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21.
東方都市での生活は瞬く間に過ぎていった。
影狼の拠点を襲撃したあとは白華の騎士と会うこともなく、また影狼の存在を感じることもなかった。
ヘリオンは勉強漬けにされた結果、ようやくこの国の平均的な子供が持っている常識が備わってきた。これならセント・ミラへ行っても大丈夫だろうとコルトが満足したのは、旅立つ五日前のことだ。
屋敷と教会を往復する毎日から解放されたヘリオンは、鈍った感覚を取り戻すため、剣の試合相手を探した。
自己鍛錬は変わらず続けているが、村でダスクを相手に実戦的な試合を続けていた日々とは比べられない。
先日経験した影狼との戦闘。そして騎士の実力。ヘリオンはさらに強くなる必要があった。
そのことをコルトに相談すると、彼は使用人の中から戦闘の心得のある者を何人か呼んで、試合する時間を作ってくれた。
本格的な戦闘技術は、輝石院の四年目から始まる騎士課程で見につければいい。
ヘリオンの要求を時期尚早だとしつつ、東方都市に来てから机に縛り付けられていた孫を発散させてやろうとコルトは考えた。
「ついでだ。セレナにも剣を教えてやりなさい」
「えっ、嫌よ!」
「騎士になれなくていいのか?」
「目指してないわよ!」
嫌がるセレナを説得して試合をしてみれば、意外と筋が良いと感じた。
セレナは普段はヘリオンと一緒に勉強をしているか、コルトの書斎から持ち出した本を読んでいる。ヘリオンは姉が剣を振っている姿を見たことがなかった。
話を聞くと、母親のウェンディから基本的な鍛錬は受けていたらしい。
セレナが騎士課程に進むつもりがないと意思表明してからは、ウェンディも無理強いをしなくなった。
ウェンディとも一度だけ試合をした。意外にも彼女からヘリオンに試合を申し込んできたのだ。
影狼との戦いから帰ったあと、義理の母親である彼女との関係は少しだけ近づいた。
無理に避けられることはなくなり、今では日頃の挨拶を交わす程度はできる。
母親となった女性と剣を交えることに最初は遠慮があったが、試合を始めればそんなことを考えている余裕はなくなった。
ウェンディはこの家の使用人たち、警備に当たっている門兵以上の実力を持っていた。
かつて輝石院では騎士課程に進み、騎士選抜の最終段階まで候補に残り続けたそうだ。その後、同学年で騎士に選ばれた青年と結ばれ、ロックス家に嫁ぐことになった。
何年も剣の修行をしていなかったためか、最終的にはヘリオンが試合を制した。
その結果に満足し、ウェンディは部屋に戻っていく。
「外交官になりたいのよね」
試合を終え休憩するあいだに、セレナが輝石院を卒業後に目指すものについて聞いた。
この国は周囲を険しい山脈に囲まれている。その中で南方都市は、山脈の切れ目にあり外国との交易を行っている。
隣国の品々は南方都市の関所を通り、国同士の重要な取り決めも、都市議会が中心となって交渉する。
東方都市を代表するロックス家の跡取り娘。セレナが興味を引かれたのは南方都市とその先に広がる外国のことだった。
外交官になれば、セレナは家を離れるだろう。
コルトとウェンディもそのことには気が付いている。どのみち輝石院に行くことには変わらないので、在学中に思い直して欲しいと考えているらしい。
騎士カーネリアンから紹介されたヘリオンを養子にしたこと。それは家格のための点数稼ぎだと考えていた。
輝石院へと送り出した人数が、後々の影響力に繋がるのだから。
コルトは孫娘の将来を考えて、ヘリオンという予備計画を用意したかったのか。ロックス家の人たちがどこまで考えているのか、そこまで踏み込んだ話は聞けていない。
輝石院を卒業するころにはすべてが決まるだろう。
そうしているうちに、セント・ミラへの旅立つ日がやってきた。
今年、東方地域から輝石院に入学する子供は十五人。輝石院が用意した竜車に乗り、彼らと共にセント・ミラへ向かう。
護衛には白華の騎士が一人派遣された。騎士に会うことは珍しいのか、新入生の少年少女たちはその姿を夢中になって見ていた。
黒い鱗に包まれた騎竜に跨り、純白の装束に身を包んだ光の守護者。輝石院を目指す者にとっては物語の登場人物のように、憧れの対象だ。
ヘリオンも白華の騎士を目指している。だが彼らとの出会いには苦しい思い出が多い。
派遣された騎士も、他の少年たちには笑顔で手を振っているが、ヘリオンに対しては探りを入れるような視線を感じる。
他の子供たちのようにはしゃいで白華の騎士を仰ぐことはできなかった。
「あなたまだ疑われてるの?そうとうな悪人顔なのね」
「そんなことないだろ」
「うーん……見栄えは良いけど子供っぽくなくて、なにかするんじゃないかって思わせるのよ」
「俺のことそんなふうに見てたのか」
「まあお姉ちゃんに言わせれば、ヘリオンは余裕がないのよ。晴れて輝石院に入学するんだから、もっと喜びなさい」
「勉強しに行くんだろ。嬉しいか?」
「それよそれ、周りを見なさい。輝石院に行くことは名誉なことなのよ。あなた放牧地へ羊の糞拾いにでも出かけるみたいな顔しているわ」
街の広場には入学前の子供たちが集められ、旅立ちを目前に家族や街の住民から祝福されている。
子供たちにしても、世代を代表して神に選ばれたのだと誇りに満ちた表情をしていた。
ロックス家といえばどこか冷めた雰囲気が漂っている。当主であるコルトは街の有力者の集まりで話し合いに夢中になり、母親のウェンディは使用人たちを従えて遠くの方からこちらを眺めている。
入学する当事者である子供はといえば、ヘリオンは思いつめたように黙り、セレナは眠そうにあくびを噛み締めていた。
やがて騎士が号令をかけ、輝石院へ向けて少年たちを乗せた竜車が発車した。
見送る街の人々の歓声を背に、セント・ミラへと続く大街道を進む。向かう先には光の神カンデラの光が見えた。
ヘリオンとセレナは振り返り、ロックス家の人へと手を振った。このときはコルトも周りの大人たちも話をやめ、子供の門出を祝福している。
「ついにあの街に行くのね」
手を振りながらセレナがため息をつく。
「セント・ミラには行ったことがあるのか?」
「一度だけね。なんであんな土地に有難がって住まなくちゃいけないのかしら」
「お、おいセレナ」
その発言がカンデラ教の信徒としては不適切だと分かる程度には、ヘリオンも常識を身に着けていた。騎士に聞こえていないだろうかと心配したが、今は竜車の隊列から離れた場所で周囲を警戒している。
セレナは教会の集会には欠かさず出席し、聖歌の内容を深く理解している敬虔な信徒として周囲から評価されている。
しかし実際は歌うのが好きなだけで、カンデラ教を肯定しているわけではない。
「ヘリオンも街に着けばわかるわ。いいとこなんてミラ湖で採れる魚貝くらいね」
「魚か……あれ生臭くて美味しくないんだよな」
新入生十五人を乗せた竜車は五台の隊列を組んでいる。一台は荷物が積まれて、残り四台に子供たちが別れて乗った。
ヘリオンとセレナが乗る竜車にも、他に二人の新入生がいる。ロックス姉弟が話している隣で、他の二人も世間話に花を咲かせていた。
ヘリオンとセレナに同乗している新入生は少年と少女だった。どちらも育ちの良さを感じる。
これから始まる生活を前に、盛り上がりに欠けるロックス姉弟を見て、少年の方が話しかけてきた。
「相変わらずのようだね、セレナ」
「あなたは平気なの?セント・ミラでは大変だったんでしょう?」
「あはは、まあね。でもこうして輝石院に入ることが許されたんだ。嬉しいよ」
少年はセレナとは顔見知りのようだ。
「ローラン・クローラだ。君の噂は聞いているよ、ヘリオン・ロックス」
「あ、ああ。よろしく」
ローランから差し出された手を、戸惑いつつも握りかえす。まだロックスの名で呼ばれることには慣れない。
「ええっ?!あなたがロックス家の跡取り?女の子だって聞いてた!」
「合ってるよ。俺は養子だから、跡取りはセレナのほうだ」
「養子なの?本当の姉弟にしか見えないよ!わたしはアーレッタ・ポリッシュ。よろしくね!」
ローランは落ち着いた雰囲気の優しそうな笑顔をもった少年。アーレッタは表情豊かな元気な少女だ。
「私たちそんなに似てるかしら」
「うんそっくり!言われれば髪の色とか違う気がするけど……目元が似てるのかな?」
「セレナも悪人顔だってさ」
「なによそれ!私は悪いことしていないわ!」
「そう?セレナだって悪戯好きな猫みたいだよ」
「ヘリオンに比べたら聖人のようなものよ。よく聞きなさいアーレッタ。こいつはねぇ……!」
セレナとアーレッタが女の子同士で騒がしくおしゃべりをはじめ、竜車の中はそれだけで賑やかになる。
取り残されたように目を見合わせた少年の二人だったが、ローランの方がヘリオンに顔を寄せて耳打ちしてきた。
「君には謝っておきたかったんだ」
「謝るって?」
ローランとは初対面だったはずだ。彼の名であるクローラ家にも聞き覚えはない。
「僕の父上が、君の入学審査をやり直すよう議会で発言したんだ。そのあと君がどうしたのか、だいたいのことは聞いている」
彼がなにを言いたいのかが分かった。
どういうわけかロックス家は白華の騎士から良く思われていない。
隊列の護衛として来ている騎士も、ロックス姉弟のことを警戒しているようだった。
ヘリオンを白華の騎士にするため、話を推し進めたのは上位の騎士であるカーネリアンだ。彼とロックス家に対立する騎士の勢力が行った牽制を跳ね除けるため、ヘリオンは影狼の拠点を襲撃する作戦に参加することになった。
クローラ家とはつまり、ロックス家とは別派閥の家なのだろう。
「まさか子供を騎士団の作戦に参加させるなんてね。しかも見事にやり遂げたとあっては、父上も黙るしかない。君にはいい迷惑だっただろう?」
「そんなことないよ。必要なことだったんだ」
「そう言ってくれると助かる。家のことは抜きに、僕は君のことをすごい奴だって思ったよ。それを伝えたかったんだ」
そう言ってローランは竜車から体を乗り出し、真っ直ぐ続く大街道の向こうを見た。その目は眩しそうにカンデラの光を見据えている。
「君なら、きっとセント・ミラでも生きていけるさ」
ヘリオンはこのとき、ローランという心優しい少年と友達になり、彼が励ましの言葉をくれたのだと思っていた。




