33
33.
宙に浮かぶ二本の輝剣が襲い掛かる。
影狼の輪郭は、土埃にまみれて可視化された。しかし半透明の体から伸びる光刃は不気味だ。体の動きと剣の動きが連動しているように見えない。
さらに厄介なことに、ヘリオンには影狼が輝剣を発動させる予兆が見えなかった。
テセラが放った力任せの爆発ほどではないが、魔法の発動時には使用者の体から燐光が立ち上る。
動作の一つ一つにしても、その意図は体から発する光となって漏れ出ていく。それをいち早く感じ取ることで相手の動きを予想するというのが、魔光を持つ者たちの戦いだ。
だが影狼からはなにも感じない。揺らめく空間が、すぐそこに迫っている。
やるしかない。
ヘリオンは輝剣を握って覚悟を決めた。
これは木の棒を使った訓練でも、拘束を優先する作戦でもない。命を奪いに来た簒奪者から仲間を、自分を守るための戦いだ。
影狼の一人が、ヘリオンに向けて光刃を振り下ろした。
その光刃を揺らめきごと切り飛ばす。影狼の刃は消失し、体から血飛沫が舞い上がった。
もう一人が来る。ここからが本番だ。
二人の影狼が輝剣を見せたときから、一人の光刃はヘリオンより強度が劣っているとわかっていた。先に切りかかってきたほうだ。もう一人は違う。
光刃の強度ではまだヘリオンが優位だが、不意打ちでは断ち切れないだろう。真っ向勝負だ。
仲間が切られたのを目にした影狼は、ヘリオンをただの子供だと思わなかった。彼は一撃目から技を使ってきた。
光刃を長く伸ばして、距離を空けながらの斬撃。
「………っ?!」
伸びた長さは元の光刃から三割ほど。しかし子供のヘリオンと大人の影狼では最初から扱う光刃の長さが違う。
体格によって扱いやすい剣の長さは制限されるが、それを無視して刃渡りを伸ばすことは可能だ。
刃を伸ばせばそれだけ、影狼はヘリオンを一方的に攻撃できる。
輝剣で作る光刃を広げれば魔光の密度は落ち、強度は弱くなる。大きさを維持するための集中力が必要だからだ。この影狼はヘリオンの光刃を見てから、刃を散らされない限界を見極めて形を変化させた。
ヘリオンにはまだできない。一定の形を保つことで強度を維持することはできるが、長さを変化させながら戦うことは危険が伴う。この影狼は、輝剣での戦いに慣れていた。
鞭のように薙いでくる刃を弾き続け、防戦を強いられる。やりにくい。
不可視の服に遮られているせいか、相手の攻撃の予兆を感じ取ることができなかった。
ヘリオンはなんとか攻撃に対応しているが、それは足止めをされているということだ。
逆にこの影狼をヘリオンが足止めできているともいえるが、まだ他に侵入者がいた場合、テセラを守ることができない。
「きゃあっ!」
「テセラ?!」
羊小屋の方で輝剣の発動音が鳴った。舞い上がる赤い霧。
そこでは影狼の一人がキアノスに切られていた。
テセラは無事だ。彼の後ろに守られている。
「ヘリオン下がれ。そいつは私がやる」
キアノスが光弾を飛ばして影狼の隙を作ってくれた。
彼と入れ替わり、ヘリオンはテセラの元へ走る。
他の影狼はいないようだ。キアノスが倒したのは、テセラの魔法で吹き飛ばされた影狼だった。ヘリオンが戦っている隙に起き上がり、テセラを襲いに来たのだろう。
影狼たちにはテセラの姿が見えているのか?
彼女を見ることができるのは高い魔光適性が必要だ。いや、テセラ自身を見なくとも、その周囲の物の動きを見ればおおよその位置はつかめるはずだ。例えば、誰もいないのに動く糸車。
キアノスと影狼の戦いは、もはや剣士同士の戦いではなかった。
複数の光弾を操り、牽制や追撃を織り交ぜながら戦う騎士キアノス。本命の輝剣を常に前へ突き出しながら、体の予備動作からは予想もできない光弾攻撃を周囲に配置している。
それに対して光刃の形を自在に変化させ、安全圏を確保しながら戦う影狼。キアノスの光刃の強度に合わせてさらに長く引き延ばした刃は、大鎌のように広がりをみせ、一振りで光弾を弾き落としていく。
魔光が爆ぜ、光刃の舞う領域。これが白華の騎士による戦いか。
ヘリオンが彼らに勝っているのは、光刃の強度くらいだろう。
魔法を駆使した戦闘技術。未知の領域で繰り広げられる戦いを、ヘリオンは一歩引いた場所から見ることしかできない。
ヘリオンの服の端をテセラが掴んだ。羊小屋の壁にもたれて立ち上がることもできずにいる。
「……テセラ、もう大丈夫だ。俺から離れないで」
「は、はい……」
戦いに見とれている暇はない。今は、この子を守ることが最優先だ。
すぐに従者たちもやってくる。ヘリオンにできることは、助けが来るまでテセラに誰も近寄らせないことだけだ。
キアノスと影狼の実力は拮抗している。目的が果たせないと分かっていながら影狼は逃げなかった。ここで騎士とヘリオンを倒してテセラの命を奪うか、騎士に敗れるかの二択だ。
羊小屋は街から離れた場所にある。不可視の魔法があるからといって、騎竜の目は誤魔化せなかった。それは影狼にもわかっていたことだろう。
身を隠す場所がない中、巡回する騎竜の目を潜り抜けて、ようやくここまで侵入してきたのだ。彼らは決死隊だった。
やがて巡回の従者たちがやってきて彼を取り囲んだ。四対一だ。キアノスが影狼の輝剣の動きを封じ、その隙に従者たちが白燐錠を投げて拘束する。
ヘリオンが騎竜で襲い掛かってから始まった戦闘は、終わってみれば一瞬の出来事だった。
「よく気づいてくれたヘリオン。礼を言う」
「騎竜が優秀だったおかげです」
「いや、お前が戦ったあの影狼は、白華の騎士と同等の力を持っていた。止めてくれなければライトラム卿は無事ではすまなかっただろう」
「うぅ……」
テセラは自分の肩を抱き、その場に蹲っている。当たり前だ。まだ十歳くらいの女の子が、刺客に命を狙われたのだから。いくら魔法の力に長けていようと恐怖心は拭えない。
「心配するなって。俺たちが守るから」
ヘリオンに言えるだけの根拠も自信もないが、励ましになればいいと思う。強張った表情で頷くテセラの頭を撫でた。
「………」
その手の袖が、返り血で染まっている。最初に切りかかってきた影狼のものだろう。
侵入した四人の影狼は、いずれも死んでいなかった。
騎竜に襲われた影狼は爪で頭を押さえつけられて気絶している。
ヘリオンとキアノスが切った影狼は、傷は深いが一命を取り留めていた。従者が拘束した後、手早く止血を施していく。
妙だった。ヘリオンはついに人を殺めてしまったと思っていた。影狼を切った瞬間、手加減はなかったはずだ。刃も十分に届いただろう。
服を削り、体の表面が魔光によって破壊され、傷跡が残されている。しかし影狼たちの体は両断されていない。
不可視の魔法はまだ健在だ。揺らめく影狼の体に、赤い傷の跡が浮かんでいるようにも見える。
魔法ではないのだろうか。使用者が意識を失ったいまでも、汚れのついていない部分は朧げな揺らめきを残して光を透かしていた。不可視の魔法は服による効果だ。
考えられる可能性は、この服が魔光を吸収し、輝剣の威力を弱めたということだった。
「影狼が着てる服、あれは……?」
「分からん。私も初めて見た」
キアノスが短い輝剣を発動させて服の一部を切り取る。硬い岩石だろうがバターのように切ることのできる輝剣が、その服に対して刃は鈍り、引きちぎるような切断面を残した。
「これは……セント・ミラ産の羊毛だ……だがこの質感はなんだ?」
不可視の服の切断面は黒い。たしかに、この羊小屋で飼育している羊の毛に似ていた。だが黒い羊毛で織った服ならば黒くなるはずだ。
キアノスは服をもう一欠片ちぎって、ヘリオンに渡した。揺れる透明な布。触れた感触は確かに毛織物に似ているが、質感は硬く、織り目が異常に細かい。
「このことまだ口外するな。分かっているな」
「布はもらっていいんですか」
「奴らとの戦闘を経験した人間を、遠ざけたところで意味はない。服の正体をお前も考えるんだ」
「……はい」
白華の騎士ですら存在を知らなかった、影狼の技術。
きっと、ここにいる全員が舐めていたのだ。生徒に紛れて少数が潜伏しているだけなら、護衛はそう難しいものではないだろう。
少なくともヘリオンは、この羊飼いの活動は、テセラの話し相手が第一目的だと考えていた。
影狼はずっと本腰を入れてこの輝石院に近づいている。
「ヘリオン……大丈夫?」
羊小屋の中からセレナが出てきた。外の戦闘が終わるのを待っていたのだろう。
「帰ったんじゃなかったのか?」
「ヘリオンと一緒に帰ろうと思って……その血は……?」
「あ、ああ。大丈夫だよ……俺のじゃない」
輝石院の制服は半身が赤く染まっていた。
ヘリオンが初めて白華の騎士と出会ったあの日。騎士の装束が同じように血に塗れていたことを思い出す。秩序の名のもとに秘めた暴力性が、自分に降りかからないかと恐れた。
こうなることは分かっていた。天の門で聖騎士たちに誓ったのは、こちら側に立つ覚悟だ。
しかしこんな姿をセレナに見られるのは、嫌だった。できれば彼女には血を見せたくない。
「お父さ……ロアはいたの?」
セレナの問いに、答える言葉が見つからない。
ロア・ロックスは今回の襲撃にはいなかった。ヘリオンの直感がそう告げている。理由はわからない。知らず知らずのうちに父親と剣を交えていたなんて、考えたくなかったのだろうか。
そしてセレナは、どちらを望んでいるのだろう。
父親との再会か、父親の無事か。彼女の表情からは読み取れない。
「ロアはいない。奴が来ていたら、私では勝ち目がなかったよ」
影狼の顔を確認することもなく、キアノスは断言した。あれだけの戦いを見せた白華の騎士が、遠く及ばないと諦める相手。それがロア・ロックスなのか。
「そう……ですか」
戦いの傷跡を見て、セレナは唇を噛み締めた。
輝剣によって容赦なく血が流れる戦場。ここではあまりにも無力なセレナは、ただ父親の襲来を待ち望んでいる。




