29
29.
父親の不貞の末に生まれた弟に、セレナはどんな気持ちで接しているのか。
セレナ自身は家督に興味がないといっているが、母親のウェンディのことを思えば家を継ぎたいと思っているはずだ。
家督を継ぐために最も確実な方法は、ヘリオンを蹴落とすことだろう。
家長のコルトは、セレナを跡継ぎにすると明言している。しかしヘリオンがいる限り二人は比較され続ける。
ヘリオンはセレナの方が遥かに優秀だと思っている。
勝っているのは、剣の腕前と魔光適性だけだ。適性にしても大きな違いはない。その他の知識や品格をヘリオンは持ち合わせていなかった。
東方都市で彼女は親身になってヘリオンに勉強を教えてくれた。教会の集会に連れていき、最低限の作法を学ばせてくれた。
ヘリオンの正体を知った後でも、それは変わらなかった。
「あなたが家に来てからお母様を宥めるのに大変だったんだから」
「気づかなくて、ごめん」
「屋敷に帰ったらお母様に謝りなさい」
次にロックスに帰るのは、一年後だろう。そのときは改めてコルトとウェンディの話を聞きたかった。
「お待たせしました。騎士名簿を閲覧できる魔導書です」
丁度いい頃合いでテセラが戻ってきた。
そうだ、まだ謎は残されている。
十二年前に死んだロアの記録がなぜ抹消されているのか。彼が影狼と戦い、白華の騎士として殉職したのなら英雄として扱われるはずだ。
テセラが椅子の上に本を置き、ページを開いた。
しかしそこには何も書かれていない。
ヘリオンは執務室でリーヴベルが使っていた本を思い出した。生徒の情報が自動的に書き込まれる魔法。あれと同じ物だろう。
「文字で残してあれば良かったんだけど、そう簡単にはいかないわね……。魔導書をめくる魔法は使えないわ。もし使えても、許可された人にしか閲覧できない」
「リーヴベル卿に頼んでみようか?」
「あなた規則違反した直後によく言えるわね」
「誰の記録を探しているのですか?」
「……いえ、いいのよ」
セレナはただの修道女に、これ以上踏み込ませてはいけないと考えているのだろう。黙って首を振り、魔導書を閉じた。
「四八八年に叙任したロア・ロックスっていう騎士の記録だ。見れるか?」
「ちょっと、ヘリオン」
「大丈夫だよ」
あと少しだ。ここまで来たのだから、中央輝石院が隠している真実をすべて知っておきたい。
光が塗り潰した影の中で、騎士を目指すことはヘリオンには耐えられなかった。
テセラが魔導書に手をかざすと、カンデラの光が集まり魔法が発動した。
開かれた紙面の上に、輝く文字が刻まれていく。それは輝石院の書庫で消されていた白華の騎士叙任の記録。その騎士がどういった任務についていたかを詳細に記録したものまで綴られている。
「な、なんでテセラがこの記録を見れるの?こんなの、上級騎士しか触れられない極秘情報よ!」
「いいから早く読んでくれよ」
「そうですよ。私も難しい字は分かりませんので」
もう行き過ぎなほど彼女に頼ってしまったが、テセラの立場について、今は口を挟まないでおこう。
セレナは困惑しながらもページをめくり、目当ての情報を探していく。ロア・ロックスの最後。なぜ記録が消されるに至ったか。
「嘘よ……こんなの……」
「なにが書いてあったんだ?」
言葉を探し、そして結局なにも言えずにいるセレナを見えれば、受け入れがたい事実に間違いないだろう。ヘリオンも意を決して、記録を読み進める。
知らない文字に苦労しながらも要約すれば、そこにはロア・ロックスの裏切りについて残されていた。
「ディークと協力して、カンデラを襲撃した……?」
まさかという気持ちと、やはりという諦めがある。そうでなければロアの扱いに納得がいかない。
ディークが影狼としてカンデラ襲撃を目論んでいたとすれば、最も近い白華の騎士であるロアを懐柔するべきだ。ロアを味方に付ければ、セント・ミラでの活動は容易になる。
あるいは、娘のエミーリアはそのためにロアと接近した可能性すら考えられた。
存在を知ったばかりの母親と父親に、早くも暗い影が落ちていく。
「それだけじゃないわ……」
彼女はロアの灰守りを見つめ、重い口を開いた。
「騎士ロア・ロックスは、中央輝石院を襲撃後、逃亡。長年姿を表さなかったことから国外へ逃れたと考えられていたわ」
「いや、そんな、死んだんじゃなかったのか!?その灰守りは……」
セレナが大切にしていた父親との繋がり。
捨てられなかった血の繋がりを痛いほど握りしめ、その目には涙が溜まっていく。怒りと悲しみが綯交ぜになった感情で、新たな呪いを明かした。
「後年、ロアが国内で発見されるわ。十二年前に半壊した影狼を立て直すため、各地に散らばって活動する影狼たちの頭目として扱われているそうよ」
父親が生きて、影狼として今も暗躍している。
姉弟の背に手を掛ける運命は、いずれ必ず立ちはだかるだろう。
「中央輝石院は、ロアを影狼として認定。白華の騎士から除名したわ。記録はここまで。続きは、そうね、影狼の調査記録にでも出てくるんじゃないかしら」
力なく笑うセレナの肩に手をやり、身を寄せた。
彼女が継ごうとしていた騎士としての父親は幻だった。母親と自分を裏切ろうと、使命の中で殉職した栄誉こそが、ロアを許すための最後の理由だったのだ。
セレナが黙って体を預けていたのは一瞬だった。抑えきれない怒りに任せて、腕を振り、ヘリオンを引き離す。
立ち上がると灰守りの紐を引きちぎり、掴んで大きく振りかぶる。
「待てよ!」
「止めるなぁあああ!」
灰守りがミラ湖へ投げ捨てられる直前でヘリオンが腕を掴む。
さざ波の中に落ちた灰守りは、カンデラの光を取り込んで淡く光っていた。まだ拾うことができる。
「なんなのよこれは!私はいままで、誰に!何に祈ってきたわけ!?」
かつて影狼との戦いに赴いたとき、帰りを待つセレナは父親の灰守りにヘリオンの無事を祈っていた。とんだ茶番だ。
その父親こそが影狼の頭目であり、ヘリオンが戦ったあの少年たちも、ロアの思惑によって集められていたのだから。
暴れるセレナを抑えながら、ヘリオンも自分を騎士にしようとしたカーネリアンの思惑を考えていた。
聖騎士カーネリアンは、当然このことを知っていた。
そしてあの平原で、なにも知らずに育ったロアの子供を見つけ、白華の騎士へと引き入れた。
全てを知った後に証明して見せろ。彼がヘリオンに科したのは、ヘリオンと祖父の人生だけではない、父であるロアの罪すらも含んでいる。
全てを清算するために、ヘリオンはセント・ミラまでやってきたのだ。
「これは……少ないみたいですね」
テセラは、投げ捨てられた灰守りを拾い上げていた。
その手に包み、なにかを読み取っている。彼女がなぜそんな技術を持っているのか、今更不思議ではない。どんな真実が出てきても驚かないだろう。
「小指だけ……正規の手順で光葬されたものではありませんね」
「そうでしょうね!ロアは光葬の栄誉を与えられるような人じゃなかったわ!」
もはやロアのことを父とすら呼んでいない。
「ていうか誰の灰なのよ。ロアは生きてるんでしょう」
「この灰からは、あなたたちとの繋がりが確かに感じられます。ロア・ロックスの灰で間違いありません」
「テセラ、こっちはどうなんだ」
ヘリオンは自分が持つ母親エミーリアの灰をテセラに渡した。テセラは同じように手で包み込むと目を閉じる。
「こちらからはヘリオンさんとの繋がりを感じます。ロアと同じ……小指だけですね」
「どうして小指なんだ?」
ロアとエミーリアが体の同じ部分を灰にされた。逃亡したロアが今も生きているというなら、エミーリアも同じように生きているかもしれない。
「ああ、思い出したわ……帰郷の誓いね……」
セレナは濡れることも気にせず、波が寄せる砂浜に座ってうつ向いた。
二人はそれぞれの灰守りをテセラから受け取る。
カンデラを見上げて、テセラは帰郷の誓いの意味を語った。
「神の光が届かないこの国の外。闇の中へと旅立つ前に、体の一部をこの地に残していくのです。光なき道で潰えようとも、魂が帰ってこれるように」
それが国外へと逃げたロアとエミーリアが、灰守りを残していった理由。約束通りロアは帰ってきたのだ。カンデラの地を闇に落とすために。
「ヘリオン、私やっとあなたのことが分かったわ。いままで、ずっとこんな気持ちだったのね」
弟の手をとって立ち上がる姉の目には、強い決意と、刃のような憎悪が滲む。
「許せない……帰ってくるなら、私が捕まえるわ」
「セレナ……」
残された想いは優しさだけではなかった。許しを得るために生きるだけではいられない。
ヘリオンたちにも、過去を許さない権利は与えられている。
今ここにあるもの。これから隣にいてくれる人たちを守りたい。過去がそれを阻むなら戦うしかないのだ。
『我は罪を裁く千刃の一振り、光の解放者。神の地に永久の安らぎを刻む』
かつて父が誓った宣誓の言葉。
それは、神の世界に対する宣戦布告のようにも思えた。




