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28.
朝の鐘にはまだ早いが、ローランにこれ以上罰を受けさせることはできない。
彼の体を拭いて服を着せたヘリオンは、ローランを担いで大聖堂の中へ入った。長椅子にローランを寝かせたところで、奥からやってきたリーヴベルに見つかった。
「まだ鐘は鳴っていないが?」
「ローランは限界です。ここで寝かせてやってください」
「……いいだろう。ロックスは外に戻って続きを」
リーヴベルがローランを湖に投げ入れるかもしれないと心配していたが、彼もそこまで厳しくはなかった。
安心すると同時に、ヘリオンの罰がまだ終わっていないことを思い出す。朝の鐘までどれくらいだろう。
大聖堂から出ていこうとするヘリオンに、リーヴベルが声をかける。
「ロックス。君には彼女が見えているな?」
テセラと名乗った修道女のことだろう。ローランには見えず、ヘリオンとリーヴベルには見えていた少女。
「あまり深入りはしないように。私に彼女を止める権限はないが、大騎士として守護する役割がある。君もまだ白華の騎士団を敵に回したくはないだろう」
それは脅しというより、親切心から来る忠告のように聞こえた。
ミラ湖の湖畔に戻ると同じ場所でテセラが待っていた。
大騎士でさえ、行動を制限することのできない修道女。それはカンデラ教会と白華の騎士という組織の違いによるものではないだろう。リーヴベルは教会の司教でもある。
ではテセラが教会側の権力者ということか?ヘリオンは教会の組織に詳しくない。
司教より上の存在がいて、テセラはその庇護下に置かれているのか。彼女が見せた魔法の技術を考えれば、ありえない話ではない。
ローランがいなくなったからだろう。テセラは遠慮なくヘリオンに話しかけてきた。
「また水漬けにされるんですか?」
「しかたないだろ。朝の鐘がなってないんだ」
「鳴らしてきましょうか」
「………」
本気なら恐ろしい話だ。
セント・ミラの時を告げる鐘はこの大聖堂の頂上に設置され、カンデラ教会によって管理されている。
魔法によって朝昼夕夜と正確な間隔で鳴らされる鐘は、セント・ミラが神の光の下に完璧な秩序を作った象徴としても語られている。
一端の修道女が気ままに鳴らせるはずがない。
「なにかお話しましょう」
「俺はいま、慎み深く罰を受けているんだ。邪魔しないでくれ」
「ヘリオンさんにとっては刑罰になりませんよ。丁度いい修行でしかありません」
「だったら修行の邪魔をしないでくれ」
「ふうん」
彼女の言う通り、ヘリオンはミラ湖の水に浸かっていても肉体的な苦痛を感じない。
感覚の喪失や幻覚も、気をしっかりと持っていれば耐えられると思う。
つまらないというように黙り、椅子に戻るテセラ。子供相手にそっけない態度を取ってしまったのだろうか。
朝の鐘がなったあとは、彼女の話を聞いてあげようと思った。
しばらく水に浸かりながら魔光に浸食されていく感覚に耐えていると、砂浜をこちらに近づいてくる足音が聞こえた。
もう朝の鐘が近いのか。人通りが多くなれば、ここで罰を受けているヘリオンが人目につくだろう。それだけは憂鬱だった。
「な、なにやってるのあなた……こんな小っちゃい子に見られながら……」
ある意味で一番見つかりたくない人がやってきた。
セレナは信じられないものを見る目つきでヘリオンを見下ろしている。何らかの罰を受けている弟の姿に、顔を青くしていた。
「セレナこそなんでここに……いや、その子が見えてるのか?」
セレナとテセラは目を合わせてお互いを見ていた。
「当たり前でしょ。水漬けでおかしくなっちゃった?」
「さすが姉弟です。セント・ミラでも私を見える人は少ないんですよ」
「……どういうこと?」
「セレナ、ちょうど良いからテセラの相手をしてやってくれないか」
突然現れた話し相手にテセラは喜んで話しかけた。
見える人が少ないとはどういう理屈かわからないが、彼女と同じ年の子供はセント・ミラにいない。友達と呼べる関係も少ないだろう。
セント・ミラで生活するには高い魔光適性が必要とされる。
それはヘリオンもここまでに十分体験してきた。ではセント・ミラで子供を生んだ場合はどうなるのだろう。
魔光適性は遺伝する。
この街に暮らす両親から生まれたなら、ある程度の適性が保証されているようなものだが、実際どうなるかわからない。
ローランでさえ何代も輝石院を卒業してきた家系に生まれながら、適性を満たさなかった。
テセラがいつセント・ミラに来たのかはわからない。通常の手順を踏んでいない特異な存在だということは確かだ。
「じゃあヘリオンは棺の部屋で騎士に捕まった!?」
「ええ。鐘が鳴るまではここで水漬けです」
テセラはあっさりとヘリオンたちの罪を暴露した。
教会では信徒の罪を聞き入れる懺悔室という場所があるらしいが、ヘリオンは一生そこを利用しないと心に決めた。
「でも助かったわ。私が行っても捕まっていたのね」
「待てよ、まさかここに来たってことは、セレナも忍び込むつもりだったのか?」
「あなたがお人好しでよかったわ。ローランにも感謝しないと」
大聖堂の正門ではなくわざわざ壁沿いの浜まで来たということは、ヘリオンたちと同じ経路を使うつもりだったのだろう。だが何故だ。セレナが教会に侵入する理由はないはずだ。
「輝石院以外で白華の騎士の詳細を保管しているのはカンデラ教会だけよ。それに教会と騎士団はある程度の距離をとっているし、お父様の記録がないか探しに来たの」
輝石院の書庫から消えていたロア・ロックスの記録。セレナは騎士団での父がどう扱われているのか知るために、教会側の記録を身に来たのか。
セレナはローランと同じ結論を出したのだ。教会へ忍び込むのは休息期間が終わる前が最後の機会だと。
いざやってきてみれば弟がすでに侵入に失敗した後だったとは、とんだ笑い話だ。
「でしたら、私が記録書を持ってきましょう」
「いいの?お願いするわ!」
大騎士からの忠告を受けていない姉は、遠慮なしに少女を頼った。それが嬉しかったのか、テセラは大聖堂の方へと駆け足で戻っていく。
後に残されたのは下手をうって水漬けにされたヘリオンと、上手いこと目的を達しようとしているセレナだった。
恨めしい顔で水面から見上げる弟の姿に、姉は得意げに笑う。
書庫で聞きそびれていたことを聞いておこうと思った。この灰守りのことだ。
水の中で意識を失ったヘリオンが見た女性。あれは誰だったのか。光葬とその意味を知った今、ヘリオンは一つの予測を立てている。
「セレナ。この灰守りは誰のものなんだ?」
「………教えたくないわ」
「どうして?」
この中に封じられているのはヘリオンの母親だと思った。
なぜその灰守りをロックス家のウェンディが持っているのか、そこまではわからない。これは予測でもなく、ただヘリオンがそう願っているだけかも知れない。
「家族だもの。知られてほしくないことだってあるの」
「棺の部屋で灰になっていく人を見たよ。あの人たちは、死んだも誰かのそばに居れるから、あんな安らかに眠れるんじゃないか。俺は、自分のそばに居てくれる、この人のことを知りたいんだ」
セレナは服の中にしまっていた灰守りを取り出して握りしめた。いつか彼女はそれに祈りを捧げていた。目を閉じ、その中にいる誰かのことを思う。
「水から上がって。それじゃ話しにくいわ」
まだ朝の鐘は鳴っていない。リーヴベルに見つかったときは、追加の罰を受けよう。
「これは私が聞いた話を繋ぎ合わせた予想よ。そのつもりで聞いてね」
「うん」
浜辺に並んで座り、カンデラの光に照らされながらセレナは語り始める。
光が真実を曝け出すだなんて思わない。真実とは、いつも人の覚悟によってのみ、その口から語られるものだ。
「お父様が白華の騎士に叙任されたとき、経験を積んだ従者がその補佐についたわ。聖騎士カーネリアン卿の従者でもあった彼は、お父様を優秀な騎士に育てるよう、卿の信頼と共にお父様の下についた」
「それが、ディークか」
ここまではヘリオンが予想した通りだ。
ディーク、ロア、カーネリアン。彼らにつながりがなければ、ヘリオンがロックス家に来る辻褄が合わない。
「ディーク……彼はロックス家にも出入りしていたし、当時を覚えている使用人たちとも面識があったから、私も話を聞いたことがある。でもね、彼にはもう一つ、ロックス家との関わりがあったの」
セレナはヘリオンが首からかけた灰守りを手に取り、その指で転がす。その石が反射する光を通して、遠い昔に想いを馳せているようだった。
「お母様の親友が、ディークの娘さんだったの。名前はエミーリア。お父様とも、在学中に親交があったと聞いているわ」
「エミーリア……」
「ディークの家はここ、セント・ミラにあった。元はカーネリアン卿の従者だったのだから、不思議はないわ。エミーリアさんもまた、この街に住んでいた」
セレナの口から語られる祖父の過去。セレナはいままでずっとヘリオンに黙っていたのか。いや、彼女が何度も言ったように、教えたくなかったのだ。
「お父様は東方都市の屋敷とセント・ミラを行き来することが多かったわ。いずれは中央で重要な役職に就くことを期待されていたから……。そしてセント・ミラでは、ディ-クの家に滞在していたそうよ」
ロア・ロックスがセント・ミラでの生活拠点に選んだのは、ディークとエミーリアが暮らす家。
ヘリオンの脳裏に、嫌な予感が沸き上がる。
「もうわかってるでしょう?あなたの母親はエミーリアさん。そして父親は、私のお父様よ」
「いや、そんな……」
「お母様が嫁いだのとほとんど同時よ。ロックスにお母様を残しておきながら、お父様は……」
それ以上はセレナも語る気が起きないのだろう。ただ、重いため息を吐くばかりだ。
「この灰守りは、エミーリアさんの……俺の母親なのか……」
「十二年前。ディークが影狼としてセント・ミラで反乱を起こしたとき、お父様と一緒に死んだとされているわ」
ヘリオンとセレナがちょうど生まれてすぐの時期だ。
その後、ディークは赤子のヘリオンを連れて辺境の村へと流れ着いた。名と過去を捨てて。
「お母様も変わっているわ。お父様を奪った女の灰守りを、ずっと持っていたんだもの」
全ての辻褄があう。
ヘリオンを預ける先がロックスになった理由。コルトが周囲の反対を押し切ってヘリオンを養子に迎えた理由。ロアの輝剣をヘリオンに託した理由。ウェンディが灰守りを与えた理由。
「あなたは幸せ者ね、ヘリオン」
ウェンディがヘリオンを一目見たとき、激情のあまりコルトに手を上げた。当然だ。むしろヘリオンを屋敷からたたき出さなかった彼女に感謝しなければいけない。夫と友の忘れ形見を、彼女は見間違えなかった。
コルトは最初からヘリオンのことをロックス家の一員として扱っていた。騎士になることを望んではいたが、それが叶わずともロックスの名を与えたことに不満はなかったのだ。コルトにとっても、ヘリオンは血の繋がった孫なのだから。
「なにも持ってない振りをして、ぜんぶ揃っているの」
セレナは、ヘリオンの姉だった。
気づいたのは、ロックスの教会で輝剣と灰守りを見せたときか。その後も変わらず、セレナは姉としてヘリオンと共に居続けた。
ようやくヘリオンは知った。
今まで、誰が自分を守ってくれていたのか。祖父のダスクを失い、もうどこにもいないと思っていた家族は、知らず知らずの内にヘリオンの側にいた。
ただの利害ではない。確かにあったその想いは、一度に受け止めるには重すぎる。
「これはあげないからね」
セレナは、自分の灰守りを掴んだ。
「お父様の灰守りは、私のだから」
ロックス家に残された娘。セレナを繋ぎとめるのは、裏切者の父の面影だった。




