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 ミラ湖側の侵入経路ではなく、正規の出入口を通って棺の部屋を出た。もちろん大騎士に先導されて。

 逃げるという選択肢は無い。修道女に見つかったときにはすでに遅かったのだろう。


 ローランが母親との別れを終えるまで待ってくれていただけ温情があるというものだ。


 一階へ降り、手狭な一室に入る。個人用の机を取り囲むように書架が並んでいた。騎士の執務室か。


 大騎士は書架の中から一冊の本を取り出し、カンデラの光にかざした。本のページが一人でに捲れて文字が浮かび上がっていく。


「ローラン・クローラ。東方都市出身。両親共に輝石院を卒業。祖父は騎士を退任後、都市議会に参加。入学に際しては大騎士アーバイン卿の推薦あり。魔光適性に、難あり」


 あの本には生徒の記録が魔法の力によって記録されていく仕組みなのか。ページを捲れば、さらに情報が加わっていく。


「ヘリオン・ロックス。東方都市出身。母親は輝石院を卒業。祖父は輝石院を卒業後、都市議会に参加。聖騎士カーネリアン卿の推薦あり。養子に入る前の経歴は………」


 どこまでを輝石院側が記録しているのか、ヘリオンも気になるが、顔を歪めて口を噤む大騎士を見れば、褒められた経歴が書いてあるとは思えない。


「ここではとても、口に出せんな」


 大騎士は鼻を鳴らして本を閉じる。


「私はリーヴベル。白華を掲げる大騎士だ。教会の司教を兼任している。さてどうしたものか」

「罰を受ける覚悟はできています。けど、ヘリオンは僕が無理に連れてきただけなんです。どうか彼を許してください」

「なに言ってんだローラン!俺だって自分の意思でここに来た。罰は一緒に受ける」

「黙りたまえ」


 リーヴベルが空中で拳を横に振ると、まるで暗幕を張ったように部屋が暗くなった。

 周囲に満ちていた魔光が消え失せ、闇の中にあるのは息の詰まる冷たさだけだ。一瞬の出来事だったが、窓から差し込む光が部屋を満たすまで、背中に水を注がれたような感触が残っていた。


「当然、罰は受けてもらう。だが面倒なのは君たちが真っ当な審査を通って入学しなかったことだ」


 その話は以前にも聞いたことがある。ロックス家の養子であるヘリオンの入学に難色を示した騎士の意向によって、クローラ家が入学審査のやり直しを要求したのだ。


「クローラを推薦したアーバイン卿は聖騎士サニディン卿の直属だ。サニディン卿が四方都市との関係維持のため、議席を持つ家に便宜を図っているのはクローラも知ってのとおりだ」


 修道女が茶を二人分淹れて部屋に入ってきた。一つをリーヴベルの前に置き、もう一つは自分のために淹れたのか、部屋の隅にある椅子に座ってヘリオンたちの成り行きを見守っていた。


 この場の空気を和ませるような修道女の行動を、リーヴベルは目線で非難する。彼には少女の姿が見えているだろう。


 横にいるローランは、相変わらず見えていないようだ。急に黙った大騎士の様子に怯えている。


「……私はカンデラ教の人間として、都市部の人間に肩入れするつもりはない。しかしクローラに罰を与えることで四方都市との関係や、彼らと折衝するサニディン卿に疎まれるのは御免被りたい」

「でも俺に罰を与えるのは問題ないでしょう?」

「ああそうだ。本当に罰が与えられるならな」


 リーヴベルは苦い顔でローランとヘリオンの二人を見る。修道女が持ってきた茶を啜って一息ついてから、輝石院の歪んだ制度について語った。


「輝石院において生徒の罰則記録は進級に関する評価点でしかない。だがロックス。君は聖騎士であるカーネリアン卿直々の推薦だ。減点が真っ当に扱われるか疑問だな?」


 そこまでしてカーネリアンはヘリオンを騎士にしたいと考えているのか。

 彼にしてみれば、因縁のある影狼の孫が魔光適性を持っていたから、試しに輝石院に入れてみようとしただけではないのか。


「クローラにしても、罰に関わらずセント・ミラを去るだろう。大罪を犯さない限り、セント・ミラの外へ罪が持ち出されることはない」


 退学が決まっている生徒は多少の犯罪ならば見逃されるということだ。

 それは、中央輝石院にとってセント・ミラの住民以外への興味の薄さを示している。


 例外があるとするなら、影狼に関与するなど、カンデラに危機をもたらす罪を犯した場合だ。


「ぼ、僕はそんなつもりでやったわけじゃありません!」

「君がどう言おうと勝手だが、輝石院にとっては違うのだよ。君に罰を与えようと、サニディン卿はいずれいなくなる生徒の墓荒らしなど気にせん」


 魔光適性の低い者たちに対する無関心。

 ヘリオンは秩序の守護者である白華の騎士団の実態に、困惑と怒りを覚えた。しかし都合が良いことも事実だった。ローランが今回の事で深い痛手を負うこともないだろう。


「だが都市議会はどうだろうな。クローラの退学は、ロックス家の子供に唆されたせいだと、輝石院やカーネリアン卿に対して抗議するだろう。魔光適性とは関係ない罰則記録を引き合いに出してな」

「そんな馬鹿な、横暴だ!」


 ヘリオンたちが今日、棺の部屋にやってきたことが、輝石院や都市議会の権勢に利用される。


 ローランが母親に向けた思いも、ヘリオンの迷いも。それはただの羊皮紙に残された過去の出来事。罰則記録を見つけただれかには、便利な道具に過ぎない。


「ああ実に腹立たしい!どいつもこいつも神への冒涜を顧みない愚か者どもだ!」


 部屋が震える。机に置かれた器がガタガタと音を立て、書架から埃が落ちる。

 大騎士リーヴベルの周囲の空間は魔光の歪みを引き起こし、体から漏れ出る燐光と混ざりあって爆ぜていく。


「いいか!貴様らは死者の眠りを永遠に奪う危険があったのだ!棺の碑文が乱れれば、遺体は腐り魂は失われる!立ち入りを禁じているのは感情に駆られた者たちから守るためだ!」


 大騎士でありカンデラ教の司教が放つ剥き出しの怒りに、ヘリオンとローランは息もできず体を強張らせる。


「信じていないようだな。カンデラによって、魂の保存はなされることを!死して灰となっても現世に残す想い。それがあると信じて、我らは光の中にすべてを焚べてきたのだ!」


 死者の灰をお守りとして残す風習。

 それは残された生者を慰めるためだけのものではない。これから死にゆくすべての殉教者との約束だった。

 光の中に消えようとも、この地に帰ってくることができるという約束。


「輝石院の罰則記録には残さん。今回の件は私が司教として与える罰をもって終える。胸に刻め。その罰はほかの誰でもない貴様ら自身のものだ。騎士と議会の薄汚い手に触れさせるな」


 大騎士でありながら痛烈に白華の騎士を批判するリーヴベル。彼が下す罰を素直に受け入れようとヘリオンは思えた。

 いままで少しずつ積み重なってきた白華の騎士団への疑い。それは解消されないどころかさらに強くなっていく。


 しかし、リーヴベルのように真摯な信仰心を持ってヘリオンに接する騎士もいる。彼から言い逃れるような真似はしたくなかった。


「軽率な行動をして申し訳ありません」

「ごめんなさい」


 二人して頭を下げる。


 怒りを収めたリーヴベルは立ち上がると部屋を出るように命じた。再び彼に連れられて移動する。

 大聖堂を出て、ミラ湖の湖畔まで来た。ちょうどヘリオンとローランが棺の部屋へと侵入するために踏み入れた場所の近くだ。


「服を脱ぎ、ミラ湖に肩まで沈みなさい。朝の鐘が鳴るまで、そこで罪を濯ぐように」


 そう言ってリーヴベルは大聖堂へと戻っていった。

 後に残されたのはヘリオンとローラン、そして着いてきたあの修道女だった。彼女が監視役というわけか。


「大丈夫なのか?湖に浸かったら辛いんだろう?」

「そうじゃなきゃ罰にならないよ。ヘリオンも甘く見ない方がいい。ミラ湖に沈むのは立派な訓練として輝石院でも取り入れられてるんだから」


 下着姿になって、ミラ湖の浅瀬に座る。水温は低くないため凍える心配はないだろう。


 水は空気よりも魔光を溜め込む性質がある。

 つまり水中にいる方がより強い光を浴びることになるのだ。ミラ湖の水は直上のカンデラより強烈な魔光を取り込み続けている。


 しばらく座っていると、肌をざらざらと削られていくような感覚、あるいは周囲の空間が消えていく感覚に襲われる。


 手で触れれば確かに存在する自分の肉体ですら、不確かな存在に思えてしまう。

 肉体的な辛さよりも、精神の強度が試されているようだ。


「うっ、くぅ……」


 ヘリオンは自分の事よりもローランのことが心配になる。明らかに症状が悪化している。体に浮き出た線は色濃くなっていった。


 魔光に当てられた人体がどのような変化を起こすのか。

 棺の部屋で見てきた灰に変わりゆく死者たち。生きながら体が灰に変わるとでもいうのか。ローランは、水の中でその身が焼き焦がれる苦しみに耐えていた。


 朝の鐘まであとどれくらいだ。普段、時間なんて意識して生活していないヘリオンも、このときは時間の流れが遅く感じた。


 やがてヘリオンの体にも魔光障害の線が現れる。

 これはひび割れだ。皮膚が石の膜になってしまったのか、自分の体が冷たく硬質な感触に包まれ、線からさらに魔光が浸透していく。


 光葬により内部が赤い砂になった遺体。

 このミラ湖に自分の砂が溶け出していく光景を想像した。


 水の感触も消え失せ、白い空間に一人座る。ひび割れから漏れ出る赤い砂が風に乗り、彼方へと流れていった。


 頬になにかが当たる。

 灰守りだ。ウェンディから与えられた、母親の代わり。目の前に女性がいた。だれだ?ウェンディじゃない。初めて会った気がしなかった。もちろんセレナでも、ステアでもない。


 彼女はヘリオンの頬に指を当て、顔を上げて、と伝えてきた。


 周りを見てヘリオン。お友達を助けなきゃ。


「………っはぁあ!」


 水面に浸かっていた顔を上げ、息を吸い込む。気を失っていた。危うく溺死しかけていたのか。飲み込んだ水を吐き出す。


「ローラン!!!」


 彼は完全にミラ湖へ体を投げ出していた。幸いなことに顔を上にして浮かんでいる。

 なにかをうわ言のように呟きながら、波に攫われるままカンデラの方へと流されようとしていた。


「しっかりしろ、起きろローラン!」

「母上……、ただいま……もど………した……」


 夢でも見てるのか!?

 ヘリオンも一瞬だけ体験した、誰かがそこにいるような錯覚。

 ローランにも見えているのだろう。今はそんなことより彼を浜へ上げなくては。


 力の抜けた体を抱えて、ミラ湖の水から抜け出す。大聖堂の壁際では、あの修道女が折り畳みの椅子の上で項垂れていた。


「起きろ!監視するなら寝てんじゃねぇ!」

「はっ……もう鐘はなりましたか?」


 浜辺に寝かせたローランの頬を叩く。朦朧としたまま帰ってこない。


「リーヴベル卿を!だれか治療できる人を呼んできてくれ!」

「心配なさらないで」


 少女はすぐに現状を把握したのか、ローランの胸に手を当てると目を閉じて集中した。その体が光り、ローランの体までを包み込む。


「カンデラよ。脆き人を焼く光よ。私の影を埋めなさい。咎はこの身に。楔の一つ。この名であなたを繋ぎます」


 なにが起きている?ヘリオンの目に映るのは、信じられない光景だった。


 少女がローランの体に浸食した魔光を引き出している。

 ヘリオンが持つ知識に照らし合わせれば、それは単なる魔力の操作にすぎない。


 輝剣などの魔法を発動させるときに、輝石の内部に溜まっている魔光を意思によって解き放つ技術だ。


 生きている人間相手にできるものなのか?


 少なくともヘリオンにはできない。

 そんな事が可能なら、触れた人間の内部から魔光を操作して、すぐさま死に至らしめることだってできるだろう。それが不可能だからこそ、輝剣のような魔法が存在しているのだ。


 だが現実として、ローランの体が過剰に取り込んだ魔光を、少女はその身に引き受けている。その上で手の平に光球を作り出していた。魔光を発散させているのか。


 ローランの体から浮き出た線はやがて消えていき、呼吸も整いはじめた。

 朦朧としていた意識が眠りに落ちて、安らかな吐息が彼の口から漏れだした。


「助かったのか……」

「大丈夫です。このくらいなら、彼の適性でも後遺症は残りません」

「いや、でも……ありがとう」


 ここまで不可解な行動の多かったこの少女も、いよいよ人間味が薄れてきた。

 彼女の纏う魔光の雰囲気。それは大騎士や、聖騎士のように高位の存在にも匹敵する。


 光の神カンデラの御許にある大聖堂。幼くしてここに住む修道女は、白華の騎士とはまた別の、特別な存在なのだろう。


「ローランには、もしかしたら君のことが見えないかもしれないけど、助けてくれたって伝えておくよ」

「いいんです。私が居眠りしなければ、もっと早く助けられましたから」


 少女はそう言って腕を上げ、体を伸ばす。椅子で眠っていたので固まっているのだろう。


「テセラ・ライトラムです」


 年相応よりも落ち着いて見えていた印象は、笑うと幼く見える。


「ヘリオンさん。あなたとは、きっと長い付き合いになりますね」


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