼ばれているわ」
「あれ、セレナは詳しいんだね。じゃあこの布のことは知ってる?」
影狼が使う不可視の服。つまりその技術は外国の技術ということか。
素材に使われているセント・ミラの羊毛は、金を出せば買えるものだ。交易品として輝石院が正式に輸出しているのだから。
「魔光を吸収する羊毛を、特定の規則で織って特殊な処理をしたんだって。特に日光が当たらない場所では効果的。この緻密な織り目は機械で作られているんだよ」
「機械……」
「私も見たことないんだけどね。魔光を動力に動くんだって」
レセナが使っていた、魔力操作によって動く糸車。あれをどれだけ複雑化させても、精密な布を織る構造を作れるとは思えなかった。
いや、この思い込みこそ、影狼が壊そうとしているものの正体だったとしたら。
「魔光を浴びて作られる素材も、発生源の巨大輝石も、外国はずっと狙い続けている。何百年も昔からね」
「でも……外国人なんて見たことないだろ。国の外側だった俺たちの村だって、山の向こう側に世界があるなんて気にしたこともなかった」
「外国の人間は、カンデラの光が届く場所で長く生きることはできない。この国を囲む山脈はただの国境じゃないの。カンデラによって隔てられた光の壁」
辺境の村でさえ魔光に照らされた土地。そこで生まれた人々は魔光適性を持つようになった。
外国の人間がこの国にいないのはカンデラの光によって拒まれていたからだ。
「その壁は破られつつある。今は影狼に提供した服で、性能を見極めている段階よ」
「外国が、攻めてくるってことか?」
「カンデラに縛りつけられる時代は終わったの」
だからこそ、影狼はカンデラを破壊する。
役目を終えた神を空から落とすために。
「いや、無茶だ。それでもカンデラの光がなくなったら俺たちは生きられないだろ」
「この国から出た人の子孫は、太陽を見れるようになったらしいよ」
「だからって……」
「そう、私たちはもう遅い」
今この国に生きるすべての人々が太陽を見ることはない。夜に浮かぶ月だってそうだ。
「でも今カンデラを落とさなきゃ、この国は外国に飲み込まれる。カンデラを破壊して得た輝石資源で渡り合えるうちに、太陽を取り取り戻して、外の世界を知るの」
それが影狼の目的。ロア・ロックスが成し遂げようとしていること。
ステアが嘘を、適当な妄想を話しているとは思えない。
それでもヘリオンには受け入れられなかった。外国という脅威についてヘリオンは想像が及ばないが、カンデラの光を否定してまで立ち向かえば、きっと多くの犠牲が出る。
「私の話は終わり。ロアはあなたたちと顔を合わせずらいみたいだから、替わりに教えとこうと思ってね」
「父は、セント・ミラに来ているの?」
「本人に聞いて。きっとすぐ会えるから」
ステアはヘリオンの方を見上げた。
「ね、そうでしょ?」
「………!」
違う、後ろだ!
ヘリオンは振り向いた。そこにいるのは透明な揺らめき。すぐ近くにいながら、存在を感知できなかった。魔光に頼り切った感覚の死角だ。
輝剣を発動させてその場所を切り払う。手ごたえはなかった。目を凝らし、空中に舞う埃の動きから影狼の居場所を探そうとしても見つけられない。
「本当にいたんだ」
「ロアがそこに来ていたのか!?」
「さあ。見えなかったもの」
見えない影はヘリオンたちになんの反応も示さない。
立ち去ったというのか。自分の子供をふたり目の前に、なにも言わず?
輝石院にロアが侵入している。
影狼の目的はカンデラの破壊だろう。そのために力を持たない聖騎士であるテセラの命を狙っているのだ。どういう理屈か、聖騎士がいなくなればカンデラを破壊できるのだから。
輝石院にいる聖騎士はサニディンだけだ。彼は万が一白華の騎士の中に協力者がでたことを想定して天の門を防衛している。その守りは堅牢だ。聖騎士だけでなく大騎士も控えている。
だからこそ影狼が輝石院を直接狙うとカーネリアンは考えなかった。テセラを囮にしてまで、羊小屋での戦いを想定していたというのに。
「目的はサニディン卿か?」
「どうかな。でも、こっちを見に来たんだったらちゃんと運び出せたみたいね」
「なんだって……?」
「……あの黒い粉!」
セレナは倉庫から走り出していった。どこに影狼がいるかもわからない場所で一人行動させるわけにもいかない。
ステアを追いかけていくと近くの倉庫に入った。彼女を最初に見つけたという教材置き場、床には黒い汚れが散乱している。
「な、無いわ!」
セレナはそこに積まれていた袋の山が不可視の布で隠されていないか、手探りで見つけようとしている。もう運び出された後だろう。
ステアがセレナに分かるよう場所を移動したのは、他の影狼に荷物を移動させるための時間稼ぎだった。
落ち着きのない姉を引っ張って再びステアのいる倉庫に行けば、彼女はまだそこにいた。
「縄を切るくらいしてくれてもいいと思わない?」
「薄情な連中なんだな、影狼ってのは」
「まあ私の役割はここまで。あんまり戦いには役に立たないし」
影狼は着々と戦いの準備を進めている。
セレナが見たという黒い粉。きっとそれは近い未来でヘリオンたちを苦しめることになる。
「さあ、もうすぐ光が落ちる時間だよ」
セント・ミラの住民にとっては一日を等分するだけの鐘の音。次に鳴るのは夜の鐘だ。
この空はどれだけ暗くなっているのだろう。
今もまだ、カンデラは変わらずに世界を照らしている。




