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セント・ミラのカンデラ教会では羊を飼っている。
乳や肉を採るためではない。食堂で出される羊肉は硬く、それはカンデラの光による影響だと言われている。
乳の味も良くはない。本格的な放牧を行わず、セントミラ周辺の草を食ませているだけなのだから、栄養状態が悪いのだろう。
セント・ミラの人口は少ないが、食料としてそれを賄えるだけの頭数は飼育していなかった。
羊を飼う目的はその毛皮にある。
カンデラの光を浴びて育った羊の毛皮は、魔法の道具の材料になる。特に羊皮紙は魔導書の材料として最適だ。
羊皮紙は国外へ輸出され、最高級品として取引される。
光の神が見守る土地といっても、住人は少ない。
セント・ミラがこの国の他の都市に対して十分な影響力を持てるのは、カンデラありきの産業をいくつも抱えているからだ。
そんな重要な資源を管理する羊飼いの仕事は、伝統的にカンデラ教会の役割だった。
今年から輝石院の生徒が奉仕活動として関わるようになったのは、教会の修道女でありながら聖騎士であるテセラがいるからだ。
「私は教会で生まれ育ちましたから、輝石院や騎士団の人間ではないんですよ」
羊飼いの奉仕活動が始まって数日。
ヘリオンは教会の人間に混ざって羊の世話をしていた。手慣れた動きで飼葉を運ぶ。故郷の村で山羊の世話をしていた経験がこんなところで活きるとは思わなかった。
羊小屋と呼ばれる建物は、セント・ミラの外れにある。小屋と言ってもなかなか立派で、元々は羊の管理を任された教会の人間が生活する場所だ。
周囲を石垣で囲まれ、羊小屋の周りには黒い毛の塊がひしめいている。セント・ミラ産の羊は毛が黒い。
テセラは今ここで暮らしている。
「ずっと不思議だったんだけど、どうしてテセラが聖騎士なんだよ」
「白華の騎士は年齢や功績に与えられる称号ではないんです。私は聖騎士の条件を満たしましたから」
「条件……?輝石院の成績以外にもあるのか?」
「ヘリオンさんなら遠くないうちにわかりますよ」
白華の騎士として最高の階級である聖騎士。その一人が幼い少女という事実は、輝石院の生徒、そしてセント・ミラの住民には知られていない。
テセラは外に持ち出した糸車で羊毛を紡いでいた。
彼女の魔力操作によって車輪が回転する。器用な手つきで毛の束から繊維を引き出していく姿は、とても退屈そうだ。
これまでは大聖堂で生活をしていたという。しかし影狼が輝石院のなかに入り込んだという情報が彼女の生活を変えた。
影狼はテセラの命を狙っている。
信仰の場所である大聖堂に、生徒や住民を入れないわけにはいかない。大聖堂はセント・ミラの医療施設も兼ねているし、なによりカンデラ教会としての存在意義が失われる。
大騎士リーヴベルのように司教を兼任する騎士がテセラの護衛として目を光らせていたが、休息期間が明けて生徒の出入りが始まった後、テセラの安全を確保するのは難しい。
そこで白華の騎士団は、テセラを羊小屋に移動させることにした。ここは元々、教会関係者しか立ち寄らない場所だ。
奉仕活動として羊飼いを募ったのは、本気で生徒にテセラの護衛をさせようとしているわけではない。
教会に所属する正規の羊飼いには、テセラの姿を見れる人間がいなかったからだ。
彼女はセント・ミラの住民の中でも特に魔光適性の優れた人間にしか見えない。
つまり羊飼いの奉仕活動とは、テセラの話し相手になることが第一の仕事だった。
羊小屋には白華の騎士が在住しており、石垣の周辺も騎竜に乗った従者が巡回している。護衛本来の仕事は彼らの担当だ。
影狼の中にどれだけテセラを見ることのできる適性持ちがいるかわからない。少なくとも適性の高い生徒や住民たちが影狼でないと分かるまでは、テセラをここで匿う計画だ。
ヘリオンには、テセラの扱いが羊と変わらないように思えてならない。
セント・ミラで生まれた稀少な羊の一頭。それを騎士たちは狼から守る。ヘリオンは世話係だった。
「影狼は、どうしてテセラを狙うんだ?やつらの目的はカンデラを壊すことなんだろ。テセラが聖騎士だからって影狼の脅威にはならないだろうし」
「失礼ですね。私だってちょっとは強いんですよ」
「そうは見えないな」
騎士の仕事は影狼との戦いに限らないが、テセラがそういった仕事をしているようには見えない。
通常の騎士と比べても異質なほど発達した魔法の技。それを目にしたことがあるヘリオンも、テセラの特別性を疑っていない。
名ばかりの聖騎士として街のはずれに隔離された少女。
他の生徒たちとの交流を持つこともできず、外から来る敵に怯える日々を送るテセラを可哀そうだと思うのは、仕方のないことだろう。
「あっ、セレナさーん!」
街のほうからセレナが歩いてきた。
「遅かったじゃないか」
「ちょっと書庫によっていたの」
セレナは鞄から羊皮紙の束を取り出して机に並べ始める。テセラも糸車を止めて席に着いた。
「今日はなにを持ってきてくれたんですか?」
「遥か昔、この国を王様が収めていた時代の伝承よ。途中までだけど、続きはまた写してくるわ」
「王様ってなんですか?」
「この国で一番偉かった人、かしら」
「サニディン卿みたいな人なんですね」
「昔は王様が騎士よりも偉かったんですって」
セレナは羊飼いの活動時間をセレナとのおしゃべりに当てていた。初日こそヘリオンと一緒に羊の世話をしていたが、二日目からは手をつけていない。
教会の人間から注意を受けないあたり、ヘリオンたちの仕事に対する期待の程が分かる。
「ヘリオンもそんな真面目に羊の世話してないで、テセラちゃんの相手してあげなさいよ」
姉の指摘ももっともだが、ヘリオンはなにもせず人と話し続けるよりも、仕事をしていたほうが気楽だった。年下の少女と会話し続けるのは話題がもたない。
それに比べてセレナは書庫でいろいろな文献を当たって話題を提供し続けている。テセラはヘリオンよりもセレナに懐いていた。
「ヘリオン、ちょっといいか」
離れたところからテセラの様子を伺っていた騎士から呼び出される。
キアノスという中年の騎士はリーヴベルの部下にあたる。
羊小屋での護衛を任されており、奉仕活動中のヘリオンたちを指導する立場だ。
「お前の姉は何を持ってきたって?」
「昔の王様の話だとか」
「旧暦についてか……輝石院が閲覧を許しているものなら、まあいいだろう。あまり変な話をライトラム卿に吹き込むなよ」
「直接セレナに言ってください」
「この前、外国産の絵物語を取り上げたんだが、それから酷く嫌われてなぁ」
だからテセラから離れていたのか。
親子ほど年の離れた娘二人に邪魔者扱いされて困っているのだろう。
「それよりヘリオンも毎日暇だろう。どうだ、騎竜に乗ってみないか」
「えっ、いいんですか?」
「ああ志高いお前を遊ばせておくのは忍びない」
騎竜の扱い方は輝石院の二年になってから教わる内容だ。それを今から習得できるとは有難い。
「でも、俺はロックスですよ?」
騎士団にとってロックスの名は忌まわしい敵のものだ。キアノスの年齢なら十二年前の戦いに参加しているだろう。
ヘリオンたちは聖騎士に認められて羊飼いをしているが、彼個人にはなんの恨みもないのだろうか。
「ロア・ロックスか……私たちの世代にとって、その騎士の名は未来の象徴だった」
キアノスは口笛を吹き遠くで待機させていた騎竜を呼び寄せる。
鱗を撫でながら、かつて失われた時代に想いを馳せていた。
「輝石院では私が生まれるよりも以前からサニディン卿の一派が実権を握っている。後に聖騎士となったカーネリアン卿は、輝石院の内政よりも影狼狩りに執着しておられる」
カーネリアンはこの国の全土を巡り、各地の影狼やその他の犯罪者を追っている。
今は輝石院内部に影狼の侵入が予想されているためセント・ミラに滞在しているが、普段は輝石院にいるほうが珍しいという。
対してサニディンが担っているのは輝石院の運営や、カンデラ教会との連携。
かつてこの国を支配していた王政の役割は、サニディンが務めている。
「聖騎士の方々に不満があるわけではない。だがいずれサニディン卿もカンデラの光の中へ旅立つだろう。そのとき我らの先頭に立つ聖騎士は、あの男になるはずだった……彼の目には、いつも未来が映っていた」
輝石院がロアに向ける恨みは、期待の裏返しでもあった。
「ヘリオン。お前はいずれライトラム卿を支える騎士となるだろう。あの子が道を踏み外さないよう、目を離すんじゃないぞ」
「なんでテセラが……聖騎士になる条件ってなんなんですか?」
「それを知るには、まずお前が白華にならなければな。さあ、騎竜にも乗れないうちは白華になれないぞ」
キアノスが冗談めかして言う。騎竜の技術と騎士になる条件は関係がない。テセラは騎竜に乗れないのだから。
聖騎士がこの国でもつ役割と意味。
生徒たちは輝石院で好成績を残せば騎士になれると言われている。しかしそれだけでは足りないのだ。
ヘリオンは幸か不幸か、特殊な出自のおかげで他の生徒よりずっと早く真実に近づいていた。
その後は騎竜の乗り方をキアノスに教わり、羊小屋の石垣の周りを騎竜に乗って周っていた。
セレナとテセラからうらやむ声が飛んでくるが、聞えない振りでやり過ごす。
騎竜の特殊な歩き方は馬とは違い、姿勢を保つまで慣れるには時間がかかった。
ヘリオンが競歩に耐えられるようになったのは夕の鐘が鳴ってからだ。セント・ミラの空は色の変化がなく、気づかないうちに時間が過ぎていく。
セレナは先に帰ったようだ。テセラも小屋の前で糸紬を再開していたが、鐘の音を聞いて片付けを始める。キアノスに礼を言って、学生寮に帰るとしよう。
そう考えて羊小屋に騎竜を向けると、指示に反して竜の足が止まった。その頭は羊の群れを向いている。
腹が減ったのだろうか。竜は肉食だ。まさか白華の騎士が所有する竜に限って、家畜の羊を襲うほど不躾ではないと思いたい。
ヘリオンが進むよう指示を出すと、竜は素直に足を進めてくれた。
なにか、あるのか?
竜は人間よりも遥かに優れた視力を持つと言われている。馬では歩くことのできないミラ湖周辺の土地で、目が見える陸の動物は竜と人間だけだ。
羊は目が見えていないらしい。セント・ミラ以外の平野部では視力を持っているが、ミラ湖周辺の羊は光に目を焼かれている。臭いと音で仲間の位置を探し出し、群れを作り、そして人間に管理されている。もともとはこの土地にいなかった家畜だ。
群れをなしている黒い毛の塊たち。そのうち何頭かが、なにかの臭いにつられて歩き始めている。
「なんだ……?」
羊たちはその場所に集まり、動かなくなった。動いた群れの中、不自然に空いた空間。
竜はまだ、その場所を見ている。
黒い毛に囲まれたその場所が、揺らめいた気がした。
「……っ、行け!」
ヘリオンが咄嗟に出した命令に応じて騎竜は走り、そこにいる何者かに飛びかかった。なにがいるかわからない。しかし竜は賢く、白華の騎士による訓練が行き届いていた。
羊の群れを押しのけて、竜の爪が何もない空間に食い込む。
「う、うわぁああ!」
男の叫び声!
竜が爪で抑えつけた空間が揺らめき、朧げな影を作る。必死の抵抗を続けるそいつを抑えつけるため、竜も前足を叩きつけた。その衝撃に耐え切れずにヘリオンは地面に飛び降りる。
まちがいない、影狼だ。その輪郭は霞んでいるが、激しく動き、土と血で汚れた部分はヘリオンの目にも映る。そこには確かに人がいた。
周囲にいた羊たちが散っていく。ヘリオンはテセラのほうを見た。彼女は突然暴れ出した竜に驚いている。
「テセラは小屋に入れ!キアノスの近くに!」
羊の群れが避けていく空間はまだある。あと何人いるんだ。
まさかテセラ以外に姿の見えない人間がいるなんて!
最初に見つけた影狼のことは竜に任せて、ヘリオンは羊小屋へと急いだ。もし影狼が小屋の近くまで接近していたら、テセラを守れない。
「近づかないでください!」
テセラが影狼に向けて叫ぶ。いや違う。その言葉はヘリオンに言っていた。なぜと思う間もなく、彼女の周囲が激しく明滅し光球が浮かび上がる。
以前影狼との戦いでヘリオンが見た光弾の魔法とは比較にならない大きさ、そして密度を持つ魔光の塊。テセラは少なくとも五つを眼前に浮かべ、それを放った。
「うわっ?!」
地面が爆ぜた。衝撃と、舞い上がる土砂に怯む。
敵に襲われたときは、とにかく周囲を吹き飛ばせとでも教わっていたのだろうか。それともテセラが機転を利かせたのかはわからない。
周囲を漂う土埃が、不可視の影狼たちを汚していく。
一人はテセラの魔法で吹き飛ばされたようだ。残り二人。竜に襲われている一人を入れれば、四人の影狼がいる。
ヘリオンのほうが残り二人の影狼よりテセラに近づいている。あと一歩で吹き飛ばされていたが、テセラが躊躇すれば影狼の接近を許していただろう。
土埃が風に流されていく中、影狼たちは輝剣を抜き放った。
羊小屋の中には騎士キアノスがいる。石垣の周りにいる従者たちもすぐやってくるだろう。
侵入した彼らに逃げ場所はなく、テセラを守るヘリオンを排除する以外の選択肢はない。




