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30.
朝の鐘が鳴る。罰則の時間は終わった。
リーヴベルに会うため再び大聖堂へ戻る。
セレナは先に学生寮へ戻り、テセラはヘリオンとは別の入口から大聖堂に入っている。持ち出した魔導書を返すのだろう。
長椅子で寝るローランは穏やかな寝息を立てていた。
今日で休息期間は終わりになるが、彼を寮へ連れ帰りゆっくりと休ませたい。
輝石院での生活をどこまでローランと一緒に過ごすことができるかわからないが、長く続いてほしいと思う。ローランを苦しめることになると分かっていながら、優しい友人との別れは寂しい。
執務室へ入ればリーヴベルとテセラが向かい合って話している途中だった。勝手に魔導書を持ち出したことについて注意を受けているようだ。
違反の罰則ではなく注意というのが、彼らの力関係を物語っている。
「白華の技をみだりに使ってはいけないのです。文書の閲覧にしても、貴女の敵を増やすことになりますよ」
「カンデラと輝石院に仕える同志たちです。どこに敵がいるというのですか?」
テセラは一歩も引く気がないようだ。大騎士を相手にしても自分が咎められることはないのだと自信を持っている。
こうなればリーヴベルも我儘な小娘を前にした初老の男に過ぎない。
「ロックス。もう一日湖に沈んでいたいかね」
「す、すみませんでした」
「まあいい。ライトラム卿が勝手にしたことだ。クローラを連れて帰りなさい」
「はい……」
棺の部屋に侵入したことに改めて頭を下げる。テセラに頼んで騎士の記録に触れたことをリーヴベルは分かっていた。
「それと、君へ連絡だ。夕の鐘の後、セレナ・ロックスと共に聖騎士カーネリアン卿を尋ねなさい」
予想外の呼び出しに戸惑う。
聖騎士といえば中央輝石院の頂点に立つ存在だ。ヘリオンにはなにかと縁のある騎士だが、簡単に面会できる相手ではない。
「ライトラム卿にも言ったが、魔導書をセント・ミラで使えばすぐに編纂室が光の流れを辿る。秘匿する情報に触れたとなれば、騎士へ君たちの存在が伝わるのは当然だろう」
「それは、ロア・ロックスを除名し、記録を消したのがカーネリアン卿ということですか。彼と騎士団の名誉を守るために?」
影狼にその身を堕とした裏切者の騎士。その存在は白華の騎士団にとって都合が悪い。特に上司であったカーネリアンは存在を隠したがるだろう。
リーヴベルはロアの名前を聞いて、視線を落とす。
「ロアの除名は中央輝石院の総意だ。私も一人の騎士、そしてカンデラの信徒としてロアの愚行を許していない。これ以上のことはカーネリアン卿に聞きなさい」
「……分かりました」
「またね。ヘリオンさん」
「テセラ、今日はありがとう」
ローランを起こして教会を後にした。まだ足取りが覚束ない彼に肩を貸しながら、ミラ湖の湖畔を歩く。
その途中、彼は水漬けにあっているときに見た幻について話してくれた。
「母上が見えたんだ。棺の部屋に近かったからかな。すぐに会えるって、そう言ってくれたよ」
灰守りができれば、母親の魂は家族のもとへ帰る。ローランが光葬されなくとも親子が離れ離れになることはない。
ヘリオンの母親、エミーリアはどうしているのだろう。
逃げた先でまだ生きているのか。それとも亡くなっていて、湖で見た幻は彼女の魂だったのか。
寮の大部屋にローランを寝かせて、ヘリオンはセレナを探した。
幸い女子寮まで行かなくとも、食堂で上級生の話を聞き流している彼女を見つけることができた。
「セレナ、呼び出しだ。夕の鐘でカーネリアン卿に会いに行こう」
「わかったわ」
突然出てきた聖騎士の名に周囲が沸き立つ。
きっと上級生たちはロックスの姉弟が聖騎士にも注目される有望株だと考えているのだろう。
実態は、聖騎士どころか輝石院全体から睨まれる要注意人物だ。
聖騎士との関係を聞いてくる生徒をかわしていたら、すぐに夕の鐘が鳴ってしまった。セレナと一緒に輝石院の建物へと向かう。
セント・ミラを訪れた初日に、新入生が並べられた広間。そこは普段は円卓がいくつも並べられた集会所になっているようだ。
輝石院の上級生、働く教員たち、在住する白華の騎士団が思い思いの相手と語り合っている。
奥の机で一際異彩を放つ集団がいた。聖騎士カーネリアンと彼が従える騎士が二人。
彼らのような上級騎士が暇を持て余して来る場所ではないのだろう。
会議をするわけでもなくただ黙って集会所を眺めるカーネリアンの存在に、この場にいる全員が声を一段低くして噂を立てていた。
「おーい君たち。こっちだ」
初めてあった時と同じように、彼は朗らかに声を上げた。その権威の高さを思えば、怪しいほど気さくな男だ。
周囲の注目を集めながら、ヘリオンとセレナは彼の前に並んだ。
「ようこそセント・ミラへ。そして中央輝石院へ。また君たちと会えて嬉しい。セレナちゃんは大きくなったね。私のこと覚えているかな?」
「いえ……カーネリアン卿とお会いしたときは、まだ幼かったと聞いています」
「ああ、そうだった。時の流れは早い。あれからもう十二年か……」
十二年。彼の目に映るのは、戦場となったセント・ミラの街か。それとも裏切者となった部下たちの顔か。
「ヘリオン。よく辿り着いた。君が父親について知ったとき、改めて会おうと決めていたんだ。まさかこんなに早く、休息期間中に辿り着くとは思ってもみなかったよ」
カーネリアンはヘリオンをロックス家に預け、中央輝石院に送り込む手筈を整えた。しかし自分の正体をいつ知るのかは、ヘリオン自身に委ねていたのだ。
テセラという反則技がなければ、こうしてカーネリアンと会うのはずっと後になっていたはずだ。
「ロア・ロックスについて、他に隠していることはありますか?」
セレナが単刀直入に切り出す。突き出された名前に反応したのは、カーネリアンの隣にいる大騎士の二人と、遠巻きにヘリオンたちを見ている何人かの騎士。
殺気だ。輝石院には、ロアに対する敵意が根強く残っている。
除名されたといっても彼のことを覚えている騎士は多いだろう。
「セレナちゃん、ここでその名を出すのはまずいなぁ。まさにこの場所が戦場だったんだ。古傷の癒えていない連中だっているんだよ。君の立場だって危うくなる」
「守りたいのは貴方の名誉では?」
「はははっ、私の栄誉など、とうの昔に喰い千切られている!」
ロアとディークの直属の上司だった彼にとって、十二年前の抗争が痛手になっていることは間違いない。
そこから生まれる執着心が、ヘリオンを騎士にするという提案の原動力になっているはずだ。
「俺が騎士になるのは、貴方の名誉を回復させるためですか?」
「それも違うなヘリオン。随分と安っぽいことを考えるようになったじゃないか。あの村の麓で私に頭を下げた君は、もっと高潔だったぞ」
カーネリアンは机から立ち上がり、ヘリオンたちについてくるように命じた。集会場の広間を離れ、輝石院の奥へと進む。
やがて訪れたのは、巨大な扉がある部屋だった。
大人五人分はある高さの、石の扉。
隙間から光が漏れ出し、この向こうが輝石院の外に繋がっているのだと分かる。ミラ湖から打ち寄せる波の音が聞えた。
部屋の中には誰もいない。神聖な場所なのだろう。付き添ってきた騎士の二人も部屋には入らず、入口で待っている。
扉の前には柱が立ち並び、そこにはびっしりと文字が刻まれている。
人の名前だ。よく見れば部屋のあちこちに名前が彫られている。石の扉も同様だが、奥に近づくほど古いもののようだ。
「天の門。開かれた先には、カンデラへ繋がる道がある」
カーネリアンは一本の柱の前に立ち、手で表面をなぞる。名前で埋めつくされた柱の中、その部分だけが削り取られている。
「ここには歴代の騎士が叙任したときに名を刻んでいく。魔導書による記録がない時代。古くは騎士制度と中央輝石院が成立するより以前からの習わしだ。かつて白華の騎士の役割は、カンデラに捧げられた殉職者たちのものだった」
それは今でも本質的には変わらない。
中央輝石院は、身を捧げてカンデラを守る者を選別するための場所だ。
そのために魔法適性を持つ者を優遇し、持たないものを排斥する。
そして最終的に残った適応者を、この国のために戦う戦士として育て上げる。
やっていることは影狼の裏返しに過ぎない。
「あれからずっと考えていた。どうしてロアが裏切ったのか……。彼は、耐えられなかったのだろう、光に焼かれる者たちの姿が」
「適性のない人のため、カンデラがない世界を作ろうとしたってことですか?」
「あるいは、適性があるばかりに光の中を彷徨う私たちのことかもしれん」
「どっちにしろ父は、ロアは、私たちの敵になったのよ……」
削られて消えた名前を見つめて、セレナが冷たく言い放つ。
「ああ、その通りだ」
後ろから杖をつく音と共に、老齢の聖騎士サニディンが現れた。
空間に開けた穴がこちらに歩いてくる。聖騎士という存在はほかの騎士とは一線を画した雰囲気を持つが、彼がもつそれはカーネリアンよりも一層強く重苦しい。
その横にはテセラが並んでいた。彼女も同じだ。テセラの場合は濃密すぎる光の塊そのもの。
人間の肉体を掻き消して光と同化しているからこそ、存在感が薄れてしまう。
「我らは戦うのだ。光の世界を守るために」
カーネリアン、サニディン、テセラ。三人の並びを見れば、もはや答えは明白だった。
白華の騎士団で頂点に立つ三人の聖騎士。その最後の一人がテセラ・ライトラムだ。
「まさか聖騎士が集結するとは。総会はまだ先ですよサニディン卿」
「貴様がロックスを天の門に連れて行ったと聞いてな。万が一もある」
サニディンがヘリオンたちと天の門の間に立ち塞がる。反逆者の子供に対してまるで信用を置いていないのだ。
光の守護者はロックス姉弟に向けて問う。
「ロアの子供たちよ。貴様らはなんのために戦う。その正義を光と影のどちらに置くのだ」
セレナは目を伏せそこか悲しそうに、答える。その言葉の重みに耐えながら、しかしその声に迷いは見えない。
「私は……私は影狼から、父の手からこの世界を守りたい」
かつて遠い異国の空を思い描き、闇の中に輝く月を夢見たセレナ。父親の裏切りによって失われた誇りは、彼女の中から夢を拭い去ってしまった。
「ヘリオンはどうだい。君はなにを持って、その正しさを証明する」
すべてを失ったあの日から、ヘリオンはこの世界のことを少しだけ知った。ほんの少し。光の当たった一部分でしかないが、ヘリオンが大切にしたいと思えるものがあった。そしてヘリオンのことを思ってくれる人も。
祖父との日々を思い出す。彼はヘリオンに力以外は与えなかった。それはいつか、ヘリオンが旅の中で守りたいものを見つけられるようにするためだ。
現実は違った。祖父や父親の過去、カンデラの光がヘリオンを追いかけ、その責任を果たせと叫び続けていた。
「俺は、俺の周りにいる人たちを守りたい」
隣にいるセレナが、戦い傷つく未来から守ってやりたい。
「父を、そして祖父を裁くことになるぞ」
「最初から、そのつもりで俺を騎士にしたかったんでしょう?」
裏切りの連鎖に終止符を打つ存在として、その血を最も濃く受け継ぐヘリオンは選ばれた。
だったら選ばれてやろう。セレナではない。ヘリオンにこそ、その役割は相応しい。
「白華の騎士として、俺は戦います」
二人の返答は、聖騎士たちを納得させられたようだ。入学の式典からここまでが、ヘリオンとセレナが本当に輝石院へ入学するために必要な期間だった。
「ロアが再興した影狼が、輝石院に近づいている。私が得た情報によれば、今年入学した生徒の中にも影狼が潜んでいる可能性が高い」
カーネリアンが口にしたのは、これから先の輝石院の生活が、決して心休まる日々にならないことを意味する。
十二年前の反乱。そこからロアが影狼に本格的に参加し、再び輝石院と白華の騎士団を相手に戦う準備を整えてきたのだ。
「白華の騎士団はロックス姉弟を白だと判断する。信頼しよう」
「カーネリアン卿。羊飼いの話ですが……」
「わかっているさライトラム卿。彼らを推薦したいのだろう?」
静かに話を聞いていたテセラが口を開く。
「ヘリオンさんと、セレナさん。私を見ることのできる二人がいてくれれば、安心です」
「なんの話ですか?」
セレナの疑問に答えたのはサニディンだった。彼はまだ納得いっていないという表情で説明する。
「そうは見えんだろうが、この子は若くして聖騎士の位を持つ。理由はおいおい明かすことになろうが、影狼たちはテセラの命を狙うだろう」
聖騎士といってもまだ十歳と少しの少女だ。
驚異的な魔法の技術を持っていても、守ってやる必要がある。教会の大騎士リーヴベルもその役割を担っていた。
「輝石院での奉仕活動について知っているな?教会の羊飼いという名目で、テセラの護衛をさせようと人を探していたのだ。私はロックスに任せるのは反対だが……」
「サニディン卿、この二人は信頼できます」
守られる本人の推薦ならば、認めないわけにはいかないのだろう。
幼い聖騎士に手を取られ、ヘリオンとセレナはようやく輝石院に認められたと実感した。休息期間は終わり、騎士になるための日々が始まる。
「いつか私と一緒に、扉の向こうへ行きましょうね」
神への扉は、いまだ閉ざされたままだった。




